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四十八話 脚本

「脚本を、読んでくれませんか」

 昼休み、唐突にそう言われ、俺は思わず顔をそちらに向けた。箸を弁当箱の底につける。

「別にいいけど、俺が読んでいいのか」

 一条はいつも通りの真顔に真剣さを足した表情で、

「はい。お願いします。あの、次の休み時間お渡しします」

「おお」

 渡す? なにを?

 困惑しつつも、頷いた。

 ……好きって自覚したからって、特別なにか変わるわけじゃねえんだな。

 弁当は変わらずに美味しい。

 いつものように昼休みを終えたあと、宣言通り、五時間目が終わった休み時間にノートを渡された。なるほど。渡すっていうのはこれのことか。てっきり俺はパソコンか何かを使っているんだと思ってた。

 ちらりと表紙だけめくってみる。ごく一般的なありふれた大学ノートである。

 今日じゃなくても構いませんから、と前置きされたものの、俺は今日読むつもりで鞄に詰めた。

 なんとなく落ち着かない気持ちで家に帰り、ちょっとわくわくしながら、一ページ目を開いた。

 これ横向きにして書いてるのか。几帳面な字が縦書きで並んでいる。背景の指定、記号……。

 脚本っぽい。

 一人感心しながら、肘をついて読み進めた。最初は脚本の記号や書き方に慣れなかったが、そのうちすぐ気にならなくなった。

 一条の映画の好みを知っていたから、勝手にハードルを上げていたんだが、めちゃくちゃ面白かった。

 厚みがなかったのもあり、あっという間に最後のページに到達してしまった。

 端的に言えば、ファンタジーな世界観の楽器の話だな。

 音楽を扱うことで魔法になる世界で、だから楽器は兵器として扱われている。

 で、その結果、楽器の本来の目的である音を楽しむ、っていう感覚がほとんど失われていて、楽器を音楽を楽しむために奏でる者は変わり者扱いされる。

 そんな中、楽器店の店主である主人公の少女は、純粋に楽器のみを愛せる者にだけ楽器を売る。そこに現れたとある客をきっかけに、店主は音楽の楽しさを伝えるために旅をしながら楽器を売ることになるって話。

 読んでてストレスない文章で、綺麗だった。状況が分かりやすいし、言葉の使い分けが巧みだ。正確で簡潔で、ある種の文章の完成形である。なんていうか、高品質なスタンダード。

 ただ、台詞回しでちょっと癖の強いリズムとか語彙を入れ込んでくるから退屈しない。

 その文章のおかげで、旅の最中の風景がすげー楽しいんだよな。リアリティあるファンタジーって感じだ。こだわりがあるところはものすごい量の注意書きがあって、見てみたくなる。各キャラの専用技的な音楽をあらわした楽譜が発行される印刷所の話とか。

 あとエピソードの完成度がたけえ。高純度ってこういうのを言うんだろうか。

 登場人物がどんどん音楽によって変化していくさまも面白いし、なにより主人公がいいキャラしてるんだよ。ほかのキャラクターも全員生き生きとしていて読んでいて楽しい。

 惜しむべくは、これが脚本だということだ。

 もしこの文章から想像される通りの背景があって、作中の音楽を聴くことができて、舞台の上や画面の中を動き回るキャラクターがいるとしたら、きっと素晴らしく面白いに違いない。

 前に一条も言っていたっけ。現状、これは脚本でしかない。

 ただひたすら、惜しい。あらゆるエンタメを読み込んだ痕跡も、何度も文章を推敲した痕も、なによりも一条がずっとずっと人のことを観察していたところがそこかしこに見受けられるのに。

 しかし創作活動というのは、個人の満足のためでしかない。一条が書いて満足ならそれでも納得しなくもないのだが。もったいねえと勝手に腹は立つが、それでも作者は一条なのだから、なにも言わないだろう。

 だけどな。

 あいつ、自分にコミュニケーション能力があれば絶対に脚本を持ち込みまくるだろ。

 したくないわけでなく、できないだけだ。

 もやっもやして仕方ないが、体育祭でのあれを見ていると、もう一度背中を押すのは躊躇われる。押した先が崖の終わりだったとしたら、俺は正直責任を取れる気がしない。

 とりあえず俺は、感想をメモ書きしたうえでメールに写し、送った。直接会ってだと言葉がまとまる気がしないので。

 ……ところでこれ、大学ノート一冊分終わった、ものすごく気になるところで終わってるんだけど、途中で書くのやめたりしてないよな? 明日続き持ってきてくれるんだよな?

 そわそわしながら眠り、翌朝、準備を済ませスマホを確認してみた。

 既読だけついてた。なあ、俺続き気になるんだけど。続きあるんだよな?

 色々もやもやしながら登校し、一条が来るなり脚本を返した。しっかり両手で、一条の方から見て上下正しくなるように。そもそもが一条のものだが、面白かったから余計丁重に扱いたくなってしまったのだ。

 返したはいいものの、続きが気になるから読ませてくれといっていいものか分からず、微妙に沈黙してしまった。

「……あの、感想、ありがとうございます。あ、まずはその、読んでくれてありがとうございます」

「俺で良ければいつでも読むから」

 つい力がこもってしまった。

「ありがとうございます」

 一条は微笑みを浮かべた。

「そのうえで、足りないと言ってくれて、ありがとうございます」

「……まあ」

 脚本じゃなくて舞台とかになったらきっと面白いだろうな、とは送ったが。足りないとまでは。

「私もそう思いますから」

 いかにも大切そうに脚本を抱きしめ、そちらに目を落とした。三つ編みがやや服へと押しつけられる。

「前に、小説を書いてみたことがあります。私作者と、読者が一人いれば成立する媒体で、幸い私には、本好きの読み手がいましたから」

 そこで、さらに表情をやわらげた。

「けれど、脚本を書く方が、私は楽しかった」

 吐き捨てるような響きで、続けた。

「私の周りに、舞台を作れる人は、いないのに」

「じゃあさ、文化祭で演劇やる?」

 当たり前のような顔をして割って入ってきた女子生徒。あれだ、村上。村上優菜。金髪のロングにピンクのカラコンつけてる派手なやつ。ついでに爪も派手。

 一条はやや驚いた様子で村上の顔を見やり、聞いた。

「クラスで、ということですか?」

「そ。ウチの学校、部活動、クラス、個人、団体って発表があるっしょ。アタシ文化祭実行委員だから、今クラス発表のルールとかすり合わせちょいちょいやってんだけど、演劇とかマジでアリ寄りのアリって結論出ててさー。ど?」

 気だるげな雰囲気ではあるものの、暖かい目をしてる人だ。いい人だな。

「……ご提案はありがたいのですが」

「踏ん切りつかない? じゃあ神頼みね。もしクラス発表が演劇か映画どっちかに決まったら、脚本やってよ」

 一条は多分、いろんな嫌なことを思い出したあと、頭を緩く振って、はっきりと頷いた。

「…………ありがとう、ございます。そこまでしていただけるのなら、お約束いたしましょう。もしもそうなったとしたら、私は脚本に立候補させていただきます」

「オッケー。決まりね。ちなみにどっちのがやってみたいの?」

「……このクラスでやるのなら、演劇です」

「ふーん。なんでかはよく分かんないけどりょーかい」

 じゃね、と村上は手を振った。自席に戻り、スマホを弄り始める。

 一条が頑張って人に話しかけたのが無駄じゃなかったことは、もちろん嬉しい。村上と思ったよりも仲がいいようで、よかった。

 だけど、なんか、なんだろうな。

 嫌な感じがして、自分にイライラしてくる。

 ……そういえば、体育祭のときもこんなんだったな。

「もう少しで中間テストですね」

「おお。今回自信あんの?」

「いえ。いつものようにありません」

 一条と会話をし始めると、まあいいかという気になったから、それ以上気にはしなかった。





 とはいえ、なにか引っかかったので、黒井に話してみた。週末、中間テストの勉強中だった。集中できないと黒井に泣きつかれ電話を繋いでいたのだ。

 すると。

『百パー嫉妬じゃん』

「嫉妬?」

 自然と眉根を寄せる。

「……ああ? 嫉妬?」

 一度自分の中でかみ砕いてみてもよく分からなかった。

 勉強したときの報酬用に置いた一条の脚本の続き(あのあともらえた)をぼーっと眺める。続き気になるんだよな。勉強机の傍にあるのはやっぱ逆効果か?

『なんでそんなピンときてないんだよ。どう考えたって独占欲だよ』

「嫉妬っつったらなんかあれだろ、面倒くさいやつ」

『んんまあそうだけど。なに、自分は面倒な男じゃねえって話?』

「いや……」

 脚本をバイオリンケースの方の机に移動させ、俺は暗記科目の問題を解き始めた。かりかりペンが滑る。

「前に嫉妬したことはあるけど、こんな感じじゃなかったんだよ」

『え? どういう場面で嫉妬したの?』

「……バイオリン上手いやつに嫉妬して」

『あれ?! バイオリンやってんの? そんなこと言ってたっけ?』

 大声で耳が一瞬痛くなる。声でけえなあ。机に置いてスピーカーにしてんだぞ。耳に当ててるんじゃないんだぞ。これ以上小さくすると、逆に声聞こえなくなるんだよな。

 ……まあ、それほど悪い気もしねえんだけど。

「あー、そういや言ってなかったか」

『すごい。カッコいいなあ。でもそっか、クラシック好きなんだもんね。やる楽器のチョイスとしては全然自然か。で、なんの話だっけ?』

「嫉妬の話」

『そう。それ。じゃあ、その前に嫉妬したときとなにが違うの?』

「……その当時は、少なくとも自分に対してこんなにムカついたことはなかったはずだ」

 あとからはいくらでもあったけど。

『ふうん。仮に一条さんに嫉妬していたとして、なんか自分にムカつく原因分かんないの?』

 もし俺が一条に嫉妬していたとしたら。

 まず、そもそも嫉妬したこと自体に腹を立てることは間違いない。バイオリンのときもそうだった。あとから嫉妬したことのダサさに自己嫌悪をこじらせたんだからな。それにバイオリンのときは、自分の下手さに対して苛立ちもしたな。

 さらに自分に怒りを覚えるということは、それ以上のなにかがあった、んだよな。

 何が違ったのか考えてみるか。

「…………」

 嫉妬を向ける対象は、同じ人だ。じゃあ嫉妬するきっかけか? 人と物なんだから、色々違うよな。

 あ? 物?

 バイオリンは、生産され続けるものだ。だから独占なんてできるわけがない。が、一番になることは頑張ればできる。簡単な話、世界規模のバイオリンコンサートで賞を取ればいいんだ。まあ俺じゃ無理に決まってるんだが。

 でも、もしかすると俺は、一条なら大丈夫だって思ってたんじゃないのか?

 背筋が冷えていく。

 無意識のうちに、一条の一番は俺だって思っていなかったか?

 ああ、なるほど。だとしたら俺は、そんな傲慢で気色の悪い思い上がりをした自分に心底腹が立つな。

 シャー芯が砕けた。力を入れすぎたみたいだ。無駄遣いをした。

 嫉妬することでそういう自分に気づいたが故の、あの嫌な感じだったのなら綺麗に納得がいく。

「……あー……」

 机に肘をついて頭を抱えた。やべえ、自分のことが大嫌いになりそう。

『え、分かった?』

「おお。ありがと」

『へえ。……あ、僕友達と勉強してくるから、電話切るね。あ来る?』

「行かねえ」

『まあ、そう言われると思った。じゃあねー』

 切られた。わりとマイペースだよな。

 ……さて。

 これからどんな顔をして一条にあったらいいんだろうか。

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