四十七話 好き
「あ?」
告げられた言葉に、俺は流石に動揺した。一条の、直球でやや勘違いを生む言葉選びにはもう慣れたと思っていたのだが。
俺が呆気に取られてるうちに、一条は続けた。
「関わってくれます。その有難さを今、どうしてかふと、深く感じました」
一条の言葉は、心に響く。感動って意味じゃなくて、そのまんま、体の中でゆったり反響するみたいなんだ。その余韻が印象に残るから、結果的に言葉を鮮烈に記憶してしまうのだ。
端的に言えば、いい曲を聴いている気分になる。
俺はその独特な心地よさを感じながら、そういえばと記憶を掘り返した。
前、人間的に好きなのと、恋愛的に好きなのとでは、なにが違うのかって話をした。結論は、ついてなかったっけ。
一条にとって、そこに大きな違いはないのか。
ならさっきの言葉は告白なのだろうか。いや、そういうことじゃないんだろう。そう思ったことを、ただ俺に教えてくれただけ。
子供が口にするような、深い意味のない暖かな言葉。
「……ありがと」
「…………」
返答に困ったのか、返答に執着をしていなかったのか、一条はそれ以上口を開かなかった。色を変えない横顔を見るのも気が引けて、俺はついさっきも見ていた月へと目を移した。
「……月。綺麗だな」
言ってしまってから、あの話のあとにこれは妙な意味が付与されないか、と気づいた。
かの文豪によれば、日本人の『月が綺麗ですね』というのは、外国の『貴方を愛しています』ってニュアンスらしいから。
「他意はねえ」
「分かっています。そもそも、『月が綺麗ですね』という言葉自体に意味はありません。月が綺麗でなくても、月でなくたっていいのだと思います。夜に共に月を見て、綺麗だと語り合うことに意味があるのです。……多分。その、引用になりますが」
どこからの引用かちょっと気になるが、まあいいか。
団子を口に入れると、じんわり甘味が広がった。特別好きではないはずなのに、なんとなくじっくり味わった。
初めて月見なんてしたが、悪くないかもな。特に、一緒にどうでもいい話を繰り広げられる相手がいるなら。
団子を食べ終えても、しばらくそうしていた。結局帰ったのは、大分夜が更けてからのことだった。
黒井と約束した休日。約束の時間の十分前に着いて、ニ十分待った。
つまり黒井が十分遅れたわけだ。ぼーっと曲を聴いていたので別に構わなかったのだが、彼は着くなり謝ってきた。
「ごめん。寝坊して電車一本逃した」
この通りと、両手を合わせる。反省の表情を作っているフリをしているような顔である。
「じゃ、カフェ行くか」
「マジでカフェ行くんだ。近くにおすすめある感じ?」
「まあ」
言いながら歩き始めると、黒井はにこやかに質問を投げかけてきた。
「行きなれてんの? カフェ」
「そこそこは行ってる」
「へえ。意外。まあ、僕は君のことをあんまり知らないから、大体全部意外になるんだけど」
俺から誘ったくせに、ほとんど黒井から話し始めていた。俺は相変わらず、話を切り出すのが下手くそらしい。
「甘いの好き? 僕は別に普通」
俺もそうだ、と答えればそれ以上話を広げようとせず、
「いつも休日なにしてんの? カフェ巡り?」
いや、行くのは古本屋とか、と答えれば食いついて、
「お洒落だなあー、なんで好きなの?」
俺がぽつぽつ話をすれば、それ以降はずっと聞き役に徹する。
なんか、話しやすい。
やっぱ黒井って話上手いんだな。俺が話しやすい具合に話を誘導されている気がする。そして、右も左もわからん俺は、その誘導に有難くのっかることしかできない。
店に着くと黒井は、おお、お洒落だなあ、とはしゃいだように看板を見上げた。
店内に入るなりきょろきょろと見渡すと、気分良く店内へと入っていった。気に入ってもらえたようでなによりである。
席に着いて、黒井はメニューを眺めながら俺に聞いた。
「なんかおすすめとかあるの?」
「特には。どれも美味しい」
ふんふん、と頷いた黒井は悩みに悩んだ末に、うん、とメニュー表を置いた。
「コーヒーにしようかな」
「苦いの好きなの?」
「普通かなあ。でも今はコーヒーの気分」
「へえ」
前々からうっすら分かってはいたが、気分屋だな。
ブレンドどれにしようかなあ、と再びメニューを開いた黒井から目を離し、俺も注文を決める。ついでに昼食も。ちょうどいい腹の空き具合だったから。
再度顔を上げると、種類が多すぎると頭を抱えている黒井がいた。
「……まあ、なら普通にこのアイスコーヒー頼めばいいんじゃねえの?」
「うーん、そうしようかな」
無事に注文を終え、黒井はふと口を開いた。
「なんでこのお店にしたの?」
「好きだから」
当然のことじゃないか?
俺が首を傾げていると、黒井はもう少し深掘りしていい?なんて前置きをした。
「んじゃ、好きな理由は? ここ近辺ですら、ほかにも安価で美味しいカフェなんていくらでもあるじゃん?」
「……音楽が、いいから」
「今流れてるクラシックのこと?」
「おお。静寂をうるさいと感じず、かつ主張が激しすぎるということもない音量設定と、選曲のセンスが俺と合ってた」
「へえ。クラシックが好きなのかあ。いいね。流れてる曲のタイトルとか分かるの?」
「ああ。着いたときに流れてたのが――」
つい嬉しくなって話しすぎたことに気づいたのは、注文したコーヒーなどが運ばれてきたときだった。
自分の食いつき具合を自覚すると、途端に恥ずかしくなり、俺は黙った。
「……ごめん。急にわけわからん話を始めて」
「いや。楽しかったよ」
じゃあいただきまーす、と黒井はコーヒーのカップを持った。
さらっと流してくれる気遣いに、俺もコーヒーを口に含んだ。
「……あ、美味しいね!」
黒井はほくほく顔で、もう一口。口に合ってなによりだ。
ここのはやっぱり美味しいな。
無言で俺がコーヒーを味わっていると、黒井がふと俺を見た。
「…………あのさー」
彼はいつもの笑みを浮かべ、俺に問うた。
「好きなの? 一条さんのこと」
「あ?」
一瞬、なにを言われたか理解できずに固まった。が、言葉を飲み干して、今までのことをよくよく考え、思い出し、すとんと腑に落ちた。
「ああ! なるほどな」
俺、一条のこと好きなのか。色んな意味で。
「は?」
黒井が眉根を寄せた。心底怪訝そうである。
「あ? 俺変なこと言ったか?」
「いや、変、ていうか、まあ……」
歯切れが悪い。なにか思うことがあるならさっさと言ってほしい。
なんなんだと若干腹立ちつつ待っていると、黒井はまだ言い淀みつつも、答えた。
「まさかなるほどなって返されるとは思わなかった。他人事みたいな言い回しじゃん」
「そうか?」
黒井の言葉に納得した。だからなるほどなと発した。普通だろ。じゃあ他の人はどんな反応するんだよ。
とか思っていると、黒井は心を見透かしたのかなんなのか、
「僕の感覚的には、好きだって自覚すると、その事実と、それを話している相手に知られたことに照れるんだよ」
「へえ」
イマイチぴんとこない。
「まあ、俺一条のことが好きだってことに気づけてよかったわ。ありがと」
「いや、僕はなんもしてないよ。ただ、さっきの市川君の勢いにどことなく一条さんを感じただけで」
「つまり、俺と一条が似てるってことか?」
「んー、うん。少なくとも似通ってる部分はあるんじゃないかな?」
「へえ。それいいな」
意味が分からないけど、そう言われてちょっと嬉しい自分がいる。
「……ぜんっぜん照れないね。普通に好きとか、いいなとか言えちゃうんだあ……」
「好きなもんは好きだろ。どこに照れる要素があるんだ」
「人に対してじゃなかったら納得できるんだけども。じゃあ一条さんに告白するの?」
「いや。わざわざ好きって宣言する必要はなくね? 聞かれたんならまだしも」
あ? でも好きって言われたら嬉しいのか? だったら言った方がいいんだろうか。でも、俺に言われたからって嬉しいとは限らねえよな。
というか、そっか。あー。それで今の居心地いい関係が崩れるのかもしれないよな。それは嫌だな。
少しせこい気がするけど、別に言う必要もないか。
俺がそう結論付けているうちに、黒井はなんかまた頭を抱えている。
「よくわかんない。なにその価値観。AIに愛だけインストールしたみたいな理解不能さがあるんだけど」
「そのたとえこそ意味がわかんねえんだけど」
「言ってて僕もわかんなくなってきたからもういいや」
なら終わりにすればいいだろうに、黒井はまだ話を引っ張った。
「ちなみにどういうとこが好きなの?」
「……一緒にいて心地いいとこ。あと……まあ、全部」
いちいち挙げるの面倒くさくなる量思い浮かんだ。全部って便利な言葉だな。
黒井が変な音を立ててコーヒーを飲み込んだ。げほげほと咳き込む。なんだこいつ。
「なんでもない。この話辞めよう」
「はあ」
奇怪極まりない。
それから黒井は、最近流行っている音楽の話とか、漫画がどうだという話、はては小テストの点数まで聞いてきたし、話してきた。
そうして話すうちに、こいつがオカルト好きらしいと分かった。怖い話を聞いて怖がる、というよりは、その土地の地理や歴史が反映された、文化としてのオカルトが好きらしい。
まあ好きって程じゃないんだけど、といいつつ、他の話題のときより口数が多かった。なんで否定するんだろうな。謙遜のつもりなんだろうか。
正直、その話がすげー面白かった。一条と話しているときもそうだけど、自分が知らない分野とか雑学とかを分かりやすく熱弁されるの、楽しいんだよな。相手が好きなものだとなおさら。
そういうわけで、俺としては中々楽しい時間を過ごせた。
黒井も楽しんでくれたのか、次はもうちょい体動かすとこ行こーと手を振って別れた。
ついでにCDショップに寄ろうと思い立ち、ぼけーっとしながら歩いている途中、ふと、一条はなにしてんのかな、と考えた。
なんでもいいか、とも思った。




