四十六話 月見
「市川くん、お月見しませんか?」
一条に言われ、動きを止めた。
体育祭期間の一連の出来事については自分の中で区切りをつけたらしい。それが諦めゆえなのか吹っ切れたがゆえなのかは知らないが、俺としてはいつも通りに戻ってなによりである。
弁当を頬張りつつも一条に目をやり、話の続きを促した。
「今日は、月がちょうどよく見えるそうですから」
少し思考し、口の中のものを飲み込んだ。
「どこで見んだよ。ここら辺の空って狭いだろ」
一条はじっと俺の目を見た。
「見えなくてもいいのです。ただ、私が市川くんと同じ景色を共有したいだけですから」
脆そうなくらい真っすぐで、突き刺さったら痛そうな目が見据えてくる。
どういう意味かドキリとして、目を逸らした。
放課後、並んでコンビニへと向かった。お月見にはお団子です、ということらしい。
ワルツでも踊っているように、足取りが上品ながら軽やかだった。
一条は基本、機械で打ち込んだように規則正しい足音を刻む。文字だってそうだし、抑揚も表情もそうだ。表面上から感情が読み取りにくいのだ。
でも、リズムは気分で変わる。楽しいときは速いし、悲しいときはゆっくりだし、焦っているときはほんの少しバランスが崩れる。
つまり、歩く音が軽快に聴こえるということは、わくわくしていたり、楽しんでいたりするのだろう。
それにつられた俺の足音も速くなる。だから、思っていたよりも早くコンビニに着いた。
来店音を背に、一条は真っ先に食品コーナーに向かった。
「なんでそんな急ぐんだよ」
「コンビニには誘惑が恐ろしい量存在します。ですので、あんまり見ないようにしています」
三つ編みを両手で握っている。視界を狭めているつもりらしい。
まあ、誘惑が多いってのは分からんでもない。なんでもあるもんな。
屈んだ一条の目線に合わせ、ちらっと彼女の方を見やった。
おお、三つ編みしか見えねえ。そんなんで視界妨害できるのか。すげー。
「なあ、髪ぐっしゃぐしゃになってっけど」
「本当です。握りすぎていたみたいです」
力を緩め、一条は俺と目を合わせた。結局こっち見るのかよ。
「どれがいいですか?」
「どれでもいいけど」
複数あるけど、所詮は月見団子だろ。そんな味変わるか?
「じゃあうさぎさんがいらっしゃるこちらにしましょう」
団子が四つ入ったそれを丁重に運び、レジへと持っていった。
うさぎに敬意払う必要あんのかな。というか半分はただの団子だったけど。
くだらないことを考えていると、一条が会計を終わらせてしまった。
「いくらだった?」
「なぜ値段を?」
「半分払おうと思ったんだよ。俺も食べるんだし」
一条は両手で箱を握りながら、考え込むように俯いた。言うことが決まったらしく、顔を上げた。
「私が払いたいから、払うのです。友達に甘えすぎるのはよくありません」
「……ああ、そう」
なんでかわかんねえけど、その言葉が嬉しかった。だから、それ以上なにも言わなかった。
秋とはいえ、十月六日なんてまだまだ日は長い。お月見というには微妙な空色だ。
適当にそこらを歩きながら、雑談をして時間をつぶす。
どうでもいいくだらない話から、直近の小テストについてまで、話が行ったり来たり飛んだり跳ねたりする。
季節外れにもほどがあるが、夏休みの思い出について話したりもした。たまに無言が続く時間がありもする。まあ、昼休み一緒にいるときと同じだ。
「もしもできることならば、市川くんの音楽を近くで聞いてみたいものです」
なんの前触れも脈絡もなく、一条はふと呟いた。
「別にいいけど」
「え? いいんですか? いつですか? 今聴けますか?」
そんなに食いつかれるとは思わず、ついたじろいだ。
「……まあ、いつかな。バイオリンまだ下手なんだよ」
「そうですか。市川くんの納得いく演奏ができるようになったら、聴かせてくださいね」
にこ、とわずかに、口が笑みの形になった。目が少し細められる。
「……おお」
なんとなく、目を逸らした。
だらだら時間をつぶしていたらいい感じの夜になったので、花火をした公園へと歩いた。
夏休みに来たときに比べ、少しだけ風が厳しくなったか。緑だった葉が、赤く色づきつつある気がする。
ベンチに座り見上げると、白とも黄色ともいえる月が視界に写った。
一条は律儀に守り続けていた団子をそっと置いた。
「今年は十月にずれ込みましたね」
「へえ」
「先生がおっしゃっていましたよ」
「ああ、そういや言ってたな」
真剣に聞いていたわけではない。聞き流していた情報を脳が勝手に記憶していただけだ。
しばらく黙って月を眺めていた一条は、は、と隣に目を移した。
「お団子、食べましょうか」
団子のことを忘れるくらい月に見入っていたのならなによりである。
コンビニ袋が擦れる音がして、団子が顔を出した。そーっと一条は蓋を開けかけ、途中で怖くなったのか俺に渡してきた。
「すみません。あの、ぶちまけそうで怖いです。お願いしてもいいでしょうか?」
「おお」
体育祭期間のときに水をまき散らしたのは記憶に新しい。
ぱかりと外し、コンビニ袋の中に入れた。
「では、あの、半分ずつにしましょうか」
うさぎが二つ、普通のが二つ。ちょうどよかったな。
いただきます、と手を合わせた。一条の容器を持つ手が緊張気味に震えていたので、慌てて回収した。
どうやら箸を貰うのを忘れたようで、手づかみである。これなら落とす心配はないな、と目を離しかけた瞬間落として両手で受け止めた。
一条は数秒、手の上に乗ったうさぎと目を合わせていた。驚きで思考停止してる。
俺はいつの間にか体が前のめりになっていた。心配になっちゃったらしい。すっと戻す。
「……市川くん」
若干の恥と、結構な申し訳なさを含んだ顔をこちらに向けた。
「あの、食べさせてもらいませんか?」
「……俺はいいけど」
お前はそれでいいのか。
複雑な感情で見返すと、ぽつん、とこぼした。
「……一人でお団子を食べることができない自分に、深い失望を覚えます」
まあ確かにどうかと思うけど。
「いいよ、別に。そのまま持ってろよ」
三つ団子が入った容器の方に蓋をして、コンビニ袋ごと持ち上げると、俺は一席分近づいた。さっきまで俺が座っていた席に袋を置く。タイツとズボン越しに足がくっつくが気にしない。熱を感じるがじきになれる。
ほらもう慣れてきた。
一条の両手に乗っていたうさぎをひょいと持ち、一条を見やった。こくんと頷いた彼女は、歯医者に口内を見せるように大きく口を開けた。おお、入れやすい。
歯、綺麗だな。真っ白だし揃っている。これ、どこにうさぎ置きゃいいんだろ。とりあえずベロの真ん中か?
あ、ヤバい。唾っぽい水分。
これ以上余計なことに気づく前にとうさぎを突っ込んだ。
ゆっくりもぐもぐと咀嚼した一条は、ふわりと頬を緩めた。時間をかけて飲み込んだあと、俺の方に軽く礼をする。
「美味しいです。ありがとうございます」
ふと一条は真顔になった。
「ところでこれ、うさぎさんにとっては猟奇的ですね」
「まあ、自分の姿を模した食べ物を平然と食べられてるからな」
「……言われてみれば、そちらもそうですね。お団子のうさぎさんだけでなく、動物のうさぎさんにとっても猟奇的になるわけですか」
「まあここにうさぎいねえけどな」
「そうですね。……あ、いえ。月うさぎさんはいますか」
一条が視線を移した。
まだ真っ暗には遠い、紺色の空である。凛と昇った満月にうさぎは見当たらない。
冷えた風がやや強めに吹いた。もう、夜になると充分冷え込むな。
「市川くん」
「おお」
レンズ越しに俺と同じ月を眺めながら、一条はいつも通りの静けさを纏った声で、やや微笑みの滲んだ唇をはっきりと動かした。
「私、市川くんのこと、好きですよ」




