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三十四話 花火

 初めてくるスーパーだから、コーナーの場所が分からず多少手間取ったものの、案外すんなり買い物を終えた俺は、おそらく大荷物であろう一条の方に向かった。

 スマホには気づいていないのか、既読すらついていない。一条がメモしていた内容を思い出しながら、いそうな場所を探し回ると、見つけた。

 カゴを持ったまま、静止している。疑問に思い近づくと、一条の視線は遠くの人に投げられていた。

 男性と女性の二人。仲がよさそうに話している。俺たちと同じか、少し上くらいだろうか。

「一条」

 気づいてるかわからなかったので、そう呼んでみる。すると、一条はゆるゆると首を振った。

「市川くん。すみません、少しぼーっとしてしまいました」

「……なんかあったの?」

 心配になって問いかけても、一条はなんでもありません、と話を流した。

 無理に聞ける間柄ではないから、俺もそれに乗った。

「メールしたんだけど、俺もう終わったから。なんか手伝えることあるか?」

「では、一緒に回りましょう。あと少しで終わりますから」

 スマホを見た一条は、本当ですね、すみません、見ていませんでした、と歩き出した。

 つい気になり、先ほどの二人組の方を見やっても、もういなかった。

 歩きながら、考える。

 家族のこととか、今みたいなこととか、正直言って興味はある。でも、どこまで訊ねていいものか、俺ははかりかねている。

 誰かに一条のことを聞かれたときに、俺と一条の関係性をどう表現したらいいか、わからないから。一条が俺のことをどの辺に置いてくれているのか、わからないから。

 でも、少なくとも今は、全部話してくれるほどじゃないということは、分かる。

 ――近づきたい。そういうことを、教えてくれるくらい近い位置まで。

 もしかして、初めて会ったとき、一条もこんな気持ちだったのだろうか。

 ぼんやりしていたら引き離されていた距離を縮めようと、俺は一条を追いかけた。





 帰ってくると、一条は俺がゲームを進める間にささっと晩御飯を作り終えてしまった。

 白米、焼き魚、焼き魚。和食の王道みたいなメニューだった。

「「いただきます」」

 一条の家に来るときは、大抵昼時だから、いつもご馳走になっている料理とはまたちょっと気分が変わる。

 焼き魚を割り、口に運ぶ。

「美味しいな」

「そうですね。よかったです」

 二十分ほどで作ったとは思えない美味しさだ。

 ただただ一条の器用さに感心しながら平らげ、後片付けを終えると、時計は午後七時を指していた。

 いそいそと花火を持ってきた一条は、ふと首を傾げた。

「人の邪魔にならない場所、ありますかね」

「知らねえよ。俺この辺住んでねえし」

 言いながらスマホで検索してみて、

「ああ、手持ち花火できる公園ここから十分かかるわ」

「行きましょう」

「行くか」

 めんどくさいけど、歩くか。

 一条は紙袋を持った。

 家を出て、薄暗くなった道を踏みしめる。

 俺のスマホで地図を表示しつつ、探り探りで進む。

 歩調の違う足音以外、無音だった。

 が、突然、花火の上がる独特な音が響いた。

「……まだやってんのな、花火大会」

「多分、この辺りではあれが終わりかと」

 小さい頃に一度だけ見て、音のうるささがトラウマになったな。

 そういえば、クラスであのしつこい学級委員が夏祭りやら海やら行く話をしていたな。黒井がよく絡んでるやつらは徒歩か自転車だった気がするから、学校近くのところに行ったんだろうか。

「……着いたな」

 俺は全く平気だが、一条はややきつそうである。運動が苦手なのか。まあ納得だ。

 花火を行うには支障ないだろうが、夏とはいえ夜の七時。やや冷たい風が吹いている。

 一条の呼吸が整うのを待ってから、紙袋の中の花火を取り出した。

「どれやる?」

「ではこれで」

 適当に引っこ抜いた花火を手に取った。

 母がご丁寧にも入れてくれた百円のライターとキャンドル、消火用だと思われる空き缶。父が愛飲している銘柄だ。

 近くの水飲み場で空き缶に水を注ぎ入れ、それらを並べる。ライターでキャンドルに火をつけた。

 二人してしゃがみこんで花火を持ち、火に近づける。

 火が付いた瞬間、シャっと音が鳴り始め、燃えた。

 ぱちぱち弾ける。

「綺麗だな」

「はい」

 耳をかすめるその音をただ聞いていたし、眩しいくらい輝いた花火を、ただ眺めていた。

 火が消えると、空き缶の中に突っ込み、地面に放り出した袋から新しい花火を持ち出す。作業のような無機質さが、不思議と居心地よく感じた。

 ちらりと一条の方を見ると、じっと手元に注目していた。暗闇の中光に照らされているその顔をなんだか見ていたくなったので、俺は火が消えても動かなかった。

 それに気がついた一条は、自分の花火が消えたときに俺の花火も空き缶に放り込んだ。ジュっと音がする。

 俺は自分が集中を欠いていたことに気がつき、一度目を閉じた。次に開けば、もう集中は戻っていた。一条の分の花火も取り出し、火をつける。

 これは煙たいな。

 でも、一条はその煙すら楽しんでいるようだった。火薬の匂いが鼻につく。この匂いは嫌いじゃないなと思い、一条に倣って俺も煙を楽しむことにした。

 そうやって花火を燃やしていると、一条がふと、口を開いた。

「ありがとう、ございます」

「は? なにが?」

 お礼を言われるようなことはしていない。俺が不可解そうに一条を見ると、一条は笑った。はっきりとそうと分かる笑みだった。

「全部です。私と関わってくれたこと。言葉を返してくれたこと。私の好きなものを、好きだと言ってくれたこと。私のために時間を割いてくれたこと。それが、なんだかとても嬉しくて、暖かいのです」

 俺は、目を見開いていた。そんな風に思ってもらえていたなんて思ってなかったから。

「私は変な人間です。そのせいで人を傷つけるし、かき回します。なにをやろうとしても、なんだかうまくいきません」

 そんなことはない、とは思った。だけど、一条がそう思うんなら、多分一条にとってはそうなんだろうから。俺に一条の言葉を否定する資格はない。

「家族には言葉足らずだと言われるし、クラスメートから表情が硬くて怖いといわれたこともあります。だから――」

 でも。

「俺は救われた」

「え」

 気づいたら、まくし立てていた。

「お前がそう言うのなら、きっとお前は変なんだろう。人を傷つけてきたんだろう。でも、俺はそうは思わないし、実際そうだったとしても、救われた」

「……ですが、私は市川くんに沢山迷惑をかけています」

「一条がそう言うんだったら、お前の中では、俺は迷惑をかけられてるのかもしれない。でも俺の中では違うから。いっつも助かってるから」

「今日だって、私の不注意で子供を転ばせてしまったのを、市川くんにフォローさせてしまいました」

 どこか必死に、一条は言い募った。

「それを言うんだったら、今日だって、俺は一条に騒音の中助けられた」

「ステーキだって、私ひとりでは食べられませんでした」

「俺はあんな晩御飯作れねえよ」

「ゲームだって、やらせました」

「いいゲームを教えてもらったんだよ」

「…………」

 黙りこくった一条は、納得いかないという感情を前面に押し出していた。

「表情だって、あんまり変わんねえけど、意外と分かりやすい、と思う」

 一条は、まだ黙っていた。珍しく、ぱっちりと目を見開いていた。ぐっと唇に力を入れ、精一杯の笑いらしいものを浮かべた。

 ぼろぼろ、目から涙が溢れ落ちていった。

 とっくに花火は落ちていた。

「そっか。私、泣くんですか」

 無理矢理ごしごしと拭っても、拭ったそばからまたぼろぼろ出てくる。

「目、痛くなるぞ」

「……私、映画が、好きなんです」

 声が涙にぬれていた。

「知ってる」

「舞台も、好きなんです」

「それも知ってる」

「…………私も、そんな世界に関わりたいのです」

「それは、初めて知った」

「脚本を書いているんです」

「それなら知ってる」

「自分でも満足できる出来です」

「そうなのか。知らなかった」

「でもそれは、映画じゃなくて脚本です」

「まあ、そうかもな」

 なんとなく花火を持ったまま、会話する。一条が自分から、こんなに自分のことについて話すなんてなかったから、嬉しい。

「それを演じてくれる人も、演出してくれる人も、照明を弄ってくれたり、音響をいじってくれたり、監督してくれたりする人も、いません」

 言いたいことが、やっとわかった。作品として完成していないのか、一条の脚本は。

「私は、人が好きです。関わりたいと思います。でも駄目なんです、うまくできないから」

「それは、経験が少ないからじゃねえの?」

「経験が?」

「おお」

 なにせ俺がそうなのだ。

「経験が少ないことなんて、そりゃ失敗するに決まってる。そこからどうするかとか、どうしたら次失敗しないようになるか、とかを考えるのが大事なんだろ。足踏みしてたらずっとそのままじゃねえか」

「中学までに、散々、関わってきたのです。それで駄目でした。もう私は駄目なんです」

「本当に、これっぽっちも変わってねえの?」

 俺は、一条がそんなにも学習能力のない人だとは、思えない。

「……一個できたと思ったら、別の失敗をするんです」

「なら、改善できてるんじゃねえか」

「ですが、その過程で人を傷つけているんですよ?」

「そんなの誰だってそうだろ」

 俺だってそうだ。一条のことも星野のことも、多分傷つけている。

「一曲完璧にできたと思っても、別の曲を初見で弾けるわけじゃないんだから。その別の曲を何度も練習しなくちゃ上手くなれねえよ。でも、その繰り返しの中で、初見でもある程度弾くコツをつかんできたり、見覚えあるフレーズを見つけて弾けたり、知らないって状況の中どう動けばいいかを学べるんだよ」

 一条がぽかんとしている。

「あー、つまりだな」

 決まりが悪くなり、首に手を当てる。

「関わりたいと思うなら、好きにすればいいじゃねえか、ってだけの話で」

 無駄が多い話になってしまった。

「……ありがとうございます。少しだけ勇気が出ました」

 一条は、空き缶に花火を入れた。

「花火なのに、湿っぽい話をしましたね」

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