四十四話 体育祭 午後
「おお。月待にだろ? よかったな」
どうしましょう、と再び一条は呟いた。
「好きにすりゃいいんじゃねえの? どうしましょうもこうしましょうもねえだろ」
「月待さんは市川くんじゃありません」
「は?」
一瞬、本気でなにを言っているのか分からず、思考が停止した。
「……そりゃそうだろ」
どうしたんだこいつ。
慌てていながらも喜色を醸し出した一条は、しかしどこか深刻そうに、
「市川くんは、とても優しいから、私がなにを言っても許してくれます。でも、月待さんはそうじゃありません」
俺が優しい判定になるなら月待はさらに優しいだろ。
「私は応援しています」
ぶつぶつと、半ば独り言じみた声。
「私は確かに応援しているのです。でも、私にとってはよいことが、相手にとって正しいとは限りません。もしかしたら、悪い方向に進めてしまうかもしれない。ですが、そのほかに私ができることなんてなにがあるのでしょう」
「よくわかんねえけどさ」
それこそ、『悪い方向に進めてしまうかもしれない』と躊躇しつつも、俺は口を開いた。
「一条の好きにしたらいいだろ。いい方向にも悪い方向にもなりかねないけど、それは行動を起こそうが起こすまいが同じだろ。お前自身が納得できる方でいいんじゃねえの?」
余計だろうか、と思いつつ、もう一言、付け足した。
「俺が見る限り、一条は行動しない方の後悔のが大きい気がしてるんだけど」
一条が真剣に考え始めたのを見て、俺は弁当の入った保冷バッグを持った。
「じゃ、俺ご飯食べるから」
もし用事がなければ一緒に、とは思っていたんだけどな。それより優先したいことが一条にはあるようだから、別にいい。
「え、はい」
唐突のことでやや固まっている一条をスルーし、俺は中庭へと向かった。グラウンド付近、あと涼しい校舎内はどうせ人が多いだろ。はじめっから妥協しとけば面倒が少ない。自然が多いから多少はマシだしな。
座りづらいベンチに座った。母が作ってくれた肉弁当を食べる。
「美味しいな」
思っていたよりも日影になっているし、人もまだまばらだった。
舌鼓を打ちつつ、バクバクと食べ進める。体が栄養を欲していたせいか、いつもより大分美味しく感じた。まあ、普段から美味しく食べてるんだが。
……一条のあんな喜び方、初めて見たな。今頃何話してんだろうな。
ふと、なんか、嫌な感じがした。自分に。
箸が止まる。
ざらざらと桜の木の葉が擦れる音がした。
あー、考えるのやめるか。
肉弁当を食べきって、手を合わせる。
「ご馳走さまでした」
帰ったらちゃんと母に礼を言わなきゃな。
俺の両親は基本行事に来ない。小学生の頃はギリギリ来ていたような気がするが、中学に入って俺がなんとなく嫌だと言ったら、それからは不参加になった。
高校に入ってからも、興味はないわけではないみたいだが、多分俺が言わない限りは来ねえんじゃねえかな。父はともかく、参加できるだろう母が、俺を気遣っているのかいないのか、行きたいとかいわれなかったし。
昼休憩が終われば、応援合戦を経て、午後の競技。
午後一発目はパン食い競争。
流石にハードだろ。今満腹になったばっかだぞ。
とか思っていたんだが、大喜びで独走状態を走り抜け、一番遠くて一番でかいメロンパン食べに行った先輩がいた。
すげえなと感心していたら、黒井の爆笑する声がどこからか聞こえてきた。
応援の声があるのに、なんで聞こえるんだよ。どれだけ大声で笑っているんだ。
恐ろしいことに、五分間ほど笑い終えては思い出し笑い終えては思い出しを繰り返し、そして急にすんと収まった。
気持ちいい笑い方をするので、つられるやつはまあつられる。案の定何人かがツボに入った声が聞こえてきた。どちらが聞こえようが耳が痛いことに変わりはないが、聞いていて楽なのは応援より笑い声だったので、ちょっとだけ感謝の念が湧いた。
パン食い競争が終わると、部活組が部活対抗リレーで消えた。
ざっと数えて、残っているのは半数くらいだろうか。イコール全員帰宅部、とはいかない。リレーのルールのせいだ。
事前に、体育祭の実行委員会へ計画書を提出する。リレーの形式を利用した工夫に、その部活らしさが認められなければ失格扱いになる。ちなみに再提出不可である。
見ている側が楽しめるように、最低限の完成度の確保しているのだろう。
さらに本番、よりクオリティの高い部活には特別賞がある。複数の特典から選べるようで、中に部費増額が入っているので、各部活全力でくるらしい。クラスの人が言っていた。
つまり、見ていてまあ楽しい。
強いのは音楽系の部活だな。人数が多いからアイデアの数、クオリティが段違いだ。
音楽科に落ちて音楽推薦でこっちに来る人がまあまあいるからだろうな。吹奏楽部、軽音部、合唱部――コーラス部とか。
一条はキラキラした目でメモを取っていた。映画部も演劇部もあるのに入らないのは、まあ、上手くやれる自信がないから、なのだろうな。
顔持ちを見る限り、月待と話した結果はそこまで酷いものじゃなかったようだ。
よかった。
個人的に部活対抗リレーが一番楽しめたな。
三年の借り人競争、二年の徒競走と無事に終わったが、一年の二人三脚の途中で月雪のグループが怪我をした。
黒井はいつになく深刻そうな顔をしていた。勘でしかないが、体の状態ではなく精神状態を心配していたように思う。
ただ、月雪も一緒に転んだ二人も、次のダンスには普通に参加できていたので、内心ほっとした。
全競技が終わって、閉会式。
白組が優勝だった。
俺のクラスは白なので、勝ったということになる。
正直勝敗とかどうでもいい。それより今すぐ帰って風呂入ってベッドにダイブしたい。
が、一条を含めた白組の人が、今日一番に耳が痛むほど大きな声で喜んでいるのを見ると、なにも言えない。
椅子を教室へと運び、明日以降の業務連絡やらなんやらを終えると、解散になった。
疲れ切った腕で、疲れ切った肩に、空の弁当箱だけ詰めた鞄を乗せた。
なにも言わず早く帰ろう。
そう足を動かしたところで、ちらちらと、一条が女子数人のグループを見やっているのに気づいてしまった。




