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三十三話 子供

 修羅場だった。

 申し訳ございません、と平謝りする一条。大泣きする子供。子供をなだめつつ、こちらも不注意で、としている女性。ドリンクを持った俺。

「あ、すみません、すぐどきますから。ほら、大丈夫? 邪魔になるから早く立って」

 席に戻る廊下に子供がしゃがみこんでいたので、女性が子供の腕を掴んで立ち上がらせようとした。

 俺は、泣き声のせいで耳鳴りが酷いのでさっさと席につきたいのだが。

「いーたーいー!」

 子供は足の調子が悪いみたいだった。

「……一条、これなにがあったんだよ」

「私が椅子を引いたところにたまたまこの方がいらっしゃって、足をひっかけてしまったのです」

「ああ……」

 まずい、耳鳴りで頭痛がしてきた。

 若干顔を歪めつつ、一条の説明に納得する。ここのファミレスは二人席が片方椅子で、音が聞こえやすいだろうからと椅子の方に一条が座ってくれていた。通路近くだったから、多分勢いよく椅子を後ろに擦ってしまったのだろう。なら予測不能な動きをする子供の足が引っかかるのも無理はない。

「一条はなんで立ったんだ」

「お手洗いに行こうと」

「早くいってこい」

「では、その、失礼します」

 もう、と困り果てた女性の傍をそっと通り、一条は手洗い場に向かった。

「大丈夫?」

 しゃがんで目を合わせた瞬間子供に逃げられた。その動きを見るにそこまで酷いわけじゃなさそうだ。ただ痛みに驚いてるだけか。

 俺はとにかく席に戻りたいのだが、このまま放置するわけにもいかないだろう。一条が行けても、俺が出入りするほどのスペースはない。というより、俺と一条の席の前だから、どうにかしないと一条が座れない。

「申し訳ありません。この子が走り回ってたのがいけないんです。ほら、いつまでそこにいるの」

 だんだん女性もうんざりしてきたようだった。

「でも痛いもん」

「ちょっと、ほんといい加減に――」

 怒気をはらんだ声で、女性は無理矢理子供を立たせた。

「……本当に、申し訳ありませんでした」

「いえ、こちらの不注意でもあるわけですし」

 もう一度しっかり頭を下げて、女性は去っていった。

 ぼそりと、なんで甥の世話を私がしないといけないの、と聞こえた。

 大変そうな人だな。そっか、甥相手だから強く注意できなかったのか。

 気疲れしたな、と俺は席に座った。

 数分後一条が戻ってきたので、もう解決したぞ、と告げると、そうですか、とほっとしたような声を出した。

「……少し、昔を思い出しました」

「昔?」

 一条はちらりと女性と子供の方に目を向けた。

「はい。私は、あんなに賑やかではありませんでしたが。よく落ち着きなくそこらを動き回っては、家族に怒られたものです」

「そりゃ中々厄介な子供だな」

 一条の場合、静かだからさらに気づきにくいのが面倒だ。

「そうでしょうね。ですから、家族には感謝しています」

 こくりと水を飲んだ。グラスを見つめる目は、懐かし気に細められている。

「市川くんは、どんな子供だったんですか?」

「無気力で面白みのない子供だった。ちょうど、一条とは真逆じゃないか?」

「不思議ですね。今は私よりも人間味がありますよ」

「んなことねえだろ」

「そんなことあるんですよ」

 俺は会話よりも一条の手元の方が気になる。ちょうど食べようとしているところだから。

 ステーキをおっかなびっくりご飯の上に乗せ、そろーっと口許に持ってくる。

「……美味しいです」

 言葉通り幸せそうに頬を緩め、ご飯を食べ進めた。

 よかったな、と言ってやりながら、俺も白米を口に運んだ。人が食べてるのを見ながらだと、ただの白米でも美味しく感じるから不思議だ。

 一条はすぐ食べ終わり、ステーキをこちらに寄こした。

 美味いな。

 くだらない雑談をしながらご飯を進めると、三十分ほどで完食してしまった。が、つい食べ過ぎたらしい一条が動きたくなさそうであったので、俺はデザートを追加注文した。

 俺がプリンを切り崩し、スプーンを口にするさまを、なにが楽しいのか一条はずっと眺めていた。

「ご馳走さまでした」

 手を合わせていうと、お会計を済ませ店をでた。

「半分お支払いします。おいくらでしたか?」

「いい。ほとんど俺が食べたろ」

「ですが」

「今日、助かったから」

 もし一条がいなかったら騒がしくてファミレスで食べるところまでいかなかった。まあそもそもファミレス自体に行ってないかもしれないが。

「よく分かりませんが、分かりました。ですが、いつか埋め合わせをさせてください」

「おお」

 空を見上げた。まだ明るい。

「午後二時ですが、どうしますか?」

 まだ午後二時か。到底花火できそうにねえな。

 お互いに足を止めるタイミングを見失い、どこへともなく歩く。

「……あの、今日は帰っていただいて、また後日でも、私は構いませんよ」

 まあ一日中俺と一緒も嫌だよな。

 もう帰ろう。が、そうなると花火いつやるんだ? 夏休みにもう一回来るのか? 面倒だから嫌だな。

「一条さえよければ、今日花火やっていいか? 俺もっかい来るのめんどくせえわ」

「ああ、そうですよね。毎回来ていただいてますし」

 あ、と一条は手を叩いた。

「一つ、やってみてほしいゲームがあるんです」





 再び一条の家に帰ってくると、一条は心なしかわくわくした様子でテレビをつけた。テレビゲームか。

「フリーゲームじゃないんだな」

「はい」

「あ、この前おすすめしてくれたゲーム、面白かった。ありがと」

 あれからノベルゲームにハマって名作っていわれてるやつ、あれこれやってみてるんだよな。いや、バイオリンに気を取られていつの間にかバイオリンやってたりはするんだけど。

「いえ。そう言っていただけて嬉しいです」

 とやっているうちに準備ができたようだ。

 ゲームのスタート画面である。

「なあ、これ恋愛シミュレーションゲームじゃ」

「ノベルゲームですよ、市川くん」

「あ、そう」

 期待されているので、仕方ない。俺はゲームコントローラーを握り、スタートボタンを押した。

「ちなみに、私は全ルート全スチルコンプしています」

「本気じゃねえか」

 ほとんどこの手のゲームに触れたことのない俺でも、なんとなく凄いことは分かる。

 しかもこれ、男性向けだ。ヒロインが女子。

「は? 挨拶するときに選択肢出てくんの?」

 カチカチ無言で進めていたら、初めて選択肢が出てきた。

 うわ、なんかすげえピンクピンクしてる。

「は? 挨拶して下がる好感度なんてあるわけないだろ」

「いい反応ですね。やり直します?」

「いやこのまま突っ切ってやる。挨拶は大事だろ」

 なぜ一条が俺にこのゲームを進めてきたか分からんが、気づいたら熱中していた。

 午後四時。

「よっしゃ、やっと一人目ハッピーエンドだ」

 エンディングが流れたとき、俺は思わず拳を握ってしまった。

「よかったですね」

 挨拶して好感度下がったやつに執着して二時間。ようやくクリアできた。

「あと四人いますよ。あ、隠しキャラ含めたら五人です」

 プレイして、やっと一条の『全ルート全スチルコンプ』の凄さを理解した。

 一人一人に大量のイベントとスチル。さらに無限にも思えるほどのルート分岐。軽く五ルートは超えていた。バッドエンドの種類が豊富すぎる。

「ちなみに私が一番好きなのはこの人です」

「へえ……」

 長時間慣れないゲームで目が痛い。目を閉じ、休憩がてら一条に文句をぶつけた。

「大体、こんなほいほい好感度上がり下がりするやつらが付き合ったところで、すぐ別れるだろ」

「ゲームですから」

「そうか。ゲームだからか」

 そう言われては何も言えない。ぐっと腕を伸ばした俺に、一条は涼しい顔でテレビを指さした。

「どうします? 二人目、行きますか?」

「……やる」

 ストーリー普通に面白かったのが悔しい。バッドエンドも面白いのは狡いだろ。

 そうして、一条が好きだっていうやつと恋愛すること一時間半。

 ゲーム内でお泊りイベントが発生し、ヒロインが晩御飯を作ってくれる、というときに、一条ははっとして冷蔵庫を覗きに行った。

 コントローラーを置き、そちらを見やれば、しまったって顔だ。

「夜ご飯の食材、ないです」

「お前の?」

「二人の」

「二人って、俺と一条の?」

「はい」

 俺は適当にスーパーで買ってくるつもりだったんだが。

「俺は総菜でも買って食うからいい」

「いえ、手間がありませんし、作らせてください」

 これはテコでも動かなさそうだな。俺は諦め、せめて買出しは行ってこようと、ゲームのセーブボタンを押した。

「じゃ、俺買ってくるわ」

 スマホを取り出す。

「なら、一緒に行きませんか? 人手が多い方が早く終わります。それに、どうせ行くなら買いだめしたいです」

「あー、そっか」

 そういうわけで、スマホに買うものをメモし、スーパーまでは一緒に行って、そのご別行動で食材をぱぱっと買ってしまおうということになった。

 そこで俺は、母親に帰りが遅れることを言い忘れていたことに気がついた。気づいたときは本当に焦った。謝罪を申し上げ、必要最低限の情報を伝える。買っていただいた花火、ありがたく楽しませてもらいます、と締めれば完璧だ。

 普段こんなミスしないのにな。慣れない失敗だったからテンパってしまった。

 若干叱られそうな気配がしつつ、了解の旨が書かれた返信が返ってきた。

 俺はほっと一息つき、一条とスーパーへと繰り出した。

 スーパーに着き、買うものが被っていないことを口頭で確認し、お互い別のコーナーへと向かっていったのだった。

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