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四十話 衣装づくり

 この学校は、とにかく熱量がある人が多い。勉強も部活も人間関係も全部ひっくるめて頑張ろう、楽しもうって人が過半数なのだ。

 そして、今日から衣装づくり開始である。

 つまりなにが起こるかというと、各々私服を持ってきて工夫しよう、とコストを削減し、その分を小物などのクオリティアップに割こうとこだわりだし、いつの間にか装飾が凝ったものになっているわけだ。

 女子の私物やら百均で買ってきたものやらを使ったメイクはどんどん複雑になっていっているし、服だって最初はクオリティよりも速さ優先だったのが、どんどん原型が崩れていく。ルール的に、速くても得点、完成度が高くても得点なので。


 一条が、もみくちゃにされていた。彼女が持ってきたのは、シンプルな白いワンピースだけのはずなのに、演劇部がパニエを持って来ただのと言い出して、ロングスカートのふくらみは膨張していったし、手芸部のやつがいつの間にか透け感のある生地を何層にも追加していた。

 最初こそ勢いに困惑していた一条はしかし、状況を理解し始めると、それはもう楽しそうに、変化するワンピースを見下ろしていた。

 多分、そうやって誰かに関わってもらえることが嬉しいんだろうな。

 にしてもいつそんなに、と考えて、思い至った。

 一条を見守る金髪にピンクのカラコンをつけた女子生徒。黒井の斜め前の席の人だ。始業式のときに黒井に対して挨拶できていたから、それ以降の日にどっかで話したのかもしれない。

 俺はそうでもなかった。黒井に目つき悪いから不健康メイクめっちゃ似合うね、と笑われたくらいだ。

 すげえなあ、始業式から変わろうとしてんだろうなあ、と感心しつつ、俺は盛り上がっている空間からそっと離れた。

 なんもすることねえなあ。

 熱が混在するそこをぼーっと眺める。よくあんなにわいわいできるよな。

「本気で暇してるね」

 お人よしというか、気が利くというか。

 どうも一人の人を放っておけないらしい学級委員は、集団からはけた俺の方に来た。

「楽でいい」

 中学の頃は、怪我をしたらバイオリンができなくなるからという理由で体育祭を休んでいた。なのに徒競走の並び順だのなんだのと練習があって、ひたすら面倒だった記憶がある。まあ休むのは俺自身の判断だし、どうこうしろって要望はなかったんだが。

「まあそりゃ楽だろうけども」

「おーい、学級代表どっちか来てー!」

「あ、私行くー!」

 ああそっか、月雪も学級委員なんだっけ。

 そんなことをぼんやり思った。

「黒井―。ちょっと確認してきてほしいことが――」

「ほーいっ。市川君も手伝ってね。じゃ」

 軽やかに走っていった。そういや、黒井って陸上部だったっけ。

「あ、市川さ、オレの後だよな? 衣装ってどんなん?」

 黒井と話し終わったのを見た一人の男子生徒が、話しかけてきた。まさか声を掛けられるとは思わなかったが、返答すれば、案外まともに話せた。

「……市川って話しやすいな。もっと怖いかと思ってたわ」

「そうか?」

 怖いかはともかく、第一印象が悪い自覚はある。が、話しやすいって言われたことあったかな。

 まあ、話しやすいのならよかった。

 その男子生徒と話していたら、それを皮切りに仮装リレーに参加する人に自然と声をかけられたし、会話の中に入ることができた。

 存外うまく、人とのコミュニケーションをこなせた。

 意外だった。入学式のときよりもはるかに自分が上手く話せている感覚があったのだ。

 一条や黒井のおかげで、成長したということなのかもしれない。

 あと単純にクラスの人たちがいい人なのもある。というか、むしろそれが八割くらいだ。




「リレーの練習に、付き合っていただけませんか」

 放課後、帰ろうとする俺の腕をひっつかみ、一条は俺を見上げた。

「別にいいけど」

 俺でいいのか、と思った。今日の様子を見るに、今のところはクラスメートとも順調のようだし、なにも俺にこだわらなくたっていいのではないか。お願いすれば引き受けてくれる人が大半だろう。基本優しい人が多いし。そもそも一条は根が真面目で善良なのだ。そう悪印象を抱かれる性質ではない。まずいところに踏み込んでしまいはするが謝れるし、強い言葉を使ったりはしないし、情緒が安定しているし……。

 などと考えていた俺をよそに、一条はほっと体から力を抜いた。俺の腕が放される。

「ありがとうございます」

 柔らかな雰囲気だった。

 俺はなんとなく、鞄を握り直した。

「練習ってなにするんだ?」

「公園で一通り走ってみようかと」

 体育は苦手です。だろうな。市川くんは苦じゃなさそうですよね。まあ苦手じゃないな。コツでもあるのですか。別に。

 そんなことを話しながら階段を降りた。

 下駄箱から出したローファーを、一条はしゃがみこんで床に置いた。先に靴を履いたあと、運動靴を下駄箱に戻す。

 ゆったりと立ち上がると、一条はやや緊張した面持ちで外を見据えた。

「公園まで、走ってみます」

「……バテねえ?」

「行きます」

 話聞けよ、と俺が言う前に昇降口を駆けだした。ローファーでそれは無謀じゃないか、とも言いそびれた。

 昇降口から数メートル先で転んだ。丁寧に整えられていたスカートが汚れる。

「は、ちょ」

 つい鞄を雑に放り投げ、ローファーに足を突っ込んで一条の方に駆けよった。

「…………」

 一条は、自分への羞恥と恨みとその他諸々の感情がないまぜになった顔を寄こしてきた。

「とりあえず、保健室、行くか?」

「いえ。保健室とは学校で怪我した人の為の場所です。私に行く権利はありません」

 膝の擦り傷から血が垂れている。あと右手にも擦り傷が見える。大丈夫かよ。

「ないことはないだろ。昇降口前で転んだんだから」

 一条が鞄を握って立ち上がり、スカートを軽くはたいた。俺が手を差し出すと、訝し気に首を傾げたあと、はっと思いついたように鞄を乗せた。よりにもよってなんで怪我した右手の方で鞄を持ってたんだ。痛々しい。

「ありがとうございます」

 ここがコンクリートでよかったな。もし校庭だったら相当スカート汚れてたぞ。

「では、公園に行きましょうか」

「本当に保健室行かねえの?」

 徒歩通学ならまだしも、電車通学でその傷を放置は流石にしんどいだろ。

 多分歪んでいる俺の顔を前に、一条は首を振った。

「いいです」

 珍しく若干むきというか、拗ねたというか。そんな口調だった。

「わーったよ。なら、練習今日はやめとこうぜ。菌が入って長引いたら困るだろ」

「……やっぱり、あの、面倒ですか」

 ふと顔を曇らせる。こいつ、変なとこで弱気だし、面倒くさいよな。

 まあいいんだけどさ。

「そうじゃねえけど」

「では行きましょう」

 ほんと頑固だな。ずかずかと歩き始めた一条に、俺は諦めて鞄を取りに戻った。

 公園に着いて水道を見つけた俺は、ひとまず傷口を洗うことを提案した。一条は案外素直に頷いて、勢いよく水をぶちまけた。傷口の膝はしっかり濡れたが、勢いが強すぎて跳ね返った結果、腹の周りが全部濡れた。

 痛いだろ、という前にびしょ濡れになった。

 こんなに駄目な感じだったか? こいつ。

「……慣れないことをすると、いつもこうです。だから、誰にも迷惑をかけないように一人でやって、どうしようもなくなります」

 唇を引き結びつつ、一条はジャケットとブラウスとスカートを絞った。

 その一言で、息を止めた。俺はなんかすげー嬉しくて、口が緩んだ。

 運動するから、というので制服の中に運動着を着ていたことは幸いなのだろう。制服は全部脱いだ。生真面目にジャケットの全部のボタンを留めていなければ、ジャケットは無事だっただろうに。

 なお体操着まで濡れている。

 まだ暑い時期でよかったな。とはいえもう夕方だし、今日はあいにくの曇り。やや冷えた風が定期的に吹いているので、そのまんまじゃ風邪を引きそうだ。

 俺は悩んだ結果、学校指定のジャージがあるのを思い出した。気温が読めなかったから持ってきたはいいものの、使わなかったやつ。

 一条なら気にしないだろ、という確信のもと差し出してみたら、あっさりと着た。

「ぶかぶかですね」

「だろうな。腕まくりしろ」

「はい」

 慣れた動きで、腕と足の袖をまくった。こういうところは器用なのに、なんで蛇口をひねりすぎるミスをするんだ。

 いやそうか。慣れてないからか。

「ちょうどいいバランスの刺繍ですね」

 市川、のところをつまみながら一条が言った。

 まあ、他人の苗字が刺繍されたジャージとか、あんま着ないもんな。

「私、一と条で両極端ですから」

「はあ」

 条っていうほど画数多い方でもないだろ、と思った。

「リレーで走る距離は百メートルですから、一度走ってみます。気になる点があればご教授お願いします」

 一条は鞄やら服やらを俺に預けると、準備運動をし始めた。

 ……衣装づくりのとき、やる気のある人が多い、と思った。思ったんだが、一条くらい本気な人はちょっと知らない。

 しかも一条は、体育が終わったあとは大抵目が終わってる。数メートルで転んでいるし、俺だったら早々放棄している。

 よくもまあ、苦手なことを頑張るなあ、と一人でいちに、さんし、とやっている一条を見た。

 どうやら終わったらしく、一条はごく真面目に構えると、走り出した。

 途中で体力切れを起こして止まった。ついでに足をもつれさせてまた転んだ。

「……」

 追いついて一条を見下ろす。いつになく弱気そうな彼女を安心させるべく、俺は一条を引っ張り上げながら語り出した。

「体力不足は、数日走れば気にならなくなるはずだ。体力さえあれば、速さは姿勢で改善できる。努力すればなんとかできるだろ。な」

「市川くん」

「なんだよ」

 俺をまっすぐ見やった一条は深々と頭を下げた。

「本当に、ありがとうございます」

「俺まだなんもやってねえんだけど」

「感謝しても、しきれないくらい」

 実感のこもった声に、俺はもう食い下がらなかった。

「遅いのは、前傾姿勢になってるのと体全体に力が入っているのが原因、だと思う。それさえ改善できれば、今よりは確実に速くなる」

 その代わりそう教えてやると、一条はスマホを取り出し、俺の手の上に乗せた。これ以上俺になにを預けるっていうんだ。

「あの、撮ってくれませんか?」

 ……両肩が鞄二つで、左腕が濡れた制服で埋まってるんだが。

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