三十五話 友達
にへ、と一条は口を緩めた。
「市川くんといると、なぜか気が抜けます。それで、自分の弱いところが見えます」
なんと答えればいいか分からず、一瞬動きを止めた。
よくそんな照れくさい言葉を口にできるよな。星野と言いこいつと言い、素直すぎてちょっと怯む。
「一条にとって俺って、なに?」
やらかしたと思ったときにはもう手遅れだった。覆水盆に返らずってこういうときに使うんだろうな。なんも考えてなかった。
俺も、一条といると気が緩んでいるんだろうか。
「友達、と、思いたいです。その、私的には」
受け入れられるだろうか、と若干不安そうに見える顔だった。
「……じゃあ、友達でいいか。な」
「はい。市川くんがいいのであれば」
「おお」
遠くで花火の音が鳴った。
「まだやってんのか」
「こちらはまだまだありますよ」
一条は手持ち花火を示した。
二人でぱちぱち花火で遊び切る。片付けをして一条の家に帰る途中、俺はふと聞いた。
「もし嫌だったら答えなくていいんだけど」
「はい」
「今日スーパーで見てた人、知り合いなのか?」
「そうですね。……大したことではありませんよ。ただ、知り合いが私と話すときよりも随分と楽しそうだったので。普通の友達、という区切りではなく、本当に一緒に映画を観るだけの仲だったのかと思って」
寂しそうだった。俺がしんとしているのを見てか図らずか、一条は苦笑がちに付け足した。
「まあ、その人はコミュニケーション能力が高くて、友達が多いので。おかしくもなんともないのですが」
「でも、なんか、寂しいな」
「……はい」
そうですね、と一条が小さく呟いた。
しんみりしてしまったが、一条は何事もなかったかのように、そういえば今日やっていたゲームですが、と話を変えた。
家についたら、俺は自分の荷物と持てるだけのゴミを持ち、さっさと帰りの電車に乗り込んだ。
移り変わる景色を眺めながら、俺は一条の言葉を思い出した。
『でもそれは、映画じゃなくて脚本です』
音楽も同じだ。聴く人がいなければ、音楽は成立しない。それは別に、演奏者本人でもいい。だけど。
――……そっか、自分の思ってることを言葉で伝えるって、こういうことか。
楽しかったんだよな。前、一条と話したとき。思っていることを言語化して、それを嬉しいと言ってもらう。
その『言語化』の部分を音楽にしたら、多分俺はもっと楽しい。
……そういえば、父のブログ、まだ残してあるんだよな。俺が弾いたカノンを載せていたブログ。
ギターのカバー、録音してあるんだよな。
あれ、載せてみようかな。失敗してもいいから、挑戦してみたい。
あれこれ考えながら、俺は電車で家へと向かった。
家に帰ると、母がいた。
「おかえり。楽しかった?」
うん、と素直に頷けた。そのことに驚いた様子を見せつつ、母は一言、咎めた。
「報連相できてないの、反省してる?」
「はい。してます」
「ならいい」
母はそれで気持ちを切り替えてくれて、俺の持っている紙袋に目をやった。
「ゴミ持って帰ってきたの? やっておくから、さっさと寝る支度しちゃいなさい」
「分かった。あー、父さんいる?」
「うっきうきでドライブに行ってる。あの感じ、帰るの深夜くらいだと思うわよ」
「ならいいや。なんでもない」
ブログのこと聞きたかったんだが、まあ趣味の邪魔をするわけにもいかない。タイミングがあったときでいいやと思い、俺は洗面所に向かった。
風呂から上がったら、母が熱心にテーブルを見ていた。
「なにしてんの?」
机を見て、固まった。一条から借りたノベルゲームだ。恋愛シミュレーションゲームの。
「お父さんが好きそうな子考えてるの」
「なんだその地獄みたいな思考」
「恋愛対象じゃなくて、人としてって意味よ」
なんでこんなしれっとしてるんだこの人。
「それでもやなんだけど」
「ところでこれ、どうしたの?」
「一条から借りた」
「へえ。これ、テレビにつなぐやつ?」
俺はまたもや、固まった。両親の前でプレイとか嫌なんだけど。
でもよく考えたら異性の同級生の前でやるのも大分まずかったな。異性の同級生に恋愛シミュレーション進めるあいつが一番だけど。
「……そういやそうだな」
「え、ねえお母さんやってみていい?」
なんでだよ。
「や、まあ好きにすりゃいいけど。セーブデータわけてくれれば」
「ええ」
映画を録画したときといい、なんでこんなのに食いつくんだろう。
「弦也も見る?」
ソファに座った母が、隣を示した。俺は母とできるだけ離れた位置に腰を下ろした。
「見てるだけ胸焼けしそうなホーム画面ね」
「カラオケのハニートーストみてえな」
「そういうジャンキーな体に悪そうなものが、結局一番美味しいのよね」
母さんがそんなこと言うの珍しいな。
スタートした。
「え? なんで挨拶しただけで好感度下がるの……?」
「俺も全く同じ反応した」
「挨拶は大事じゃないのよ」
これ、ルートクリアしたらしっかり答えあるの気持ちよかった。そりゃ嫌だわって納得できるんだよな。
「主人公の容姿もっとどうにかならないのかしら」
「スチルあるからかえらんねえんだよ」
「そういうわけじゃないけど……あ、上がった」
これはもうバッドエンドルートだな。好感度上がるタイミングが遅い。
などと二人して熱中しているうちに、がたんと玄関ドアが開いた。無駄にテンションが高い、ただいまあー!という声。
「時間……もう夜中じゃない。ゲームなんて始めるんじゃなかったわ。えーっと、セーブよね」
「やっとくから、父さんの方行ったら」
「そうね。ありがとう」
ゲームを切ると、ちょうど父がこちらに向かっている頃だった。
「二人とも、こんな深夜まで起きてちゃ健康に悪いぞ?」
「父さんが言えることじゃないだろ」
「俺も言ってからそう思った」
いつも通り発言が適当だ。
「俺、明日は休日なんだよねえ。お母さんも休みだろう? 弦也は夏休みだし。……みんなで夜更かししない?」
さらに真反対の提案をしてくるものだから、俺と母は揃って父に呆れた目を向けた。
「私はもう寝る」
「俺ももうそろそろで寝る」
「まあまあ、お土産買ってきたからちょっとは待ってよ」
そいじゃお風呂失礼します、と風呂場に入っていった。爆速で上がると、
「で、二人してソファ座ってなにしてたんだ? 俺も混ざてくれよ」
ソファの真ん中に座る父に、ゲームについて軽く説明した。なおお土産とやらは玄関前に放置である。
「なるほどなあ。お父さんもやってみていいか?」
「好きにしろ」
一緒に映画を観たときのように、三人でソファに座る。本当なんなんだこれ。
「おお、一条静乃ちゃんセンスいいなあ。俺の友達もハマってたよ。なんでも作りこみがすごいっていうので」
父はなぜかとんでもない人脈を有しているので、大体どの業界にも詳しい。
「んー、ここはあえてスルーかな」
俺ら二人が引っかかった挨拶をしなかった。なぜだ。
「あ、やっぱこっちが正解かあ。立ち絵の表情の作りこみすごいな。笑顔が作り笑いだってわかるし、目の描き分けとかリアルで主人公のこと嫌ってるのがわかるよ」
流石だ。普段から人と関わる仕事をしているだけはある。
ゲームの完成度の高さと、しっかりそれを生かす父の能力のおかげで、あっさりトゥルーエンドまでたどり着いてしまった。
「泣きそう。ストーリーいいなあ。二人ともこんなのやってたんだね」
「私まだそこまで行けてない」
「ははは、お母さんは昔から優秀さだけで人間関係なんとかしてるみたいなとこあったからなあ」
「そうなの?」
初めて聞いた。ずっと、人間関係も卒なくこなす人だとばかり。
「そうそう。いやあ、初めてまともに会話したの、端的なミスの指摘じゃなかったか?」
「遠回りして言うより効率的、だと思ったのよね」
「お母さんの指摘が的確かつ分かりやすかったから周りから人が消えなかっただけで、もし的外れであればあんまり話しかけられなかったかもなあ」
入学初日に俺の不愛想を注意したとは思えない。母は眉を下げ、そうね、と肯定した。
「弦也を見ていると、昔の自分に思えてくるの」
「母さんの昔についてすげー気になるんだけど」
「じゃあ、少しだけ話す?」
こくりと頷くと、母は語り始めた。




