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十三話 少女と鞄

「面白かったですね」

「その割に観てる途中無表情だったじゃねえか」

 映画館を出て一言。

 一条の発言に思わず突っ込んでしまったが、映画観てるときの顔、なんで知ってたのか聞かれたら終わりだ。

 俺は閉口したが、一条はそこに疑問を挟まず、予想の斜め右上の回答を寄こしてきた。

「いえ、映画というよりも、市川くんが」

「……は?」

 余ったポップコーンを入れた袋が揺れた。

「気まずそうでしたね」

「……そりゃな」

「なんでですか?」

「え?」

 これは誘導尋問かなにかだろうか。

「……知らね」

「なんでですか?」

 顔を背けてもひょいと覗いてくる。一条の目が好奇心で輝いていた。

 気持ち睨みながら、俺は、

「……逆に、なんでお前はあれを俺と観ようと思ったんだよ」

「参考文献によれば、仲が深まると」

「なんの文献だ」

「少女漫画です」

 即答。

「なんでそこ参考にしたんだよ。それは俺にじゃなくて好きな人にやれ」

「……私は市川くんが好きですよ?」

 頭の中がはてなで埋め尽くされてるような目だ。一条は純粋で、まっすぐで、まるで子供の素朴な疑問を投げかけてくる。

 ふーっと息を吐く。

「それは人間的にだろ。恋愛的にの話だ」

「……それ」

 悩むように顎に手を添え、困惑したように俺と顔を合わせた。だんだん、一条の感情が読み取れるようになってきた。

「なにが違うのですか?」

「なに、って」

「人間的に好きと、恋愛的に好き、ってなにが違うのですか?」

「……」

 一条があまりに真っすぐ見据えてくるものだから、俺も真剣に考えてみることにする。

 まずはやっぱり性欲だろうと思うが、真っ先にそれを挙げるのは気持ち悪いだろうな。

 じゃあほかに、その線引きって何だ?

「……あ。恋愛的に好きな人にはかっこつけたいし、人間的に好きな人には気楽でいられる、とか」

「でも、一緒にいると安心する人の方がよくないですか?」

「んー……」

 知らねえ。分かんねえ。俺、初恋すらまだかもしれねえしなあ。

 物心ついたときから静かで無口な子供だったらしいし、成長したらバイオリンと音楽以外に興味なくなってたし。

 そう考えると、俺は初恋、バイオリンに奪われたかもな。

 でも俺、バイオリンに対してかっこつけたいし気楽でいられるからな。まあバイオリンと人間を比べるなって話かもしれないが。

「……分かんね」

「では、私は間違ってないということで」

「それは違うんじゃねえの? だってお前、別に俺と付き合いたいわけじゃないだろ」

「…………」

「検討するな」

 いつの間にか俺に対する一条の好感度が高くなっている。どこでこいつの琴線に触れたんだ。

「いえ、私がもし仮に市川くんを恋愛的に好きになったとして、そして、本当に仮に、ありえないと分かっていますが、市川くんも私のことを恋愛的に好きになったとしても、私は市川くんとは付き合わないと思います」

「……その心は」

「私は、自分が誰かを幸せにできる人間だとは思いませんから。人と付き合うだなんて、駄目です」

「……まあ、お前がそう思うんだったらそうなんだろうけど。人間関係で幸せにするとかしないとか、あんま考えなくね」

「へ」

「ただ一緒にいて居心地いいからいるだけだろ」

 言いながら、あ、それだ、と思った。

 一緒にいると楽しいとかつまらないとかどうでもよくて、なんとなく一緒にいたいから俺は一条と関わってる。

 一条が俺個人に興味を持ったみたいに、俺も一条本人だけじゃなくて、彼女の持つ雰囲気とか、一緒に過ごす時間が、好きになってたんだ。

「……なら市川くんは」

 一条につられ、立ち止まる。彼女は俺の前に回ると、肩にかけた学生鞄を握った。

「私と一緒にいたいですか?」

「ああ」

 一条は息を呑んだ。明らかに目を見開いた。真っ黒な髪がかかっていてもはっきりわかるくらい。

 こいつ、こんな顔するんだな。

「さっきの話じゃねえけどさ。一条と一緒にいると、気が楽なんだよ。一人でいるのと同じくらい」

「……」

 じんわりじんわり、真っ白な頬に赤が差した。

「ほ、本当ですか?」

 まるで子供みたいに、目がキラキラしてる。

 一条は、すげーいい顔するんだな。

「俺は嘘つかねえよ」

「……初めて言われました、そんなこと。いつも、怖いとか、嫌いとかしか言われなくて」

 …………あー。なるほど。

 理解した。

 俺は一条のことを好ましく思ってる。だから、悪印象を持ってる他の人に比べたら、そりゃ好意的な対応になるわけで。

 それが、一条にクリティカルヒットしたわけだ。

 妙に俺に対して好印象を持っていたり、距離が近かったりするのはそれが原因か。

「……昼、一緒に食おうぜ」

 なにか施してやりたくなった、というと上から目線だが。そんな気分になった。

 買ったはいいもののほとんど減っていないポップコーンも消費したいし、ちょうどお昼時だしな。

「市川くんがいいのなら」

 フードコートで席に座り、適当に軽めの昼食とポップコーンを口に突っ込む。

 時間が時間だから、周囲はなかなか混み始めている。席が取れたのは運が良かった。

「……午後、お前なんか予定ある?」

 一条はファストフード店で買ったポテトを口に運んだ。咀嚼し、飲み物を飲み干す。口の中が綺麗になったタイミングで、

「ありません」

「じゃ、鞄買いに行くぞ」

「……え」

 俺は、一条が自分の隣に置いた学生鞄を指さした。

「制服にならまだしも、私服に学生鞄は合わねえからな」

「……ありがとうございます。あ、お金は、私、出しますからね」

「おお」

 俺は自分の分の昼食……唐揚げを食べ終わって、手持ち無沙汰になった。スマホをいじる気分じゃないし、かといってほかにやることもない。

 肘をついて、一条が食べるのを観察することにした。

 一条の、指についた塩を無造作に舐める仕草が目に留まる。品があるのに、多少けだるげな仕草が似合っている。

 仕草や食べ方に性格って出るんだな。

 彼女がすっと目を細め、視線を下に落とす。

 こうしてみると、真面目な女学生に、静けさと上品さを足したような風合いだ。

 風情がある人ってこういう人のことなんだろうか。

「私、人間観察が好きなのですが」

 不意に、顔を上げた。長めの前髪で隠れ気味の目が、しっかりとこちらを覗いてくる。

「……ああ」

 癖のある髪が、頬や首元を隠している。

「人に見られるのは、落ち着きませんね」

「…………あ、ごめん」

 一条は、少々気まずげに目を逸らした。

「そんな見てたか?」

「ええ、まあ。その、見られるのに慣れていないので、変な挙動をしていたら嫌だなと思って」

「……ごめん」

「いえ、見られるのは全然構わないのです。……あ、食べ終わりました」

 一条がポテトと自分の分のポップコーンを完食した。

「じゃ、行くか」

 飲み終わった炭酸水のペットボトルを捨てる。

「できればオールシーズンそれ一個で済む鞄がいいです」

 ……中々難しい注文を。

 再三言ってるが、俺は決して特別ファッションセンスがある方じゃない。女きょうだいもいない。ごく普通の男子高校生くらいのセンスしかない。

「……色の好みは、ないんだっけか」

「はい」

 まあ、どんな物にも合わせられるようにするんだったら、白か黒一択だな。

 俺の中の知識を総動員しつつ、俺と一条は鞄を求めて歩き始めた。

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