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二十二話 失望

 その日の夜。俺は一条の言っていた映画をリアルタイムで観るべく、リビングのソファに腰掛けた。

 テレビのリモコンを弄り、チャンネルを合わせる。母も興味があるようで、ちらちらと家事の合間に画面を覗いている。

 アニメーションだった。一条の家で観たのは実写だったので、てっきり今日のもそうなんだと思い込んでいた。

 面食らいつつも、期待して画面を観る。

 ちょうど広告が入ったあたりで、父が外出から帰ってきた。手を洗いリビングに来ると、俺にあーだこーだと絡んで来ながら、断りなく俺の隣に座った。

 仕方なく、中央に座っていたところを右にずれる。

 そのうち母も家事を終え、テーブルの椅子に腰を下ろした。

 できれば一人で観たかったんだが……まあいいや。

 ぼーっと三人無言でテレビを眺めた。

 数時間後、エンドロールが流れ始めると、当たり前のように、二人して俺の方に顔を向けた。

「面白いわね、これ。普段滅多にテレビ観ないのに、どうしたの?」

「なあこれ、録画した? もう一周したくなったんだけど」

「……前家に来た子に勧められて、録画した」

 一条を指す言葉に悩んだ。いい加減自分の中で人に説明するときの関係性を決めておきたいんだが、中々思いつかないんだよな。……いや、まあ、普通の友達でいいのだろうか。分かんねえ。経験値が足りねえ。

「前に……ああ、あの子。一条静乃ちゃん」

 母が得心するように手を叩くと、父は大げさに驚いてみせた。

「女の子? 女の子、家に来たの? 弦也目当てに?」

「風邪で休んだとき、ノートとか持ってきてくれたのよね」

 母が補足する。

「ああ。……あれ、話してなかったか?」

 記憶を探る。そういや話してなかったわ。

「聞いてない聞いてない。弦也と仲いい子なの?」

「弦也は濁してたけど、この子があんなに楽しそうに人と話してるの初めて見たわよ」

 …………え?

「うそん。……俺も見たかったあ……、あ、今度また家に呼んだけてよ。休日にさ」

「……まあ、機会があれば」

 俺、一条と話してるとき楽しそうだったのか。

 ……恥ずい。

「そういえば、詳しく聞いてなかったけど、どんな子なの?」

 二人ともキラキラした眼差しで俺の方を見てくる。

「…………」

 俺は、下手なこと言えないぞと、真剣に考えた。

「一言で言えば、生真面目」

 多少ズレてはいるが、真面目なのは間違いない。廊下は走らないし、静かだし、知っている限りの常識とマナーはちゃんと守る。

「あと、学ぶことが好きで、変な雑学知ってる。五月蠅いの漢字の語源とか。それに、単純に面白い。……多分、道端に咲いてる花で五分は話せるくらい感性豊か。……あ、料理上手い」

「え、料理?」

 父が目を見開いた。……なんか変か?

「おお。昨日、家行ったら軽食その場で作ってくれた」

「え? 昨日静乃ちゃんの家行ってたの?」

 今度は母が素っ頓狂な声を上げた。この人がこんなに驚くなんて珍しい。あ、もしや礼儀のことを気にしているのだろうか。

「……ああ、もちろん菓子折りは買っていったよ」

「それは弦也のことだから心配してないんだけど……」

 あれ、違うか?

 二人の動揺の理由が分からず首を傾げていると、父がぽんと俺の肩に手を乗せた。

「……お年頃の男子高校生が、お年頃の女子高校生のお家に気軽に行くもんじゃないのよ。いろいろ誤解とかトラブルがありかねないからね」

 …………あ? 

 言われた一拍あと、ようやく気づいた。

「……ああ……」

 俺は、一条のせいで大分感覚が狂っていたみたいだ。二人からの微妙な視線に、気まずい顔で返す。

「俺たちがびっくりしてる理由、分かったかね」

「……おお」

 素直に頷く。

「しかも、人間関係築くの面倒くさがる弦也のことだから、余計にね」

 母が付け加えた。

「ああ……」

 よく俺のことを理解していらっしゃる。

 でも確かに、一条が無警戒だし、俺が距離感気をつけないとな。近づきすぎたら双方ともにやけどしていたたまれない思いをするんだから。

「……ああ、それにしても面白かったな! その、一条静乃ちゃん? って子、センスがいいなあ。よおし、俺はもう一回観ようかな」

 空気を変えるように父がリモコン操作をし始めた。

「俺はもう部屋行くわ、おやすみ」

「おやすみ」

「おやすみー」

 すぐさま流れ始めた映画の音を背に、俺は自分の部屋に向かった。

 少しばかり隙間を空けて扉を閉めたあと、俺はパソコンを立ち上げた。

 なにか作りたい気分だった。

 作曲ソフトを開いた。

 一条がおすすめしてくれた映画の内容は、こんなものだった。

 主人公は、男子中学生。時期は真冬。私立の入学試験に落ち、追い詰められた彼は兄に散歩をおすすめされる。散歩していた彼は、ふとあるバーに目を留めた。未成年入店可能であったので、ふらりと立ち寄ってみる。そこで、彼にあれこれ話しかけてくる客やバーで働く人々が……って話。

 真っ先にいいなと思ったのが、兄の描写だ。初め主人公は、一度逆切れに近い形で拒否している。そのときの主人公の台詞で、兄が一年前に受験を終えた大学生であることが分かるのだ。兄はその言葉を逆手に取る形で、主人公を説得した。だからこそ、気分転換の重要性を理解している、などと言って。

 そりゃあ追い詰められている状態で散歩なんか行かないよな、っていう説得力があるし、兄の優しさが一瞬で伝わる。

 それから、バーの雰囲気もいい。ランプの光の描き方とか、背景の描き込み具合とかがリアルとアニメ調の境目で、独特な世界観になっている。あとは音響。静かな空気感に合った静観なBGMでありながら、暗くなりすぎない音が使われてる。印象的だったのはチャイムかな。柔らかいさらさした音がよかった。

 このときに話しかけてくる人もキャラが立っていた。台詞や行動などに人間味があふれているのだ。たとえば、常連のある人は男子中学生、という珍しい客にここに定着してほしい、と思っているのだが、いかんせん不器用で上手く会話ができない。それに男子中学生は戸惑いつつも興味を持つ……と。

 この会話劇が小気味いいし魅力的だ。癖になる感じがして、バーの常連が多いというのも頷ける。

 物語は基本的に会話劇で進む。ある人は悲壮な人生を愉快に語るし、ある人はやたらめったら悲劇的な言葉が多い。それぞれの色が出てて面白かった。

 全体的に、誰も誰かを傷つけようとしない空気だった。

 それに、兄に謝罪し勉強を再開したときに兄が隣に座り、一緒に勉強っ。という一言で終わるのがよかった。この作品で伝えたいところはここだ!って叫ばれた気分だった。

 多分一条は、人の弱さを愛せる人なのだ。でなければこの作品をお勧めしてこない。

 自分の欠点を認めてもらえることに、多分人は、想像以上に救われる。自己嫌悪に陥り、後悔の念に苛まれ続ける人間にとって、どれほど幸福なものか。

 俺にとって、一条と話をするとは、それと同じだ。

 きっと、そうなれば俺は救われるんだろうな。

 もしも、そうなったら。

 一条は優しい。静かで独特なテンポを崩さないが、優しいのだ。

 なのに俺はどうして、その優しさに何一つ報えないんだ。

 ……冷静に、考えてみよう。

 手元の紙を握った。

 俺は、一条にならこんなことでも話していいかと思った。これで一条が満足してくれるなら、いいかと思ったんだ。

 関係が続くかはどうでもいい。だから、躊躇する理由はそこじゃない。

 話すのをためらうのは、一条に失望されるのが怖くなったからだ。

 でも、今日の映画から考えてみれば、一条は絶対に俺に対し失望することはない。

 なら、なんでこんなに悩んでいるのだろう。ストッパーは外れたはずなのに。

 ……いや。

 まだ、ストッパーは残ってる。

 自分自身が、自分を許せていないんだ。だから、救われることにつながる、一条に話すということができない。

 ……ああ、くそ。結局そこかよ。

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