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五十六話 文化祭一日目 食べ物

 文化祭だ。

 前日学校の人全員で廊下や教室の飾りつけを済ませ、学校は非日常の化粧を纏っている。実に鬱陶しい限りである。

 星野にはチケットを送りつけてやったから、きたけりゃ来るだろ。

 ところで、文化祭は二日間に分かれている。一日目が部活動・個人での発表。二日目がクラス・団体の発表。ここにはまあ引っかからないだろうが、体育館の使用時間は決まっていて、俺たちのクラスは午後の一番最後。

 学校に来たら貰えるパンフレットにはプログラムが乗ってるが、俺はあいつに俺のクラスを教えていない。乗っているのはクラスや団体名とタイトルのみなので、まあ、途中で諦めて帰ってくれんじゃねえかな、といううっすい期待をしてみる。あいつだって忙しいだろうし。

 怠さを押し隠しながら制服のズボンとクラスTシャツを着た。クラスTシャツは実行委員二人かなんかがデザインしたやつだ。学生感あるダサさと普段使いできそうなお洒落さが同居しているという奇跡のバランスである。

 いつも通り朝食を食べ、靴を履く。今日はスニーカーもありらしいので、フォーマル寄りのスニーカーを履いた。動きやすくていい。

 それはいいんだが、人が多いのが面倒なので普段より憂鬱に近い。今日だけ休んじゃ駄目か?

 いや、自分で楽しもうと決めたんだ。駄目だろ。たとえば……ほら、今日は必要なものがほとんどないから鞄が空に近い。軽くていいな。わりとマジでいいな。

 半袖のTシャツ一枚だと寒いので、上から上着を羽織った俺は、いってきまーすと外に出た。

 上着のおかげか寒い思いをすることなく電車に揺られ、学校につく。

 教室につくと、真っ先に一条に挨拶をされた。制服のスカートに黒タイツ、クラスTシャツを着ている。

「おはようございます」

「おはよう。一条のことだから、暖かいジャージを着てるもんだと思ったわ」

「ジャージは予備です。スカートは入れにくかったのでスカートを履きました」

「汚れたり壊れたりして困るのは制服の方じゃね?」

 予備に回すのは制服のがいいだろ。

「……そういう考え方も、ありますね」

 考えてなかったのか。

 なんとも言えない気持ちで一条を見た。

「どうしました?」

 不思議そうな一条に、なんでもないと返す。

 俺は自分の席に着いた。部活動やってる人たちは準備があるみたいで、クラス内に人はかなり少なかった。

 その後開会式を終えるなり、一条はいそいそと近づいてきた。このあとはもう自由だ。

「どこ行きたいですか?」

「俺はどこでもいいけど。一条はどっか行きたいとこあんの?」

「演劇以外は優先度が同じです。……ですが、今は、食べ物なにか食べたいです」

 一条が腹をさすった。

「少食なのに食べれんの?」

「朝食抜いてきました」

 すげー楽しみだったんだろうか。

「……じゃ、とりあえず近くのバスケ部の売店行くか」

「はい」

 演劇部の発表までまだ時間あるしな。

 今はまだ生徒しかいないが、もう少ししたら外部からの人間が出入りするようになる。さっさと動こう。

 開会式があった校庭近くのコンクリート上に広がっている露店の一つ、バスケ部の売店へと向かった。

「いらっしゃ――市川と一条じゃん! 食う?」

 接客が同じクラスのやつだった。月雪とか黒井とかと一緒にいる、キラキラしてて常に楽しそうなやつ。

「鈴木くん、唐揚げ一セットください」

 一条は静かながら、外の喧騒に負けない響く声で注文した。

「おっけ! じゃ百五十円もらうぜ!」

 一条がポケットから財布を取り出し、百円玉と五十円玉を差し出した。

「お、ありがとな! ほいっ」

 にっこにこで紙カップを手渡して、付け足した。

「今の時間なら、黒井が向こうでたこ焼きの接客してっから、よかったら覗いてやってな!」

「ありがとうございます、行ってみます」

 一条はやや嬉しそうに唐揚げを受け取り、そそくさと移動した。

「……熱いです」

「だろうな」

 紙コップをがっしりと掴んだ一条は、唐揚げを見つめた。

「……俺持つけど」

「では、その、ありがとうございます」

 それはそれはもうぎこちなくゆっくりと、腕を動かした。その動きが止まったタイミングで紙コップを取る。

 ぼーっと俺の手元を見つめていた一条は、非常に申し訳なさそうな顔で、

「あの、市川くん」

「おお」

 なんとなく予想がついた。

「一緒に、食べてくれませんか?」

「なら割り勘な」

 だから、そう即答できた。

「えっ。いえ、私が勝手に買っただけのものなので」

 俺はズボンのポケットから財布を取り出して、八十円一条に押し付けると、ついていた爪楊枝をつまんで唐揚げを食べた。

 普通に美味しいな。

「美味しいぞ。せっかく買ったんだから、熱いうちに食べようぜ」

「……はい」

 もう一本ついていた爪楊枝を使い、唐揚げを持ち上げた一条は、紙カップの上でふーふーと息を吹きかけ、慎重に自分と紙カップを近づけた。

 鈴木、意外と気が利くんだな。なんも言わずに二本爪楊枝つけてくれた。

「……高さ、上げるか」

「はい」

 一条の顔近くにまで俺が紙カップを上げた。

 俺のスニーカーのつま先と一条のローファーのつま先の距離が拳一個分くらいのところで一条は止まり、そーっと動かす。彼女は、左手を皿にして唐揚げにくっつくギリギリの高さでキープした。

 おっかなびっくり唐揚げに口をつけ、半分ほどで噛みきった。

 おい、唐揚げ0.5個食べるのにどんだけ時間かけてんだよ。

 じっくりと咀嚼し、飲み込んだ。

「美味しいです。ありがとうございます」

「あ、おい! 唐揚げから目を離すな!」

 ちょっと角度が斜めったせいで地面にすとんと落ちかけたので、慌ててカップで受け止めた。

 こいつは幼児かなんかか?

「あ、ありがとうございます。すみません」

 ああ、私の唾が残りの唐揚げについてしまいました、とわざわざ全て言葉にして、一条は悲しそうに唐揚げのカップを見つめた。

「気にすんな。どうせ俺と一条しか食べねえから」

「……ありがとうございます」

 残り半分の唐揚げをパッパと食べると、一条は歩き始めた。

「黒井くんがいるところに行きましょう」

 ということで、陸上部の売店に向かった。

 当然だが、本当にいた。

 にやつきながらいらっしゃいませと言われる。

 なんかわからなんが腹が立つな。

「六つ入り一つ」

 一条は、そろーっと二個目の唐揚げを食べようとしているので、俺が代わりに言った。

「はいはい。お、ぴったり?」

 メニューに書かれていた金額ぴったりを手渡しすると、黒井は手際よくたこ焼きを舟皿(ふなざら)に詰め、はいと渡してきた。器用だな。

 俺は空いている左手で受け取った。

「校内展示も面白そうなのいっぱいあるから楽しんでねー」

 両手に食べ物を持ちながらさっさと移動した。前日に設置されていたベンチに座る。

 風がいい感じの強さで吹いているから、ちょうどいい気温だ。砂埃が舞ったりするほどでもねえし。

 往来する人を見ると、まだ高校の生徒が多いな。とはいえまあ、人ごみにはなっているんだけど。

 両手が塞がっているので食べることもできず、ぼーっと人々が行きかうのを眺めていると、左隣に座った一条が声をかけてきた。

「あの、市川くん。どちらか持ちます」

「あ? いやいい」

 それで一条がもしも落としたら、多分自分が嫌になるだろ。ベンチに置いてもいいけど、それはそれで一条がなんかやらかしそうだ。

「じゃあ、唐揚げとたこ焼き、どっち食べたいですか?」

 唐突になんだ。

 妙に真面目くさった顔をしている一条に困惑の目を向け、

「じゃたこ焼き」

 俺が答えると、一条は自分の手に持っていた爪楊枝で、たこ焼きを持ち上げた。

 ガチガチになりながら、ゆっくりゆっくり俺の方に近づけてくる。

 ……ああ。そういうことか。

 俺はつい眉をひそめたが、今更いらないとも言えず、強引に食べるのもどうかと思うので、じっと待った。

「ど、どう、ぞ」

 落とさないかひやひやしているらしく、珍しく声が震えていた。

「いただきます」

 照れくさいことこの上ない。できるのなら普通に食べたい。

 が、一条の努力を無下にも出来ねえ。

 たこ焼きだけに歯を差し入れると、爪楊枝から引き抜いた。……あっつ。

「ん。美味しいな」

 舌が熱いけど。

 冷凍じゃなくて生地から作ってんのか? すげー労力だな。

 じーっと俺が食べるのを見ていた一条は、俺の左手の方へと視線を移した。

「市川くん。半分出すので、一個食べてもいいですか?」

 だろうと思ったわ。

「好きに食べろよ。お金は面倒だからいらねえ」

「……今更ではありますが。いい加減貸し借りの釣り合っていない金銭のやり取りはやめたいと思いまして」

「あー、そっか。……じゃ二十円でいい。一個だけだろ? 食べるの」

「はい」

 爪楊枝をたこ焼きに突き刺し、財布から十円玉を二枚取り出すと、一瞬固まったあとに俺の左手から舟皿(ふなざら)を取った。

「ああ、ありがと」

 自由になった左手を使い財布を取り出し、ファスナーを開いて小銭入れを一条の方に向けた。

 一条は二枚、丁寧にそっと置いた。乱暴に落としゃいいのにな。

「では、いただきます」

 そろそろとたこ焼きを持ち上げる一条を見て、さっきのことを思い出し、

「あっ。俺が食べさせてあげりゃいいのか!」

 そういや月見のときもそうしたわ。

 一条は信託でも受けたかのように真っ黒な瞳を輝かせた。

「次からはお願いしてもいいですか?」

「おお。とりあえず、これ全部食べ終わったらまたどっか行くか」

 はい、と一条は油断せず手元に集中して、口の中に入れた。こいつがっつり爪楊枝噛んだぞ。

 いつも通りの顔で、

「はふいれふれ」

「うん。熱いよな」

 なんとなく目を逸らした。

 途中咳き込むような声が聞こえてきたから思わず目を合わせてしまったが、しれっとした顔でまだ食べていたので、ほっとした。

 熱いと言いつつしっかり味わって飲み込んだ一条は、感心するような目で俺を見た。

「市川くん、こんなに熱いものよく無表情で食べられましたね」

「お前にだけは言われたくねえかも」

 相変わらず感情が表情に出にくいんだ、一条は。俺は分かるけど。

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