十九話 自宅訪問
約束の時間ぴったりに、俺はインターホンを鳴らした。
六月中旬の土曜日。空は雨模様。
傘を閉じた。ガチャリと扉が開く。
「いらっしゃいませ。雨の中、わざわざありがとうございます」
傘立てに傘を刺すと、俺は中に入っていった。
「こちらが洗面所です。お手洗いはあちら。あとは……そこが寝室です。それで――ここが、リビング」
第一印象は、らしいな、だった。
正直言って、広くはない。特別優れた点があるわけではない。ただ、内装が洒落ている。飾り気はないし、家具も豪華だとかかわいらしいものではないのだが、シンプルな美しさがあり、実用的なのだ。それに色もいい。基本は茶色。カーペットも、台所の前に置かれているテーブルも暖かみのある茶色。棚も茶色、テレビ台も茶色。
その分、壁の白とテレビの黒がハイライトになっている。
だからシンプルだけど、すらっとして見える。
「その、手狭で申し訳ありませんが」
「……まあ、狭いのは否定できねえけど。でも、すげー綺麗だと思う。ってか、……なんだ。俺は、好きだ」
あーくそ、言葉が出てこない。
「そうですか」
一条は、反応に困るが嬉しい、みたいな微妙な顔をした。
「……その、母はこういうの、あまり頓着がなくて」
「へえ。じゃあ一条がやってんだ。すげーな」
「…………」
意外そうに俺を顔を見つめてきた。……そんな変なこと言ったか?
「ありがとうございます」
「……ああ」
思ったことを言っただけだから、感謝されると返答に困る。
……あれ、そういえば、一条の口から父親について聞いたことねえな。地雷ってわけでもないだろうが、まあわざわざ詮索することでもないか。
というか、本当に俺が買った服しか着てねえな、こいつ。
「……その、一条のお母さんは?」
今日は休日だ。ごく一般の会社なら大抵休みだろう。
「ああ、職場です」
「……ご職業、は」
聞いていいか少し迷ったが、一条が平常通りの顔をしていたので聞いてしまった。
「美容師です」
「へえ」
美容師。彼女の性格的に、美容院に行くとは思えないから、自分で髪は切っているのかと思っていた。が、なるほど、母が美容師というのなら、髪が整っているのも納得だ。
「市川くんが好きな場所でくつろいでいてください。粗茶ではございますが、お茶をお淹れします」
「あー、ありがと」
「いえ。招いたのは私ですから」
「……そ」
俺は、一条の「好きな場所でくつろいで」に従い、テーブルの前の椅子を引いた。
エプロンを身に付けた一条は、忙しなく、というには静かな動作でてきぱきと動いた。
冷蔵庫を開けた。……軽食も作るらしい。
生活スキル高いな。素直に尊敬する。
それだけに、なぜ服装だけああなってしまうんだ。……いや、合理性を重視するという点では全くぶれてないのか?
こうしてみると、ごく普通の女子高生だ。なんというか、生活感がある。
……落ち着かなくなってきた。人の家にお邪魔することなんて、俺にはあんまり経験なかったから。
……あ。
「一条、一応菓子折り持ってきてるから」
「え、はい」
動揺した声が返ってきた。が、俺には背を向けたまま、台所と向かい合っている。
絶え間なく降ってくる雨が窓にぶつかる音。あと、一条がなにか切っている音。
耳に馴染む。
一条の周りの音は、こんな音が多い。心地いい音であふれてる。
コップを並べて、飲み物を注ぐ音。……どうやら終わったらしく、くるりと身を翻してこちらに来た。
「お待たせしました」
「ありがと」
目の前に置かれたグラスを手に取り、飲んだ。
……レモンティーだ。しかも、多分しっかりレモンの果汁入れてる。酸味が強い。
「……美味しい」
驚きが抜けきらないままいうと、一条はほっと息を吐きだした。
「口に合ってよかったです」
一条はさらに、ことりとした音と共に小皿を置いた。
サラダだ。
「前、なにかの雑談のときに嫌いな食べ物はないと言っていましたよね」
「おお。ありがとう」
一条が差し出してきた一膳の箸を受け取る。白い普通の箸だ。
サラダは、蒸し暑くなり始めた時期にちょうどいい、涼し気な見た目のものだった。透明な皿のせいかもしれない。
「いただきます」
……うま。
あんなささっと作ったように見えるのに、適度に塩気がしておいしい。そして案の定冷たい。美味しい。野菜もサクサク音がするから美味しい。トマトとかキャベツとか、なんか色々と入ってる。
やべえ、美味しい以外出てこねえ。
「……美味しい」
「よかったです」
一条は俺の対面に座り、氷の浮かんだ水を啜った。
頬をほんの少し緩めた。水が好きなのか。
ぼーっとその様子を眺め、ふと疑問がわいてきた。
「一条って、なんでそんな色んなことに興味を持てんの? なんでそれに忠実に行動できんの?」
一条は軽く目を見開くと、自分の分の小皿を見つめた。考えが固まったのか、俺を目を合わせる。
あの、好奇心に染まり切った目が、前髪の奥から見えた。
「簡単に言えば、そういう性分、で終わります。が、私の一条静乃への考察をお話ししましょうか」
彼女は箸を置いた。
「私は、人よりも好奇心が強い、と自覚しています。ですが、それは行動に移すこととイコールではありません。気になれば相手のことも自分のことも気にせず質問責めにしてしまうのは、……率直に言いますと、異常です」
目を細めた。
「その原因は、自分への無関心さ、であると思います。自分の体に興味がないから、人に平気で近づけてしまう。自分の名誉とか世間体とかをどうでもいいと切り捨ててしまえるから、行動を起こせる。……のではないか、と前に考えたことがあります」
「面白い価値観してるんだな」
要するに、一条は自分が危険だとかリスクになるだとか気にせず突っ走れるんだろ。だから迷いがないし一本筋が通ってる。
大事なものがはっきりしてるってのは、いいことだ。と思う。
「……初めて言われました。変人だの、変人気取りだのとしか言われたことがなかったので」
「まあ、多少変わってはいると思うけど」
話していると、ところどころ違和感を覚えることはある。
たとえば、この前さらっと同じ電車に乗っていた派手な服を着た人にファッションについて聞いた、とか言っていた。そうやって行動する割に、特別コミュニケーション能力があるわけでもない。
根本的になんかズレてんな、と思うんだよな。
でも別に、不快じゃない。突然あれこれ質問してきたり、話し始めたりするのも、面白いで終わるし。
「一緒にいて、楽しいよな」
一条はぽかんと口を開けた。ここまで表情が表に出るのは珍しい。
「……その、嬉しいです。ありがとうございます」
さらに珍しいことに、噛み噛みだった。なにより、ふんわり、はっきりと笑った。
なんか惹きつけられて、なにも発せなくなった。
「……暑かったですか? 冷房強めましょうか?」
「は? なんで?」
突然一条が言い始めたので、すらすら言葉が出てきた。一条は首を傾げながらも、俺の顔を示した。
「無自覚ですか? 顔、赤いですよ?」
言われて俺は、右手を頬につけた。……本当だ。熱い。
「あー、そう、かもな」
なんとなく気まずくなって、一条から目を逸らす。
暑いといっても、蒸し暑いだけだ。顔色が変わるほど暑いはずはないんだが。俺は暑さに弱いわけでもないし。
……でも確かに、顔、熱い。
「……風邪、もう治っているのですよね? 無理、しました?」
「いや、平気だ。さっきまでなんともなかったんだから」
「……サ、サラダにアレルギー物質でも入っていましたか?」
「俺アレルギーなんも持ってねえから大丈夫だよ」
……まあいいか。俺は考えることをやめた。




