二十四話 補習
一条に服を買ったり、音楽関連であれこれやったりするうちに、終業式が来てしまった。
うだうだしているからだ。
通知表を受け取ったり担任からの諸連絡があったりするだけなので、午前中で終わる。
「市川はなんの問題もないな。詳しい成績は席についてから見てほしいが、文理どちらかに偏るわけでもなくしっかりとれてる。本当よく頑張ってるな」
通知表を渡された。ありがとうございます、と俺が答えると、担任は思い出したように口を開いた。
「そういえば、一条と仲がいいよな。補習に参加する気はないのか?」
「え、どういう繋がりですか」
「一条、赤点で補習強制参加だぞ? 聞いてなかったか?」
「聞いてないです。あいつ赤点だったんですか?」
「……英語と国語系と歴史、地理はよくできてるんだが」
「え、それ以外全部ですか?」
嘘だろ。俺以上に勉強してなかったか?
「……まあ、ここ偏差値大分高いし、世間的に見ればかなり優秀な部類だ」
先生にフォローさせてしまった。
「……補習、いつでしたっけ」
「さっき配った紙を見てくれ。放課後までに声かけてくれればまだ参加にできる」
最後に先生は、一日だけでもいいから来てやってくれ、あの子初日の自己紹介からずっと浮いてるんだ、と付け足した。やつは入学式の日に一体なにを言ったんだ。
自席に戻り、通知表ではなくまず配られたプリントに目を走らせた。
七月二十一日から三十一日までの十日間が赤点補習+自由参加の夏期講習。それから、八月の盆休みと休日以外は自由参加の夏期講習。うち、赤点補習用に設けられているのが十五日。
この学校、基本的に勉強のモチベーション高いやつが多いので、そういう人のために夏期講習、補習が多いんだ。
正直言って面倒だ。できることなら家でだらだらしたい。暑いし、なにが楽しくてわざわざ夏休みに学校に来なければいけないんだ。しかも、徒歩通学ならいざ知らず、電車通学だぞ。
とは、思うのだが。
どうせ勉強はするつもりだ。夏休み明けに実力テストが控えているし、最近母がうっきうきで母の日にあげた資格の勉強をしているし、多分付き合わされる。それに、なにより習慣になっているので。
だからまあ、七月に少しだけなら行ってもいいかと思った。課題をやるために学校の施設を利用してもいいらしいし、家でただ勉強するより講習を受けた方がいい復習になりそうだ。
「市川君は、成績どうだった?」
学級委員の黒井が話しかけてきた。
「……そういや、まだ見てなかった」
「え? マジ? 一緒に見ていい?」
「いいけど」
担任の言葉的に、そこまで悪いわけじゃないだろ。
そう考え、開いた。
「えっ。オール四? うっそでしょ」
「……五、一個もねえな」
「いやいや、三が一個もない方がすごいっしょ。うわ、見なければよかったあ……。自分の見るの怖い」
……一条の方はどうだったんだろう。
気にはなかったが、まあ、聞くのは残酷だろう。
「……お前は、補習あんの?」
「え? うん。でも、七月中に終わるんだよね」
「へえ」
「あ、八月に勉強会やろうって話してるんだけど、来ない?」
「いい」
「そっかー。残念。成績いい人来てくれたら頼もしかったんだけど」
あ、次僕だ、と黒井は立ち上がった。
夏休みか。今のところ、外出予定は八月三日の水族館しかないな。
その後、終業式は恙なく過ぎていった。
放課後、先生に参加する日程を伝えていると、一条が話しかけてきた。
「あれ、市川くんも補習参加ですか?」
「おお。赤点は取ってねえけどな」
「そうなのですか」
若干悲しそうだな。
「ええと、まあ、また補習のときに会いましょう」
「ああ。またな」
俺も帰ろうと歩き始めると、友達同士ではしゃいでいる声が聞こえてきた。
……夏休みだ。
一学期、なんだかんだあっという間に終わったな。
……あー、バイオリン、いい加減どうにかしないとな。
そんなことを考えた、夏の昼下がりだった。
数日後、俺は補習に参加したあと、図書室で課題を進めていた。
人が少なく、静かである。
移動が面倒で補習で使った教室にとどまっていた生徒が多かったのだろう。
俺も正直面倒だとは思ったんだが、気分的に普段の授業と同じみたいでいやだったんだよな。俺が学校に残っている目的は気分転換だったし。
「……あ、市川くん」
どうやら補習が終わったらしい一条が、俺の使っていた机へと近づいてきた。学生鞄が重いらしく、重心を多少そちら側に傾けている。
一条が進むたび、お手本のようにいい足音が鳴る。
よお、と挨拶し、俺はまた俯いた。
一条がギーっと椅子を引いた音がした。
「相席、いいですか」
聞くようになっただけ進歩だろうか。音からして許可取る前に座っているが。
「もう座ってるじゃねえか」
「……それもそうですね。相席します」
違うそうじゃない、と言いたかったが、別に断るわけでもないのでそれ以上突っかかるのはやめておいた。
それ以降無言で、勉強する音だけが広がる。
……成績の話を聞いた後なので、つい気になって、一条のノートをちらりと覗いた。
やってるのは数一か。基礎問題は、流石に問題なさそうだ。ちょっと難しい応用も、まあすんなり解けている。
それより上の難問に苦戦している気配はするが、解説を読んで納得したようにもう一度解きなおしている。
ここじゃなければ成績の不安はないのだろうな。勉強法も、特別効率が悪いようには感じない。それに、前先生に質問に行っていたのを見たし、分からないところを放置するなんてこともしていない。
なんでテストの点数が悪いんだ?
「……どうしました?」
居心地が悪そうに顔を上げた。
「……あ、ごめん」
「いえ」
俺の様子を訝しむも、一条はすぐ勉強に戻った。……うん、集中力も問題なさそうだよな。
あんまり勉強の邪魔をするのも悪いので、俺も勉強に戻った。
でも、やっぱり気になる。
「……あのさ、一条」
「はい」
途端、ペンを放り出して姿勢を正した。
勉強の邪魔してごめん、と思いつつ、さっさと聞いてしまった。
「自分がなんで点取れてないのか、分かってんの?」
「理由は、まあ、分かっています」
「なんで?」
「集中できるときとできないときの差が激しいからです」
「そうなの?」
「はい。この前市川くんと会ったときはたまたまやる気がありましたが、よく飽きて別のことをしてしまうのです。私の趣味は紙とペンと自分さえあればできてしまうものですから、スマホで勉強しているのと同じような感覚で、つい集中を切らしてしまいます」
趣味。紙とペンと自分さえあればできる。……脚本のことか。
「今は?」
「今は……学校だから、頑張ろうとは思えています」
「ふうん。邪魔してごめん。続きやるか」
「……あの」
「なに?」
「……いえ、なんでもありません」
一条はなにか言いたそうに口を動かしたが、結局口には出さなかった。なんだったんだろう。まあ、大事なことならそのうち聞けるか。




