番外編 深窓の令嬢とガレージの魔境、あるいは時知らずの魔女の覚醒
世界にダンジョンゲートが出現してから、およそ二ヶ月が経過した頃のこと。
東京都内でも屈指の高級住宅街、松濤。
その一角に、周囲の豪邸をも威圧するほどの敷地面積を誇る、純和風とモダン建築が融合した屋敷があった。
九条家。
古くから続く華族の血筋であり、現代においては多角的なコングロマリットを形成する財閥の一角。
その本邸――ではなく、令嬢が「一人暮らしの練習」と称して与えられた別邸のガレージで、事態は起きていた。
「……あら? 何か出来ましたわね……」
九条カレン(17歳)は、愛用の高級車――イタリア製の真紅のスポーツカーの隣に、ぽっかりと口を開けた不気味な紫色の渦を見つめていた。
彼女はこの春から高校二年生になったばかりの、生粋の深窓の令嬢である。
艶やかな黒髪は背中まで流れ、肌は陶磁器のように白い。
身につけているのは、オーダーメイドのシルクのルームウェアだ。
しかし、その瞳には恐怖の色は薄い。
あるのは非日常に対する純粋な好奇心と、わずかな困惑だけだった。
「これ、ニュースでやっている『ダンジョンゲート』というものですわよね?
まさか、わたくしのガレージに出来るなんて……。
愛車が出せませんわ」
彼女は困ったように頬に手を当てた。
ガレージのシャッターを開けようにも、空間そのものが歪んでおり、センサーが反応しない。
これではショッピングにも行けないし、学校へも行けない。
由々しき事態である。
「使用人を呼ぶ……いえ、今日は日曜日でお休みをあげてしまいましたわ。
警察? 自衛隊?
……なんだか大ごとになりそうですわね。
お父様に知られたら、『危険だから実家に戻りなさい』と言われてしまいますわ。
それは嫌ですの」
カレンは自由を愛していた。
厳格な実家の教育から逃れ、この別邸で気ままな一人暮らしを謳歌することこそが、現在の彼女の至上の喜びなのだ。
ゲートが出来たくらいで、その権利を手放すわけにはいかない。
「そうですわ。
こういう時は、専門家に聞くのが一番ですわね」
彼女は最新型のスマートフォンを取り出し、SNSアプリ『X』を起動した。
最近彼女がフォローしているアカウントの中に、奇妙なほどダンジョンに詳しい人物がいたのを思い出したのだ。
ID:@Takumi_Yashiro
プロフィール:鑑定士/コンサルタント。世界の最適解教えます。
胡散臭い。
普通ならスルーするようなプロフィールだが、彼の投稿する情報は驚くほど的確で、実際に試した探索者たちから感謝のリプライが殺到していた。
「この方なら、何か良い知恵を授けてくださるかもしれませんわ」
カレンは躊躇なく、ダイレクトメッセージ(DM)の作成ボタンを押した。
『初めまして。突然のご連絡失礼あそばせ。
わたくし、都内で一人暮らしをしております学生ですの。
実は今朝、自宅のガレージにダンジョンゲートらしきものが出来てしまいましたの!!!
助けてくださいまし!!!
車が出せなくて困っておりますの!!!』
送信。
相手は有名人だ。返信が来る保証はない。
だが数分と経たずに通知音が鳴った。
『@Takumi_Yashiro:
状況は分かった。
とりあえず、そのゲートの写真を撮って送ってくれ。
近づきすぎないようにな』
「まあ! お早いですわ!」
カレンは急いでカメラアプリを起動し、紫色の渦を撮影して送信した。
数秒の沈黙。
そして驚くべき返信が届いた。
『@Takumi_Yashiro:
OK、鑑定した。
結論から言うと、それは「階層変動型ダンジョン」だ。
1層がF級、2層がE級、3層がD級……と、潜るごとに難易度が上がっていくタイプだな』
「写真だけで、そこまで分かりますの?
すごいですわ……本物の鑑定士様ですのね」
カレンは感嘆の息を漏らす。
だが続くメッセージに、彼女は眉をひそめた。
『@Takumi_Yashiro:
で、処遇についてだが。
日本政府に連絡しろ、というのが一般的なアドバイスだ。
だが、それをすれば間違いなくその土地は接収される。
ガレージどころか家ごと立ち退きを命じられるだろうな。
「国の管理下にある危険区域」になるからだ』
「立ち退き!?
それは困りますわ! ここはわたくしのお城ですのよ!?」
カレンは慌てて返信を打つ。
『それは絶対に嫌ですわ!
どうにかして、内密に処理する方法はありませんの!?』
『@Takumi_Yashiro:
あるにはある。
……まあ、没収されるのは勿体ない物件だからなぁ。
君が潜ってみれば?(笑)』
「……はい?」
カレンは目をぱちくりとさせた。
自分が潜る?
か弱い乙女である自分が、モンスターの巣窟へ?
『@Takumi_Yashiro:
冗談で言ってるんじゃないぞ。
さっきゲートと一緒に、君のことも少し「視」させてもらった。
君、持ってるぞ。
ユニークスキル【鑑定(A級)】だ』
「えっ……?」
カレンは自分の体を見下ろした。
何も変わっていないように見える。
だが言われてみれば、最近、物の良し悪しが直感的に分かるようになっていた気がする。
スーパーで美味しい野菜を選んだり、骨董品屋で掘り出し物を見つけたり。
あれは単なる勘ではなく、スキルだったというのか。
『@Takumi_Yashiro:
A級の鑑定があれば、ダンジョン内のアイテムの詳細、敵の強さ、弱点、そしてトラップの有無まで、ある程度は見抜けるはずだ。
要するに「攻略本」を持ってゲームを始めるようなもんだ。
運動神経も悪くないだろう?
頑張れば行けるぞ?
自分で管理して、定期的にモンスターを間引けば、誰にもバレずに「自分だけのダンジョン」として維持できる』
自分だけのダンジョン。
その言葉の響きに、カレンの心臓がトクンと跳ねた。
それは恐怖ではなく、胸の高鳴りだった。
「わたくしに才能が……?
攻略本を持って冒険を……」
彼女の脳裏に、幼い頃に見た冒険映画のワンシーンが蘇る。
退屈な日常。決められたレールの上を歩くだけの人生。
そこから脱却するチャンスが、今、目の前のガレージにある。
カレンの指が、迷いなくスマホの画面を叩いた。
『本当ですか!?
やりましたわー! わたくし、特別な存在でしたのね!
分かりましたわ、潜ります!!
この不法占拠者たちを追い払って、わたくしのガレージを取り戻しますわ!』
決意は固まった。
だが、その前に一つだけ聞いておきたいことがあった。
『あの……色々と教えていただいたお礼もしたいですし、一度お会いしてくださったり……なんかしませんか?』
淡い期待。
未知の世界へ導いてくれるメンター(指導者)への憧れ。
しかし八代からの返信はドライだった。
『@Takumi_Yashiro:
あー悪いな。俺も今、ギルドの立ち上げやら何やらで忙しいんだ。
初心者の付き添いをしている暇はない。
……そうだな。
君がレベル46になったら、会ってやってもいいぞ。
そこまで生き残れたらの話だがな。
じゃ頑張れ!!!』
通信終了。
一方的に切られたDM画面を見て、カレンはむぅと頬を膨らませた。
「レベル46……。
よく分かりませんが、高いハードルを設定されましたわね。
ふふん、上等ですわ。
九条家の女は、売られた喧嘩と高いハードルほど燃えるのです!」
彼女は立ち上がった。
その目には、もはや迷いなど微塵もない。
あるのは獲物を前にした捕食者のような輝きだけだ。
「やりますわよ!!!
まずは装備ですわね……。
家にあったアレ、持ち出しますわ!」
◇
数十分後。
ルームウェアから動きやすいテニスウェア(名門女子校の指定ジャージ)に着替えたカレンは、屋敷の奥の間から一振りの刀を持ち出していた。
黒塗りの鞘。
鯉口を切り、刀身を抜き放つと、波紋の美しい日本刀が冷ややかな光を放つ。
「業物『兼定』。
お祖父様が『泥棒が入ったら、これで斬り捨てなさい』と持たせてくれた美術品ですけれど、まさか本当に使う日が来るとは思いませんでしたわ」
カレンは幼少期より護身術として薙刀と剣術を嗜んでいる。
全国大会で優勝するほどの腕前ではないが、師範代からは「筋が良い」「殺気が綺麗だ」と奇妙な褒められ方をしていた。
彼女はガレージの前に立った。
渦巻く紫色のゲート。
その向こうから漂ってくる獣の臭いと殺気。
「不法侵入者は排除いたします。
それが九条家の流儀ですわ!」
カレンは一歩踏み出した。
ためらいはない。
彼女の魂の奥底で眠っていた「何か」が、この瞬間、目覚めの産声を上げていた。
◇
ゲートをくぐると、そこは薄暗い洞窟だった。
湿った空気。
岩肌を伝う水滴の音。
そして前方から聞こえてくる下品な笑い声。
「ギャギャッ!」
「ゲギャッ!」
現れたのは緑色の小鬼――ゴブリンの集団だ。
5匹。
手には錆びたナイフや棍棒を持っている。
彼らはカレンの姿を見ると、獲物を見つけたハイエナのように舌なめずりをして襲いかかってきた。
普通の女子高生なら、ここで悲鳴を上げて腰を抜かすだろう。
だが、カレンは違った。
「あら、汚らしい。
わたくしのテリトリーに土足で踏み込むなんて……万死に値しますわー!!!!!」
カレンは笑った。
心底楽しそうに。
彼女は日本刀を構え、疾走した。
速い。
自分でも驚くほど体が軽い。
ダンジョンの魔素が、彼女の眠れる才能を活性化させているのだ。
「そこですわ!」
一閃。
先頭のゴブリンの首が、抵抗なく宙を舞った。
血飛沫が舞うが、カレンはそれを優雅なステップで回避する。
「次! その次はあなた!」
返す刀で二匹目を袈裟斬りにし、三匹目の心臓を突き刺す。
兼定の切れ味は凄まじい。
だが、それ以上にカレンの剣筋に迷いがなかった。
生物を斬るという忌避感がない。
まるで庭木の剪定をするかのような、無慈悲で流麗な太刀筋。
「わはー! 楽しいですわー!
こんなにスパスパ斬れるなんて、ストレス発散になりますわね!」
残りのゴブリンが恐怖に顔を歪め、逃げ出そうとする。
だが遅い。
「逃しませんわよ。
背中を見せるのは、斬ってくださいという合図ですわ!」
カレンは踏み込み、逃げるゴブリンの背中を薙ぎ払った。
5匹全滅。
所要時間、わずか数十秒。
カレンは刀についた血糊(実際には光の粒子となって消えていくが)を振るい、ふぅと息を吐いた。
「あっ、何か落ちましたわ」
ゴブリンが消滅した後に、キラキラと光る石が転がっていた。
カレンはそれを拾い上げ、八代に言われた通り【鑑定】スキルを意識して見つめた。
瞬間、脳内に情報が流れ込んでくる。
「名前: F級魔石
レアリティ: コモン
種別: 素材 / エネルギー源
効果テキスト:
この石は術者の「意志」に呼応し、その内に秘められた純粋な魔力エネルギーを、様々な現象へと変換する奇跡のエネルギー源である。
熱変換:
術者の意志に応じて、熱を発生させることができる。
例:約1リットルの水を、瞬時に沸騰させる程度の熱量。
電力変換:
術者の意志に応じて、電力を発生させることができる。
例:スマートフォンのバッテリーを、一瞬で満充電にする程度の電力。
物理干渉:
術者の意志の強さに応じて、軽い物体を宙に浮かせたり、動かしたりすることができる。
ただし内包する魔力は有限であり、一度その力を使い果たした魔石は、ただの石ころと化す。
フレーバーテキスト:
神が天から火を盗んだプロメテウスを罰したように、
我々もまた、この地底から盗み出した新たな『火』によって罰せられるのだろうか。
いや違う。これは罰ではない。
次なる時代へと進むための祝福だ。」
「まあ……。
なんて素敵なテキストでしょう。
『次なる時代へと進むための祝福』。
おしゃれですわー!」
カレンは魔石を太陽にかざすように見つめた。
ただの石ころではない。ここには世界を変える力が詰まっている。
そして自分は今、その変革の最前線にいるのだ。
「これが『鑑定』……。
本当に何でも分かりますのね。
八代様が仰っていた通り、これなら何も怖くありませんわ」
カレンは魔石をポケットにしまい、さらに奥へと進んだ。
次に遭遇したのは、豚の顔をした大男――オークだ。
ゴブリンよりも遥かに大きく、強そうだ。
だがカレンの鑑定眼には、オークの弱点が赤く光って見えていた。
『右膝の古傷』。
『首の装甲の隙間』。
「そこが弱点ですのね?
なら、そこを突けば良いだけですわー!」
カレンは笑いながら突っ込んだ。
オークが棍棒を振り上げるよりも早く、彼女の刃が右膝を切り裂く。
体勢を崩したオークの首筋に、返しの刃が吸い込まれる。
ドサッ。
巨体が沈む。
その時、カレンの体が淡い光に包まれた。
レベルアップだ。
力が湧いてくる。
思考がクリアになり、筋肉の繊維一本一本まで支配できるような全能感。
「ふふふ……。
わたくし、最強かもしれませんわ」
ドロップ品の中に、見慣れないアイテムがあった。
青いガラス玉のようなものと、茶色く濁った玉。
「鑑定!
『変成のオーブ』……ノーマルアイテムをマジックアイテムに変化させる。
『王者のオーブ』……マジックアイテムをレアに変化させる」
カレンは自分の持っている日本刀『兼定』を見た。
この世界のシステム上、これはまだ「ノーマルアイテム(白)」扱いだ。
名刀ではあるが、魔法的な付与効果はない。
「やってみますわ!」
カレンは躊躇なく『変成のオーブ』を兼定に押し当てた。
カッ!
青い光が刀身を包む。
【鋭き兼定】(マジック)
効果:物理攻撃力+20%増加。
「おおー! 切れ味が増しましたわ!
でも、まだ足りませんわね。
もっと強く……もっと派手に!」
続けて『王者のオーブ』を使う。
シュウウウ……バチッ!
今度は黄色い光が刀を包み込む。
【将軍の兼定】(レア)
効果:
・物理攻撃力+45%増加
・攻撃速度+10%増加
・敵を倒すとHPが微量回復する
「来ましたわー! レアアイテムですわー!
しかもHP回復付き!
これなら、いくら斬っても疲れませんわね!」
カレンは強化された刀を振るった。
空を切る音が違う。
風を切り裂くような鋭利な音。
「さあ、試し斬りですわ!
もっと出てらっしゃい! わたくしの糧になりなさい!」
彼女はさらに奥へと進んだ。
そこは広場になっており、10匹以上のゴブリンとオークの混成部隊が待ち構えていた。
普通の初心者なら絶望して逃げ出す数だ。
だがカレンは、捕食者の笑みを浮かべた。
「雑魚敵、多すぎですわー。
いちいち相手をするのも面倒ですけれど……。
10匹くらい、一度に撫で斬りにすれば良いんですわー!」
彼女は群れの中に飛び込んだ。
舞うように、踊るように。
振るわれる刃は銀色の軌跡を描き、触れるものすべてを両断していく。
首が飛ぶ。
腕が舞う。
断末魔の合唱。
「とりあえず、首狩れば良いんですわー!
わはー! 楽しいですわー!」
返り血を浴びてジャージ姿の令嬢が高笑いする。
その姿は清楚な見た目とは裏腹に、戦場の女神か、あるいは血に飢えた羅刹のようだった。
◇
一方その頃。
港区のマンションで作業をしていた八代匠のスマホに、通知が届いた。
『@Karen_Kujo:
八代様! 見てくださいまし!
F級ダンジョン、制圧しましたわ!
魔石が山盛りですの!
日本刀も強化しましたし、レベルも10になりましたわ!
10匹同時に相手にしても余裕でしたのよ!
わはー!』
添付された写真には、魔石の山の上に座り、血濡れ(に見えるエフェクト)の日本刀を掲げてVサインをするジャージ姿の美少女が写っていた。
背景には無数のモンスターの死体が転がっている。
「……やってるなぁ」
八代はスマホの画面を見て、苦笑した。
予想以上の適応力だ。
いや、予想通りか。
彼は知っていた。
九条カレン。
彼女こそが10年後の『ダンジョン・フロンティア』におけるメインキャラクターの一人。
通称【時知らずの魔女】。
時空魔法と剣術を組み合わせた独自の戦闘スタイルで、単独でS級ダンジョンを攻略する最強のソロプレイヤーとして名を馳せることになる、未来の英雄だ。
その才能の片鱗が、この初期段階ですでに開花し始めている。
「こんくらい普通か……。
まあ、将来の有力な戦力(手駒)として、せいぜい伸び伸びと育ってくれよ」
八代は短く『Good』のスタンプを返し、画面を閉じた。
彼女がレベル46になり、再会する日はそう遠くないだろう。
その時、彼女がどんな化け物に育っているか。
楽しみでもあり、少し恐ろしくもある八代だった。
ガレージの奥で、少女の笑い声と剣戟の音が今日も響き渡る。
それは新たな伝説の始まりを告げる産声だった。




