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三十六話 母の話

「小さい頃から勉強にしか興味がなくて、それ以外してこなかったの。だから、勉強が面倒だとか嫌いだと言っている子と仲良くなれるはずがないって切り捨ててたのよね」

 どこか照れくさそうだった。

「それに、もともとあんまり表情が顔に出ないタイプでね。別にそれを欠点と捉えたことはなかったし、ノリが悪いとかなんとかっていうので陰口を言われても、どうでもよかったの。ただ、会社に入ってからそうはいかなくなって」

 母はごく普通の会社員だ。最低限のコミュニケーションはできないと厳しいだろうな。

「自分を変えずにいたら、異動ばっかりで」

「もちろん人間関係のスキルを学ばせるためもあるろうが、なんでもできるから、経験を積んでもらおうという意図もあったみたいだぞ。当時の俺の上司が言ってた」

「そうなの?」

 俺はさっきから意外におもってばかりだが、このときは母も目を見開いて父を見ていた。

「まあ、数ある異動先の一つとして営業部に入ったときに、お父さんを知ったのよ」

 今、父は営業部の部長をしているみたいなので、そのときから営業だったのだろう。

「営業の仕事を経験したり、お父さんと関わったりするうちにコミュニケーションが大事なことに気がついてね。そこで初めてコミュニケーションを勉強したの。後悔も、初めてしたかもね。同年代と関わることができ、仲良くなる行事やイベントのある環境がどれだけ貴重だったのか、やっと気がついたのよ」

 だからね、と母は話を締めた。

「弦也も、人と関わる関わらないは自由だけど、必要になったときに人と関わることができるだけの能力は身に付けておきなさい。たとえば、自分なりの自然な笑顔の作り方とか」

 そう言って母は、にこりと笑顔を作ってみせた。

「でも、仕事を選ばなければ人と関わらないで済む方法なんていくらでもあるんじゃ」

「貴方選ぶでしょ。それに、将来の幅は広いに越したことないじゃない。現状なりたいものがあるわけでもないし」

「まあ、それはそうだけど」

 なりたいものか。一条はあるのだろうか。

 というか、そうだ。人と関わると言えば、父に話したいことがあるのだった。

「あ、そうだ、父さん、俺ブログやってみようと思って」

「おっ。いいんじゃないか? 前弦也のカノンを毎日載せていたブログがあってな」

「知ってる」

 一条に多分見られたあれだろ。バイオリン辞めたの、まだ一年前くらいだから、全然記憶に残っている。

「へえ、いいじゃない。なに載せるの?」

「ギター」

 母に答えると、父は歯を見せて笑った。

「ギターか。いいなあ! ……よし、今ブログのログイン情報送った。好きに使いなさい。困ったら頼ってくれればいいから」

 行動がとんでもなく早い。

「ありがと」

「いいってことさ。それに、お父さんは嬉しいよ。弦也が色んなことをしているのが」

 むず痒くなってくる笑顔でむず痒くなることを言った。なんといえばいいか分からず、そう、としか返せなかった。

 さあて夜更かしするぞー!と父がコントローラーを握り直した。お土産のことはもうすっかり頭にないらしい。母が諦めたようにお土産を片付けに向かった。俺はそれをちらりと見やったあと、テレビに視線を移した。母の行動をよそにうきうきでゲームを進める父に、問いかけた。

「なあ、父さん。なんでそれ選んだの」

「今のはなあ、女の子の瞳孔が開いたからだな。あと立ち絵の変化が――」

 結局、夜が明けるまで三人であーだこーだ言いながら、ゲームした。

 まあ、悪くはなかった。こういう日が、たまにはあってもいいな、と思えてしまうくらいには。




 

 

 

 映画観たときに父が一条に会ってみたいと言っていたことを思い出し、そのことを一条に話すと、彼女は大変嬉しそうに了承し、それを父に話すと、父もまたテンションが上がってしまったので、俺を含めた三人でドライブに行こうという話になった。

 母も誘ってみたのだが、家で仕事をしていたいらしい。つくづく仕事人間というか、変わった趣味というか。

 それで、夏休みが終わる直前の今日、運転席に父、その後ろに俺、なぜか助手席に一条、という何とも不思議な席順で一条の家を出発した。

 ぼけーっと俺が景色を眺めている間、父は早速一条に話しかけに行っていた。

「初めまして。一条静乃ちゃんだよね。弦也と弦也のお母さんから話聞いて気になってたんだよー。会ってくれてありがとう」

「いえ」

 父はおそらく、一条は俺と違って人と関わりたくないわけではなく、ただ感情表現が苦手だと気がついたのだろう。若干声のテンションが上がった気がする。

「そうだ、直接会えたら言おうと思ってたんだ。弦也におすすめしてくれた映画とゲーム、家族で遊んでみたんだけどすっごい面白くてさあ。センスいいよね!」

「……ありがとうございます。嬉しいです」

「俺はバトル漫画好きなんだけど、一条さんはアクション系で印象に残ってるもの、ある?」

「アクション映画なら、この前市川くんと一緒に観たものと、あとは……」

「へえ、教えてくれてありがとう。今度観てみるよー。というか、すっごいすらすらタイトル出てくるねえ! 映画好きなの?」

 心底楽しそうな声。

「はい。舞台も好きです。お父様はご趣味などあるのですか? ドライブですか?」

「そうだなあ、確かにドライブは趣味かもしれない。でも話すことも聞くことも好きかもなあ。それ仕事にしてるくらいだからね」

「お仕事はなにをなさっているのですか?」

「ごく普通の会社の営業だよ。一条さんはなにかなりたい職業とかあるの? 弦也はそういうの無関心みたいで」

「職業、ですか」

 俺が気になっていたことを父が聞いた。というか、話運び上手いな。俺といるときの数倍は話の進みが早い。

「今までは、なかったと思います。ですが、最近になって人と関わる仕事をしたいと思うようになりました。なので、その。映画や舞台が好きなので、その脚本家になれたらいいなあ、と漠然と思っています」

「脚本家! いいねえ、今なにか書いてるの?」

「はい。小さい頃から基本なにかしらは書いていました」

「へえ、すごいね! 弦也も、小さい頃から音楽やってたんだよ、本人から聞いた?」

「はい。……そもそも、私がそのことで話しかけたので」

 ほんのりと自嘲の滲んだ声色であったような気がする。

「そうなのか! それっていつくらいの話?」

「入学式の日でしたから、四月八日前後だったかと思います」

「え? どうやって?」

 父の困惑が伝わってくる声音だった。うん、俺も同じ立場だったら疑問に思うわ。俺サボったからな。

「カフェで、たまたま見かけまして」

「はあー、なるほどなあ。まあ、弦也の髪目立つからなあ」

 細かいことを突っ込むのはやめたらしく、そう流すと、父は小声で一条に呟いた。

「弦也は、一条さんのおかげで、人と関わるのにちょっとだけ前向きになれているみたいだ。本当にありがとう」

 普通の人よりは耳がいい俺には、はっきりくっきり全部聞こえていた。

 聞こえなかったふりをした。小さい振動を感じつつ、次々移り変わる外に、改めて目を向けた。

 ――入学式の日、俺は学校に行くのが嫌だと思った。だからサボった。

 サボった理由も結局のところ、バイオリンのときと同じで、自分が原因だったのだと思う。

 俺は言語化が上手いタイプではないから、あのときの気持ちを正確に言葉にすることはできない。でも多分、自分を客観視した結果、高校に行く意味を見失って、迷って、そのまま逃げたんじゃないか、と今になって考える。

 言い換えると、余裕がなかった、のかもしれない。

 などと思いつつ、二人が映画の話で盛り上がっているのを聞き流し、ドライブ風景を俺は存分に楽しんだ。

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