三十八話 体育祭準備
テストが終わり、久しぶりの学校生活にも慣れてきたころ。
体育祭の競技決めの時間が来た。
基本全員参加ではあるのだが、どちらか一つにだけ参加する決まりの競技があるのだ。クラスを半分に分け、二つの競技に振り分けるわけである。
一年は二人三脚か仮装リレーのどちらかということになっている。
どちらか個人技であればよかったのにな。協調できない人間を想定していない種目である。
人と一緒に走るよりはと思ったので、俺は仮装リレーの方に入った。おそらく同じことを思ったであろう一条も、仮装リレーの方にしていた。
幸い参加競技は話し合いで平和的に決まり、あとはそれぞれで進めよう、ということになったらしい。
学級委員の黒井主導でなにをテーマにするかなどを話し合う時間になった。
が、よく話す人たちであらかた決まった。
隅でぼんやり聞き流していれば、さくさく話がまとまっていくのが分かった。片っ端からあれこれ意見を出して、上手い具合に拾いながらまとめる。協調性の塊みたいなやつばっかだ。
一条は書記として、それらを一つ一つ簡潔に記していっている。ときどき顔を上げる余裕さえある。こいつはこいつで凄いな。
多分このクラスの人たち、全員情報の取捨選択が上手なんだろう。羨ましい限りだ。
などとくだらないことを考えていたら、黒井の一言で我に返った。
「どっちか女装になるけど」
残っているのは、俺と男子生徒一人。
くそ、適当に余ったのでいいとかいうんじゃなかった。
後悔しつつ、ちらりと男子生徒を見やる。よく黒井とか他の人とつるんでいる、大人しそうな奴だ。押し付けるには、その、良心の呵責が。
これがもし黒井とか星野とかであれば遠慮なく押し付けられたのだが。
一条は記録していてこちらを全く気にしていないし、黒井に至っては面白がっている顔だ。
女子の誰かと交換してもらうか、とか考えていると、すっと男子生徒が手を上げた。
やります、とはっきりそう言った。誇張なしで神かと思った。
無事に女装を回避できて、肩から力が抜けた。
授業が終わったあと、その男子生徒に話しかけた。
「さっき、ありがと」
自分から話しかけるなんて正直初めてだから、ぶっきらぼうになったのは勘弁してほしい。
その男子生徒――確か月待蒼ってやつ――は、なんてことないように控えめな笑みを浮かべた。
「い、いえ、その、僕がただ、やりたかっただけなので」
ほんの少し悩むように目を逸らし、顔を傾けたあと、俺と目を合わせ直した。
「あの、一緒に頑張ろう、ね」
「おお」
いい人だと思った。
移動教室だからと、友達と歩き始めた彼が立ち去ったあと、ふっと息を吐いた。
昼休み、一条と一緒にいつもの場所に行こうとすると、黒井に呼び止められた。一条はそれを見ると、さっさと進んでいった。一人で先に食べてますね、ということなのだろう。
「ああ、一条さん行っちゃった」
まあいっか、と黒井は話し出した。
「仮装リレー組で、衣装案出し合おうって話あってさ。今日の放課後空いてない? ほら、一年って二、三年と違ってあんまりクラス単位でなんかやることって少ないじゃん? ちょうどいいし親睦会も兼ねてってことで」
さりげなく扉前から移動している。小器用だな。
「……別にいいけど」
どうせ予定もないわけだし、黒井からは色々学ぶことがありそうだし。
「じゃあ一条さんにも話しておいてくれない? それによって僕の昼休みが確保される」
「わーったよ。どこ集合?」
「号令あと教室にいてほしい」
「わかった」
黒井がひゃっほーいと購買の方に駆けていくのを横目に、俺は屋上前の階段に向かった。
黒井からの話を一条にすると、行きますと返ってきた。そのあとスマホを取り出し、少しいじったあと、閉じる。誰かしらに連絡しているのだろう。
五限と六限の間、隙を見てそのことを黒井に話すと、了解、ありがとうと答えられた。
「そういや、話す場所は結局どうすんだ? 教室使えるってことか?」
「僕がさっきファミレス予約した。十五人いますーって言っても快諾してくれたよ。いやあ、ここの高校だっていうと大抵許可下りるんだよね。先輩様様って感じだ」
都内有数の高偏差値高校だ。基本その辺がしっかりしている生徒が多いし、仮にマナー違反する奴がいても、団体であれば他の奴が確実に注意するだろう。
そういう信頼感の土壌ができているってのは、確かに便利だよな。
というわけで、放課後、ファミレスに入った。四人席を四テーブル使い、各々自分の仮装を相談しつつ、次回決めるときにスムーズに進められるくらいのイメージを決める、みたいな感じらしい。詰めていくために、箱を用意する感じ。
俺は中学の頃の自分を思い出しつつ、そんなことをしたらあぶれる人が一人二人出てくるんじゃないかと考えたのだが、杞憂だった。
全員が楽しそうだ。なにを食べるだの何飲むだのとやいやい言いながら、席代としてなにかしら頼みつつ、本題のことをさっくりと決め始めている。
黒井に引っ張り込まれ、俺と一条と黒井と月待、というメンバーの一卓になった。
なんとなくの流れで、俺の隣に黒井、その向かい側に月待、俺の向かい側に一条の形で座った。
「一条さんがいるし、メモ、お願いしていいかな。スマホでもルーズリーフでもなんでもいいから」
「はい」
よく持ち歩いているメモ帳を一条は手に持った。毎回いつの間にか持っていたから気づかなかったが、どうもスカートのポケットに入っているらしい。
「まあ、とりあえずなんか頼もっか。なにがいいかなあ」
比較的無口な人たちが集まった中、黒井はひたすら話続けた。
「あ、これいいなあ。月待君どうする?」
「えねえねえ、市川君これ一緒に食べない?」
「あ、一条さんこれとかいらない? いらないかあ……」
「え、うそこんなの売ってんの? 結構来てたのに初めて知ったー。みんなは?」
よくもまあメニュー表を見ているだけでこんだけ話題を出せるなと感心するくらいだ。
全員のメニューが決まったタイミングで店員を呼び、注文をしたあとはさらに凄かった。
「それじゃ衣装案出すかあ。月待君こういうの詳しくなかったっけ」
「詳しいのは、僕の友達」
「あーそっか」
人見知りするタイプらしい月待の緊張を、一瞬で解いた。やや積極的に発言するようになった月待と黒井が基本的に会話を回してくれるので、俺と一条はただそこに思ったことを乗せればいいだけだった。非常に楽だった。
普段から適当そうに見えてかなり頭を回しているタイプだとは思っていたが、こんなに凄いとは思っていなかった。大いに評価を上方修正する。
「分かります、そのアニメ面白いですよね」
「わかるかわる! あとさ、今期で言えばあれも面白くない?」
「あ、それなら僕も知ってるよ。えと、お母さんが好きなんだよね」
黒井も一条もアニメやら漫画やらの知識の幅が広いので、そこで盛り上がっていた。そして、月待もそこに混ざれないほどの無知ではないらしい。
熱のある会話は、聞いてるだけで楽しい。彼らが挙げたタイトルをスマホにメモしておいた。あとで観てみよう。
「市川君は?」
突然話を振られ、一瞬言い淀んだが、すぐ持ち直した。
「俺、あんまアニメ詳しくねえよ」
「え、マジ? アニソン聴いてたから好きだと思ってた」
「歌は聴くけど観ることはあんまない」
「そうなんだ。ええじゃあさ、この前聴いてたあれだけはアニメか、原作漫画読んでくんない? 主題歌の歌詞マジで百八十度変わるから」
「あ、あとあれも原作読むと雰囲気変わるよね」
月待はほんのちょっと前のめりになり、黒井はぐいっと俺に近づいた。黒井が顔の前で勢いよく手を合わせる。
「そうそう! お願いッ!」
熱量に押され、俺は素直に頷いた。スマホにメモをしておく。二十作品はでたけど、俺観れるかな。
注文が届くと、ああそうだった、衣装案、と黒井が真剣な顔をした。
全員であれこれ案を出していけば、ざっくりとしたシルエットやらなにを使うかやらは決まった。
こうなってしまえばあとはもう食べるだけ、ということで、黒井は嬉々として料理に手を伸ばした。
今日は部活動がなかったのに、黒井は夕食に等しい量食べている。一条が頼んだのはドリンクだけだし、月待にしても軽いデザートくらいなものである。俺だってそこまで頼んでない。
くだらない雑談で盛り上がっているのを眺めていると、ふと、中学の頃を思い出した。
もし、中学の頃このクラスだったら、もう少し林間やら修学旅行も楽しめたんだろうか。
班行動のとき、目つきが悪くて口下手で無口だった俺が班員から怖がられた結果、男女四人が多分別行動し、俺のことを滅茶苦茶怖がる男子生徒一人と一緒に回ることになったな。
男子生徒への申し訳なさと、どうしたらいいか分からなくて焦る気持ちと、これでこっちの評価下がったらやってらんねえという怒りとで今となってはとんでもなく苦い思い出になっている。
だけど、来年の修学旅行はちょっと楽しみだな。もちろんこのクラスじゃなくなってはいるんだろうけど、中学よりは楽しめそうだ。
「そうだ、クラスのグループにそのメモ送っておいてくれない?」
その一言で、俺と一条が固まった。
「……すみません、なんでしょうかそれ」
一条の一声で、今度は月待が固まった。ちょっと青ざめている。なんでだ? 同じような状況になったことでもあるんだろうか。
「あれ? 入ってない? クラスのグループ。そいじゃ招待するから……いや待って僕市川君と一条さんの連絡先知らないや。くれない?」
「私は構いません」
嬉しそうだな、一条。
俺もスマホを差し出す。黒井は、星野と同程度かなんならそれよりも上くらいの手際の良さだった。
「よし招待できた。それじゃメモお願いね」
帰りの電車で、今日のことを思い返した。
小さい頃から俺は愛想が悪かった。目つきが悪かったし、無口だし、気づいたら人に避けられてた。でも、気にしてなかった。どうでもよかったから。
バイオリンに嵌まってからは、余計にそうなった。人付き合いは面倒ばかりで、なんか勝手に嫌われるし、嫌なものだと思っていた。
一条と出会って、一人も好きだけど、別に二人もいいなと、感じた。
今日、なんか、楽しかった。俺は不器用だから、黒井みたいに話を運ぶことも盛り上げることもできねえんだけど、それでも、楽しかった。
たまにはこういう時間があるといいなと、思った。
頬を緩ませ、俺は電車の振動音を聴いていた。




