五十一話 文化祭準備
一条の秋用の私服を選んでやったり、一緒に映画見に行ったりして、テスト明けの十月中旬。
文化祭準備期間が始まった。
進行は文化祭実行委員。当然村上も黒板前にいた。ちなみに一条も書記として黒板前でチョークを握っている。
彼女らは実にスムーズにクラスの人に案を挙げさせ、一条が追いつけているか確認し、と進行していった。
ある程度出揃ったところで、村上がちらりと一条を見た。そして言った。
「演劇とかどう?」
一条が確実に困惑している。
俺は心の中で村上の評価を一段階上げた。
色んな案が出たが、普段ダウナーで無口なイメージの村上が珍しく意見を出したとか、単純に楽しそうとか、多分大分いろいろなことが原因で、あっさりと演劇に決まった。
俺はもちろん演劇に一票。一条がややじっとりとした目で俺を見てくるが気にしない。
「えーじゃー台本作ってくれる人―」
村上はあえて視線を遠くに飛ばしたように見える。
滑らかな動きで、一条は左手をあげた。隣にいる村上を見上げている。覚悟が決まったらしい。
「ん、条ちゃんやるの?」
首を傾げ、うっすら微笑みを浮かべた村上に、一瞬迷うように眉を動かしたが、一条ははっきりと頷いた。
なんだ条ちゃんって。
一条静乃ってカッコイイ名前からなんでそこだけ抽出した。もっと他にあっただろ。
いや、まあ一条は少し嬉しそうだからいいか。
脚本をやりたい人は他にいなかった。一条で決定だ。
オリジナル脚本でやるか、元々あるものを時間内に収まるよう作り直してもらうかで意見が割れるも、一応決着がついてチャイムが鳴った。
一条の作った脚本が良ければそれで、反対意見が出るようであったり、文化祭に適さないと判断されたりしたら元々ある作品(この時間で候補を決めた)を脚本に仕立て直してもらおうって話になったのだ。
放課後、一緒に帰っている途中に、俺は気になって聞いた。
「普通に決まったけど。そんなすぐ脚本って書けねえだろ。大丈夫か?」
「何とかなると思います。次に話し合いの時間がある明後日には終わるかと」
「早えな」
「体育祭のときから書いていた脚本があるので、それを使おうと。とはいえ、登場人物、時間、細部の設定を練り直すのでそれなりに手を加えることになるとは思いますが」
「……それほぼ全部じゃねえの?」
「いえ、弄りやすいストーリーなので言葉でいうほど難しくはありません」
生き生きとしてる。
「へえ。ジャンルは?」
やや頬を緩ませ、俺は聞いた。
「現代もののヒューマンドラマ、でしょうか」
「舞台素人が現代ものって大丈夫か? 人物の見分けつかねえ印象があるんだけど」
基本制服とかだろ? ファンタジーの衣装より差別化が難しいイメージがある。
「その心配はしてません。そもそも皆さん優秀ですしやる気がありますから、私がさっさと脚本を仕上げてスケジュールに余裕を持たせれば、充分見れるものになるはずです。それに、主役をやってくれそうな方の見当はついています。おそらく大丈夫でしょう」
勝算ありげである。
まあ、楽しそうでなによりだ。俺もちょっと楽しみになってきた。文化祭なんて適当に終わらせようと思ってたが、頑張ることに挑戦してみても罰は当たらんだろう。
体育祭のときは疲労感以外なにもなかった。今までだったら多分、それでいいと思ってた。
が、まあ、一条がもう一度人間関係に手を出すんだ。俺だって努力をしてみるくらいはしてみなくちゃな。
話が止まりそうにない一条を横目に、そう決意した。
そして、その二日後、宣言通り一条は脚本を仕上げてきたのだった。
結末部分までのネタバレを含めたあらすじを一条が口頭で説明すると、全員がいいじゃんと賛同した。
まあ、オリジナル、しかもストーリー構成の基礎がしっかりできていて起承転結のある脚本となれば、祭りの前でテンションが上がった高校生らには歓迎されるだろう。
一条は整った字で登場人物を黒板に書いた。下に空欄を残す。
文化祭実行委員が立候補を募ると、藤井……一条と気まずいことになっている女子生徒が真っ先に手を挙げた。
「あっ。私、主役やりたいです!」
「どちらが良いですか?」
主役と書かれた役名は二人分ある。どちらも主役、ということらしい。ただの学生の素人集団にしては難解な脚本をぶち込んでくれたものだ。
努めて淡々と見つめ返すようにしたらしいが、残念ながら藤井には伝わっていなさそうだ。藤井の顔が一瞬、少しだけ歪んだ。まあ多分、面の皮厚すぎでしょとか思われてんだろうな。
「えーっと……立候補がいなかった方で」
主役の名前が並ぶ丁度真ん中に、藤井奈々と入る。
書きつける一条は、どこかしら満足げに見えた。
順調に配役が決まっていく。あとの係は裏方でひとくくり。
係は決めずにいく。どこにどれだけ時間と人手を割くべきか不明瞭、というのが理由らしい。各作業の責任者のみ定め、便宜人が足りなさそうなところに自己判断で入る、という形式でいったん様子をみると決まった。
下手すれば組織として崩壊するが、このクラスなら心配いらない。なにせ各人やる気は十分にあるし、能力も申し分ない。
それと、一条は総監督もやるらしい。コミュニケーションが必要になってくるし、責任が重くなるが、大丈夫なんだろうか。実行委員の二人は部活や委員会の方に時間を割く必要がある。頼れるか微妙だ。
などとぼんやり考えていると、いつの間にか立候補が止まり、気まずい沈黙が場を包み込んでいた。や黒板に目をやる。役が決まっていないのは、脇役、男A,B。
一条は手についたチョークの粉をパンパンとはたいた。俺と目が合う。
俺は妙に要領がよくて。ついでに半年は一条と関わってきたわけで。
その視線一つで、一条が言いたいことを理解してしまった。
多分、やってくれと言っている。
役者を。
正直面倒だしやりたくない。そもそもとして一条が本当にそう思っているかなんてわからない。
初対面のときと変わらない真っすぐな視線が突き刺さる。つい逃れそうになり、やや俯き加減になった。
俺は、人と関わりたいとか思ってねえし、面倒なことはできるだけやりたくねえし。好きなこと以外はほどほどでいいと思ってる。
ぶっちゃけ小さい頃からあんまいい印象持たれたことねえし、それで自分が傷ついてるとも思ってなかった。案外気にしてたっぽいけど、それでも目つきが悪いのも不愛想なのもただの事実だ。それを無理に否定することも肯定することも変だ。
それを苦手だとか怖いとかって思うのも、別に個人の自由だろ。で、これもまた事実として、俺はそう思われやすい。
そんな俺が、わざわざ立候補なんてするわけがない。こういうのはクラス内で人気のある人間がやるべきだ。その方がクラス全体が楽しい。
あー、早く決まんねえかな。
なんの変哲もない机をぼーっと眺めていると、机の中でごくわずかな通知音が聞こえた。
音源のスマホを取り出し、通知を確認する。
一条からだった。
『役者、やってみませんか?』
思わず顔を上げた。スマホを握りこんだ一条と、再び視線がかちあった。
……一条は、脚本の概要の説明やらに必要って理由で、授業中ながらスマホを使用してもいいということになっていた。
その目に、今度は対抗するように思う。
俺は裏方がいい。役者なんてやりたくない。面倒で疲れるだけだ。誰もがお前みたく楽しめるわけじゃない。体育祭もただ疲れただけだった。楽しめるという感性はもはや持って生まれてきたもので、才能といってもいい。俺にはそれがない。だから役者なんてやらない。
……いや。
ちらりと手の方に目を向ける。スマホから手が離せない。
俺は、一条に引っ張られていけば、楽しめるかもしれない、と期待をしてるのか。それが、羨ましいと形容するほどの熱に達していないだけで。
一条はよくやっている。自己嫌悪でどうにかなりそうなはずなのに、それでも人と関わろうと覚悟を決めた。
俺も、努力をしてみようと思ったはずだ。
その階段を二段ほど飛ばすだけ。大した手間じゃない。
……なによりも。
多分、俺は一条のあの目に、弱いのだ。
ため息を一つ吐く。
手を挙げて、俺は言った。
「じゃ、俺、脇役やる」




