第20話 魔素という名の毒、そして投資家としての慈悲
ダンジョンゲートが世界に出現してから三ヶ月。
季節は冬を迎えようとしていた。
世間は相変わらず「ダンジョンブーム」に沸いている。
俺が仕掛けた「ステータスアップによる自己投資」という甘い蜜に群がり、週末になればF級ダンジョンの入り口には長蛇の列ができる。
アメ横の闇市は活況を呈し、C級ダンジョンを攻略した俺たち「アルカディア」の名声は天井知らずだ。
だが。
光が強ければ、影もまた濃くなる。
俺、八代匠は港区のオフィスの窓から、寒空の下を行き交う人々を見下ろしていた。
彼らは知らない。
この世界に、ダンジョンと共に「目に見えない災厄」がばら撒かれていることを。
『環境魔素不適合症』。
それが、その病の名前だ。
ダンジョンゲートが開いたあの日から、地球の大気中には「魔素」と呼ばれる未知のエネルギー粒子が微量に混入した。
99.9%の人間にとって、それは何の影響もない、ただの空気の成分だ。
むしろ適正のある者にとっては、活力を与えてくれる恩恵ですらある。
だが、ごく稀に。
数万人に一人、あるいは数十万人に一人という確率で、この魔素に対して過剰な拒絶反応を示す体質の人間が存在する。
彼らの免疫系は、吸い込んだ魔素を「致死性のウイルス」と誤認して暴走する。
高熱、全身の激痛、臓器の機能不全。
そして最終的には、体内の魔力回路が焼き切れ、内側から崩壊して死に至る。
発症すれば余命は半年。
長くても一年。
現代医学の薬は効かない。
抗生物質もステロイドも意味をなさない。
なぜなら原因はウイルスでも細菌でもなく、「世界そのものの変化」だからだ。
『ダンジョン・フロンティア(ダンフロ)』のシナリオにおいて、これは避けられない「負のイベント」として描かれていた。
10年後の未来においてさえ、年間100人以上の死者を出し続ける不治の病。
これを治療、あるいは延命するためには、魔導工学と現代医療を融合させた特殊な透析装置による「魔素除去治療」を続けなければならない。
その費用は、政府の支援があったとしても月額1000万円。
年間1億2000万円。
それを一生続けなければならない。
一般家庭に払える額ではない。
家を売り、借金をし、それでも足りずに愛する家族が衰弱していくのを、ただ見守るしかない……。
そんな地獄が、これから日本中で静かに幕を開ける。
「……嫌なイベントだ。スキップしたいが、現実は非情だな」
俺はデスクに置かれた一枚の資料を手に取った。
政府から非公式に共有された「原因不明の多臓器不全患者」に関するレポートだ。
まだ病名すらついていない。
だが、その症状の記述は、俺の知る『環境魔素不適合症』そのものだった。
「どうしますか、リーダー?」
背後から沈痛な面持ちで、乃愛が声をかけてきた。
彼女もまた、高いINTによる情報収集能力で、この奇病の噂を耳にしていたようだ。
「……どうするも、こうも、放っておけば死ぬだけだ」
俺は淡々と答えた。
「見捨てるんですか?」
「俺は医者じゃない。神様でもない。
それに、まだ治療法も確立されていないこの段階で、俺たちができることなんて限られている」
俺は言葉を切った。
乃愛の表情が曇る。
彼女は優しい。
だからこそ、この理不尽な現実が許せないのだろう。
だが、俺が見ているのは「かわいそうだから助けたい」という感情論ではない。
もっと先にある、冷徹なまでの「損得勘定」だ。
この病には、ある一つの「裏設定」がある。
それはゲーマーの間では常識だが、この世界の人々は誰も知らない真実だ。
『環境魔素不適合症』の生存者は、100%の確率でSSS級ユニークスキルに目覚める。
理由は単純だ。
魔素という猛毒に侵され、それに抵抗し続け、死の淵から生還した肉体は、結果として「魔素に対して異常なまでの適応進化」を遂げるからだ。
毒を薬に変えるほどの変異。
それは凡人がどれだけ努力しても手に入れられない、「選ばれし者」だけの才能となる。
彼らが手にするスキルは、通称「ティア0(ゼロ)」と呼ばれるバランスブレイカー級のものばかりだ。
例えば:
『確定クリティカル(乱数固定)』:確率に関係なく、常に最大ダメージを叩き出す。
『魔力無限炉心』:MPが減らない。枯渇しない。
『因果逆転』:結果を先に決定してから行動する。
10年後のシナリオにおいて、世界を救うSSS級探索者はわずか20人。
そのうちの何人かは、この病を乗り越えたサバイバーだ。
つまりこの病気は「死の宣告」であると同時に、「英雄への招待状」でもあるのだ。
「……見捨てるなんて言ってないぞ、乃愛」
俺は資料をデスクに放り投げた。
「俺は投資家だ。
将来、莫大な利益を生む可能性がある『原石』が、みすみす死んでいくのを指をくわえて見ているほど馬鹿じゃない」
「え?」
「行くぞ。霞が関だ。
政府の連中に、俺の金の使い道を教えてやる」
◇
内閣府特別応接室。
部屋の空気は重かった。
佐伯は、いつも以上に疲れた顔でソファに座っていた。
「……まさか、君の方からこの件に触れてくるとはな」
佐伯が手元のファイルを指差した。
そこには都内の病院で確認された数名の重篤患者のデータがある。
まだ子供ばかりだ。
魔素の影響は、体の小さい子供に顕著に出る。
「『原因不明の奇病』。政府はそう発表するつもりですか?」
俺は聞いた。
「パニックを避けるためには、それしかない。
専門家の意見では、大気中の未知の粒子……君たちの言う『魔素』が原因である可能性が高いそうだ。
だが治療法がない。
既存の透析装置ではフィルターが目詰まりを起こす。
魔石を触媒にした新型の装置が必要だが……開発には数千億円規模の予算と、数年の時間がかかる」
佐伯は苦渋の表情で首を振った。
「予算が降りないんだ。
たかが数人数十人の『珍しい病気』のために、国家予算を傾けるわけにはいかない。
財務省が首を縦に振らんよ」
これが現実だ。
政治とは数の論理だ。
1000万人のインフルエンザ対策には金が出るが、10人の難病には出ない。
その10人が将来世界を救う英雄になる可能性があったとしても、今の彼らにとっては「ただの死にかけの子供」でしかない。
「金がないなら、出しましょう」
俺は言った。
「……は?」
佐伯が顔を上げた。
「金ならある。
魔石取引などで得た利益や、これから入る予定の装備売上の余剰金。
ざっと100億円。
これを寄付します」
「100億……!?
君、正気か? 桁を間違えていないか?」
佐伯の声が裏返った。
無理もない。
一介の民間人がぽんと出す金額ではない。
「正気ですよ。
ただし条件があります。
この金を『魔素不適合症対策・特別医療ファンド』として運用すること。
そして政府主導で早急に『魔石式・魔素除去透析装置』の開発と、専門病棟の設立を行うこと。
私の出した100億を呼び水にして、国としても同額以上の予算をつけてください」
俺は佐伯の目を真っ直ぐに見据えた。
「これは『医療ルート』の早期解禁です、佐伯さん。
今、この病気を見捨てれば、日本は将来、取り返しのつかない損失を被ることになる。
逆に今ここで手を打てば、日本は世界最先端の『魔導医療国家』になれる」
「損失とは……人材のことか?」
「ええ。
この病にかかる人間は、魔素に対する感受性が極めて高い。
生き延びれば、間違いなく強力な探索者(戦力)になります。
彼らを死なせるのは、国益に反する」
俺は、もっともらしい嘘(いや半分は真実だが)を並べ立てた。
「人命尊重」なんてお題目よりも、「国益」「戦力」と言ったほうが政治家は動きやすい。
佐伯は長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「……君という男は、どこまで見えているんだ」
「少し先の未来が見えているだけですよ」
「分かった。
君がそこまで腹を括るなら、私も政治生命を賭けよう。
財務省と厚労省をねじ伏せて、特別プロジェクトを発足させる。
100億の寄付金、確かに預かった」
「感謝します。
ああ、それと……寄付者の名前は匿名でお願いします。
『売名行為だ』とか騒がれるのは面倒ですから」
「……君は本当に……」
佐伯の目には、俺が「無私の英雄」のように映っているのかもしれない。
だが、その評価は大きな間違いだ。
俺は心の中で舌を出していた。
100億? 安いものだ。
もしこれでSSS級探索者を一人でも囲い込めるなら、バーゲンセールもいいところだ。
通常、SSS級を仲間にするためには、どんなイベントをクリアし、どんなレアアイテムを捧げなければならないか。
それを考えれば、金で解決できるなら喜んで払う。
これは寄付ではない。
10年後の最強パーティーを編成するための「先行投資(ガチャ代)」だ。
それに匿名にしたのは謙遜ではない。
将来、彼らが回復した時に「あの時助けてくれた足長おじさん」として恩を売り、独占契約を結ぶための布石だ。
公表してしまえば、他の企業やギルドにハイエナされる可能性があるからな。
「……フフッ」
俺は自然とこみ上げる笑いを堪えた。
傍から見れば、慈愛に満ちた微笑みに見えただろうか。
それとも、悪だくみをする商人の顔だっただろうか。
◇
オフィスへの帰り道。
ハイヤーの中で乃愛が潤んだ瞳で俺を見ていた。
「リーダー……私、誤解していました」
「ん?」
「リーダーがお金にうるさいのは、自分のためじゃなかったんですね。
こうして苦しんでいる人たちを助けるために必死で稼いで……。
しかも100億円もポンと出して、名前も明かさないなんて……!」
「……」
「私、感動しました!
リーダーは本当のヒーローです!」
乃愛が手を握りしめてくる。
その純粋な尊敬の眼差しが少し痛い。
いや、痛くはないが、くすぐったい。
「……買い被りだ、乃愛。
俺はただ将来の人材確保のために動いただけだ。
あれは必要経費だ」
「もう、またそうやって照れ隠しを!
そういう不器用なところも、リーダーらしいですけど!」
完全に「いい人フィルター」がかかってしまっている。
何を言っても「照れ隠し」と解釈されるモードだ。
「まあ、いいか」
俺は窓の外を眺めた。
これで医療ルートのフラグは立った。
数ヶ月後には最初の専門病棟が完成し、子供たちへの延命治療が始まるだろう。
その中には必ずいるはずだ。
未来の「剣聖」や「大魔導師」の幼体が。
彼らが治療を終え、その才能を開花させた時――一番最初に手を差し伸べるのは俺だ。
「……待ってろよ、SSS級たち。
お前らの命は、俺が買った」
俺の呟きは、ハイヤーのエンジン音に消えた。
隣で乃愛がスマホで「八代匠 かっこいい」とか検索しているのが視界に入ったが、見なかったことにした。
世間は俺を冷徹なギルドマスターだと思うだろう。
あるいは、今回の一件を知る者は聖人君子だと思うだろう。
どちらも正解で、どちらも間違いだ。
俺はただの「プレイヤー」だ。
このクソッタレな世界を完全攻略するために、使える手札は全て使う。
金も、政治も、そして人の命さえも。
「さて、人助け(投資)も終わったことだし。
次は自分の強化だ」
俺は気持ちを切り替えた。
C級ダンジョンでの素材集め。
理論値装備の作成。
やるべきことは山積みだ。
魔素という毒が世界を蝕んでも、俺たちの歩みは止まらない。
むしろ、その毒すらも喰らって糧にしてやる。
それが『ダンジョン・フロンティア』というゲームの、唯一の攻略法なのだから。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」「ざまぁが見たい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。
アメ横の闇市よりも、政府の買取よりも、なろう読者の皆さまの「いいね」こそが、最も信頼できる通貨です。
↓↓↓ 応援、ここでお待ちしています ↓↓↓




