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二十話 好きなもの

「そういや、お前は部屋持ってないのか?」

 話を変えると、一条は首を横に振った。

「いえ。寝室のクローゼットを開いて、私の私物を置いています。教科書や、卒業アルバム、脚本ノート、今までのメモ帳、DVD、ゲームソフト、そのほかいろいろ」

「へえ」

 ゲーム。前に趣味を聞いたとき、確かノベルゲームが好きだとか言ってたな。

「見ますか? お布団が畳まれてるのですけれど」

「……いや、いい」

「そうですか」

 こいつは常時こんな距離感なんだよな。人への警戒心がなさ過ぎて、いつか騙されそうだ。ひやひやする。そんな状態で放置するのも気が引けたので、つい口を開いた。

「……ちょっとでいいから、人、特に異性に対する警戒心持てよ」

「なぜですか?」

 駄目だ本気で分かってない。ほら、一条の目が好奇心で輝いている。

 俺はため息を漏らした。

「……いいか。お前が思うほど人間はいい奴じゃない」

 俺は本当に人間相手と話をしているんだよな? 同級生の。

「…………」

 一条はよく分からない様子ながら、しっかりと頷いた。

 ほんとにわかってるか? まあいいや。これ以上話す話題でもないし、俺が言う義理もないわけだし。

 話すことがなくなったので、俺は料理を口に運びながら、一条が食べる様子をぼんやり眺めていた。

「ご馳走様でした」

 そうこうしているうちに食べ終わった。一条はさっと俺の皿や箸を回収すると、リビングのテレビへと目を移した。

「せっかくですし、映画でも見ましょうか?」

「いいけど」

 さて、一条はどんなものをチョイスするのだろうと、テレビの前へと移動した。

 一条は廊下に行き、数分で戻ってきた。

 両腕いっぱいにディスクを抱えている。

「ジャンル、何が好きですか? 一通りは揃っていますけれど」

「一条は?」

「え?」

「一条の家に来たんだから、俺は一条のおすすめを見てみたいんだけど」

「私、ですか」

 心底意外そうに目を丸くした。

「……基本的には、どのジャンルでも面白く見れますが。強いて挙げるのなら、ミステリーですかね」

「ミステリー」

「はい」

 ああ、まあ納得だ。

 床に散らばるジャケットをちらりと見ても、オールジャンル揃っているが、確かにミステリージャンルらしいタイトルの物が目立つ。

「……好きと言いましても、軽めの好きですね。本気で語るとかはできません。…………」

 一条は言うか悩んだように沈黙したあと、口を開いた。

「映画に縛らないのなら、デスゲーム物が好きです。キャラが立っていて、推理要素もある。なにと掛け合わせても面白くなる印象があります」

「ふうん。なんかおすすめある?」

「おすすめ……」

 一条は、恐らく何がいいだろうとパッケージを漁っていた手をぴたりと止めた。

「最近見た中であれば、『夕日色の鋼』ですかね。フリーゲームです」

「フリーゲーム?」

「はい。聞き馴染みありませんか?」

「ねえな」

 フリーゲーム。うん、聞いたことねえ。

「誰でもダウンロードするだけでプレイできる、主にパソコンゲームのことです。無料ですし、ぜひプレイしてみてください。基本難しい操作はありませんから」

「へえ」

 言いながら、一条は散らばった映画たちを片付ける。どうも決めたらしい。

 俺は一条の説明に関心しつつ、スマホのメモ帳に『夕日色の鋼』とメモをした。今日帰ったらやってみるか。どうせ暇だし。

「それが映画のおすすめ?」

「はい」

 ケースからDVDを出して、テレビ台の方に向かった。

「繊細な心情描写と痛快なアクションシーンが共存していて、物語としてみても映画としてみても抜群の魅力がある作品です。あとは、音楽や音響の美しさもよく魅力として取り上げられていますね」

「へえ」

 若干早口だな。本当に好きなんだろう。

 ちょっと期待するな。

「電気、消しますか?」

「好きにすれば」

「消しますね」

 一条は明かりを消し、カーテンを閉めた。室内が真っ暗になる。光と言えば、カーテンの隙間からわずかに差し込むのみだ。

 先程までと同じ場所じゃないみたいだ。

 一条が俺の隣に座った。体育座り。

「では、つけますね」

 眼鏡が光を反射して、目元に深い影を落とした。

 彼女がリモコンを操作すると、黒一色の画面に色彩豊かな景色が映り、映画が始まった。

 一条がおすすめしただけはあり、普通に面白かった。

 ラストシーンの伏線回収に思わず声をあげてしまったほどだ。ちなみにそのとき、一条は無言で……ちょっとにやつきながら画面を眺めていた。

 エンドロールが流れ終わるまで集中していた一条は、画面が暗くなると真っ先に俺の顔を見てきた。目が合う。

 気まずくて速攻で目を逸らした。一条はそれに構わず、少しいつもより弾んだ声で、前のめりになって俺に問いかけた。

「どうでしたか?」

 いやちけえよ、と内心思いつつ、率直な感想が口から出た。

「……面白かった」

「でしょう?!」

 こいつがここまでテンション上がるの、初めて見たかもしれん。

「ああ、凄かった――」「同じ監督の映画が明日の夜二十時から放送されるのでよろしければそちらも。私は映画館で一年ほど前家族と観たのですが面白かったですよ。最も映画館で見るにはやや大人しい印象の物ですが。いえ、音響が最高でしたので、映画館に言った価値はもちろんありましたがね」

 食い気味に返答が来た。その早口でよく噛まなかったな。発音しっかりしてるし。

 アナウンサーとかにでもなってみたらどうだ、と言いたいのを堪え、鼻がくっつきそうなほど近い、というかほぼ俺にもたれている一条に、俺はこう返した。

「……見てみるから、どけ」

 ……足が、がっつりくっついてるから。

「はい」

 一条は気づくと、すぐさまどいて電気をつけた。

「……すみません」

「…………俺はいいけど」

 俺は、改めてこいつ(主に距離感近くて心配という面において)やべえなと思った。

「ならよかったですが。……あの、お詫びになにかプレゼントを……」

「金で帳消しにしようとすなよ」

「すみません」

 一条が気まずそうな顔をしている。珍しいな。

「…………あの」

 つい食い入るように見つめていたら、一条が首を傾げた。

「……ごめん」

「いえ」

 会話が終わった。

 一条はDVDを片付けにかかっている。何気なくその様子を眺めていて、あっと声が出かかった。

「なあ一条、そのジャケットよく見せてくんね?」

「構いませんよ」

 不思議そうにしながらも渡される。

「なあ、これってラストの伏線だよな? それにほら、主人公の周りだけ、こうやって透かすと……」

 ジャケットの紙だけ抜き取って、天井に向ける。

「……わあ」

 一条は感嘆の声を漏らした。

「ぜ、全然気づきませんでした」

「……一条はどのシーンが一番好き?」

 こういうのはやっぱ、感想を語り合うのが一番楽しいだろ。(こと)に一条は、俺よりもよほど映画の技法やらなにやらに詳しいはずだ。創作者の側に立っているのだから。

「私は、一番最初の場面です。意味が分かってから見ると、単なるアクションシーンがガラッと印象を変えていて」

「あー! うわ、確かに変わるわ。俺はそこもそうだけど、中盤くらいのガラスの街の、あらゆるガラスぶっ壊しながら車で爆走するシーンが……」

 あそこもよかった、そこもよかった、あれってこういうことだよな、あれってどういう意味かな、とか話に熱中して話すうち、ふと、昔を思い出した。

 父とコンサートに行った帰り道。俺はずっと興奮しっぱなしで、父に手を引かれながらひたすら話し始めていた。すぐ眠れるくらい興奮して、話し疲れるくらい語ってた。

 楽しかった。あの曲の演奏のこういうところが、好きだと思ったとか、あの演奏者の構えが綺麗でカッコよかったとか。

 楽しかったんだよな。

 ……よし。

「……市川くん」

「あ?」

 熱を帯びた目が、俺を見た。

「私、市川くんといる時間が心地いいです。落ち着くし、楽しいんです。……市川くんといる時間が、好きなんです。貴方は?」

「……俺も。同じだ」

 うん。楽しい。

 二人でいるのが、楽しい。

「よかったです。……でも、さすがにそろそろ時間ですね」

「……え? ああ、マジだ」

 いつの間にか随分時計の針が進んでいる。

 家に帰ったらやることが、三つくらいできた。帰るか。

「……楽しかった。ありがと」

 俺は出る支度を終えると、玄関前で一条にそう言った。

「こちらこそ。楽しかったです。ありがとうございました」

 手を振り別れようとしたが、思い直し手を下げた。一条はその動きを眺め訝し気にした。

「明日、また来ていい?」

 一条は驚いた気配を見せ、しばらくの逡巡のあと、零した。

「午後五時からであれば、家にいると思います」

「……分かった」

 今度こそ別れ、俺は帰り道を歩いた。

 そこでやっと、一条の家を去るのを名残惜しく感じているのに気がついた。

 俺は、楽しんだらしい。

 駅まで歩くとき、ちょっと足取りが軽くなった。

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