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三十二話 ファミレス

 スイカを食べ終わったあと、一条は少し照れくさそうにトランプを持ってきた。

「これ、やりませんか」

 普通の、黒と赤のトランプだ。

 なんでまた、とは思ったが、特別断る理由もない。俺は承諾する代わりに、リビングのカーペットに腰を下ろした。

「二人じゃあんまできるやつなくね?」

「私、スピードが好きなんです」

 一条の手は、トランプを赤と黒に分けていった。

「なんで好きなの」

 俺は、それをそれぞれ定期的にまとめる。

「小学校の頃、トランプが教室に置いてありました。そのトランプを使って、昼休みにスピードで盛り上がっているクラスメートを外から見るのが、なんだか好きで」

 言葉のわりに、どことなく寂しげな風情を彼女の表情に感じた。

 今やろうとしているということは、本当はその中に入りたかったんじゃないのだろうか。

 一条が分け終えた。

「ありがと」

 俺は黒のトランプを手に取り、切り始めた。自分の手へと視線を下ろす。

 一条の真意がどうであれ、俺は一条が好きらしいスピードをする相手になれたことが、無性に嬉しかった。

 四枚並べ、左手で残りのカードを握り、そこに右手を滑らせた。

 一条が準備を終えるのを見計らい、声をかけた。

「いくぞ。スピード」

 一条はものすごく姿勢を低くしカードを投げ込むので、勢いよくカードを捨てると目に当たりそうで怖い。というかよく眼鏡落ちないな。

 案外俺も一条も負けず嫌いだったようで、わりと白熱した。

 俺があと一枚になったところで一条がカードを出し切り、勝負がついた。

 顔を上げれば、ほんのり勝ち誇った様子である。

「もう一回」

 しっかり悔しいな、これ。

 二人で協力しささっと分け、切る。

「次は私が言います。スピード」

 普通は二人揃って言うのだろうが、気づいたら掛け声は交代制になっていた。

 負けた方がもう一度、もう一度とやるせいで、いつの間にか三十分はスピードをしていた。

 途中から俺は、勝った回数負けた回数がどうでもよくなっていた。ただ遊ぶことを楽しいと感じていたために数えるのを忘れていたが、一条は違った。

 しれっとした顔で、一勝私の方が多いですねと言い放った。ちなみに時間の経過に気づいてやめたのは俺なので、文句がつけられない。

 まあ、一条がえらく満足そうにしていたので、いいか。

「そろそろいい時間だし、昼でも食うか?」

「ああ、はい」

 材料ありましたっけ、と冷蔵庫を覗いた一条は、

「ありませんね」

「じゃ、ファミレスでも行くか」

「えーと、はい、そうですね」

 言い淀んだな、今。

「別に嫌だったら俺一人で食べるけど」

「いえ、そうではなく」

 全然断ってくれていいんだぞ、というのを、どううまく言葉にすればいいか分からず、ちょっと嫌味っぽくなってしまった。

「お金があるか計算しただけです。今月、バイトが多いからと調子に乗ってお金を使いすぎてしまったので。市川くんと一緒にご飯に行くことが嫌なわけではありません」

「お小遣いは?」

「要らないので貰っていません」

「……」

「市川くん?」

 俺はアルバイトをしているわけじゃないから、基本お小遣いだ。自分で働いて得たお金じゃない。自分で働いて得たお金であれこれ考えている一条を見て、俺は自分を恥じた。

 俺もそうしようかな。バイオリン再開したら弦のためのお金が必要になってくるだろうし。

「まあ、行こうぜ。ここらへんで一番近いとこない?」

「ああ、それなら知っています」

 というわけで、一条の案内によりファミレスに来たが。

「混んでるな」

「そうですね」

 人が多いせいで耳が痛い。耳鳴りがする。

 思わず眉をひそめた。ただでさえ目つきが悪いし感情が表に出にくいのに、不機嫌だけは表情に出やすいのどうにかしてくれねえかな。

 待っている間、一条はうるさそうにしながらも周りを観察している。これが社会経験の有無か。

 人と一緒なのにイヤホンつけるの、感じ悪いよな。

 我慢するか。

 ……いや無理だ、耳が壊れる。どうしよう。

「市川くん」

 一条に声をかけられた瞬間、空気に静けさが満ちたような気がした。つい惹きつけられる。

「五月蠅いですか? 顔色悪いですよ」

「ああ、まあ」

「イヤホン持っていますか?」

「持ってるけど」

「なら、つけてください。音楽でも聴いていて大丈夫ですよ。呼ばれたらお教えします」

 願ったりかなったりな提案だ。でも、俺は今、一条といる。音楽を聴くことはいつでもできるが、一条と話をすることはいつでもできるわけじゃない。

 ほんの少し躊躇すると、一条は言っていいのだろうか、みたいな顔をする。

「……それか、あの」

 一条は、そっと自分のスマホを取り出した。なんだそれ、とつい声がとがる。

「電話、します?」

 電話。そうか、それでいいのか。イライラして頭が回らなかった。俺は駄目だな。すぐイライラする。

 ふーっと息を吐く。

「それがいいな。ありがと」

「いえ」

 イヤホンを挿す。イヤホン越しでも普通に話せるな。

 そのまま雑談をしたりなんだりしていたら、呼ばれましたよ、と一条が教えてくれた。

 店内のテーブルにつく。一条はスマホが雑音を拾わないよう、右手でスマホを耳につけたままにしてくれた。

 対面に座り、俺と一条はどちらからともなくメニューを開いた。

 が、俺はまずスマホを鞄に入れた。そのあとにメニュー表をぱらぱらめくる。

「市川くんはどれにします?」

「まだ悩んでる。一条は?」

「私はキッズセットにします。少食なのでキッズセットくらいしか食べられるものがないのです」

 ステーキのページをちらっと見たな。俺はさっと考え、聞いた。

「じゃ、俺の少し食う?」

「え。いいのですか?」

「おお」

「なら、私はご飯だけ頼みます。西瓜も食べたので」

「わかった。なに食べたい? 俺なんでもいいんだけど」

「本当になんでもいいのですか?」

「おお」

 そもそも何食べようか悩んでたからな。なんも決まってなかったし。

 あれこれページを進めたり戻ったりしたあと、一条はやや遠慮がちに、ステーキのページに指先を乗せた。

「……ステーキが食べたいです。多すぎて毎回頼めないので」

「じゃあそれにするか。多めに頼んじゃっていいか?」

「はい、あの、市川くんが食べられる範囲で」

 俺はイヤホンをつけているので、一条が店員に注文をしてくれた。その間ミュートにしてくれるところの気遣いも欠かさない。

 珍しく、といったら完全に失礼だが、一条の気遣いがありがたかった。

 通話しているのでスマホをするのも躊躇われ、俺は一条を観察してみることにした。

 一条はきょろきょろと落ち着きなく周りを見渡して、いつの間にか手に持っていたメモ帳とペンでなにやらメモをしているようだった。

 俺の視線には気づいていないようだった。梅雨あたり、図書館で相席したときも思ったが、集中しているときは人の目を全く気にしない。

 一条のスマホは、ペンがノートをこする音を拾っていた。

 俺はその様子を黙ってみた。騒音でざらついていた心がなだらかに整えられていくようだ。

 思いの外、早く注文が届いた。料理を持った店員に、一条は気づかない。すっかり夢中になっているようだった。

 俺はイヤホンを外した。

「すみません、こちらにお願いします」

 店員はちらりと一条を不思議そうに眺めたものの、俺が言ったように全て俺の方に置いた。イヤホンとか、一条については特に触れずに立ち去っていった。

 少しほっとした。

「来たぞ」

 声をかけると、一条ははっと顔を上げた。俺と目を合わせ、イヤホンが挿さっていないことに気づくと、それからすぐ下の料理に目を落とし、おおよそ自分の状態を悟ったらしい。バツが悪そうに頭を軽く下げた。

「すみません。イヤホンをつけていいと言ったのは私なのに」

 俺はふと、出会ったときより周りが見えなくなっていないか、と思った。

「いい。どうせ食べるときには外さないとだしな」

「……ありがとうございます。ええと、私のはこちらですよね」

「おお」

 一条は自分の分のご飯を両手で持つと、自分の方に移動させた。

「ステーキは……先食べろよ」

 俺のが食べる量多いだろうから、時間かかるしな。

「はい、ありがとうございます」

「あー、切ってソースかけていい?」

「はい。むしろ、切ってくださってありがとうございます」

 俺が切っている間、一条は通話を終えるとスマホをしまった。

 切り終え、一条の方に運ぶ。そのあとに、俺もイヤホンを鞄に入れた。

「「いただきます」」

 思いがけず揃った。

 俺はドリンクをとってこようと思い、一条にほしい飲み物を聞いた。

「私の分は頼んでいません」

「そうなのか」

「はい」

 少し間が空いたあと、

「ジュースは苦手ですし、コーヒーもわざわざ頼むほど好きではありませんから」

「へえ」

 一条が苦手な物なんて初めて聞いたな。

「じゃ、俺はコーヒー取ってくるわ」

「はい」

 ご飯を食べてほんの少しご満悦の一条を置いて、ドリンクバーに向かった。

 相変わらずうるさいせいで耳鳴りはあるし耳が痛いが、そのせいでイライラすることはなかった。

 コーヒーを入れつつ、俺はふと笑ってしまった。

 最近、一条は端的な回答に、さっきみたいにもう少しだけ詳しく話してくれることが増えた。それがなんか、嬉しい。

 俺はコップを持ちながら席へと戻っていった。

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