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第71話 人類総動員と大いなるボーナス、あるいは一〇〇〇万人の強欲な軍団

 国連本部での歴史的な決議から、一夜が明けた。

 世界はまるで巨大なナイフで切り分けられたかのように、二つの極端な感情によって分断されていた。


 北半球は本格的な冬を迎えようとしていた。

 分厚い鉛色の雲が垂れ込める欧州。

 かつて花の都と呼ばれたパリの街角では、寒風が吹き荒れる中、大型ビジョンを見上げる人々の群れが、彫像のように凍り付いていた。


 画面に映し出されているのは、悲壮な顔をしたフランス大統領の緊急会見だ。

 彼の口から語られるのは「希望」ではなく、「現実的な絶望」への対処法だった。


『市民の皆様。

 スタンピード予測日まで、残り六十日となりました。

 政府は本日より、地下シェルターへの避難計画「オメガ」を発動します。

 食料、水、医薬品の配給を開始します。

 どうかパニックにならず、秩序を持って行動してください。

 神の加護があらんことを』


 その放送が終わると同時に、広場のあちこちですすり泣く声が漏れた。

 路地裏では、終末思想に取り憑かれた新興宗教の集団が「悔い改めよ!」と叫びながら行進している。

 歴史ある大聖堂の前には、救いを求める人々が長蛇の列を作り、冷たい石畳に額を擦り付けて祈りを捧げていた。


 彼らにとってダンジョンからの「大氾濫スタンピード」とは、現代科学で説明される災害などではない。

 それは聖書に記された黙示録の再来であり、ノアの大洪水であり、抗いようのない死の宣告そのものだった。


 知識がない。

 戦うための武器がない。

 モンスターを殺すための技術スキルがない。

 あるのは、二ヶ月後に地面の裂け目から溢れ出してくるであろう、おぞましい怪物たちへの根源的な恐怖だけだ。

 あと六十回、太陽が昇ればこの世界は終わる。

 その絶望的なカウントダウンが、人々の心を冷たく押し潰していた。


 だが。


 その一方で、地球の反対側――震源地であるはずの日本と、同盟国アメリカでは、全く別の種類の熱狂が渦巻いていた。

 それは恐怖ではない。

 悲壮感など、顕微鏡で探しても見当たらない。

 あるのは、待ちに待った祭りの開催を告げられた子供のような高揚感と、計算高い欲望のぎらつきだけだった。


          ◇


 東京都港区、ミッドタウン・タワー最上階。

 ギルド「アルカディア」の本社オフィスは、早朝から戦場のような慌ただしさに包まれていた。

 数十人のオペレーターがヘッドセットを装着し、絶え間なく鳴り響くコール音に対応している。

 壁一面の巨大モニターには、世界中の株価、魔石相場、そして、たった今公開されたばかりの「ある特設サイト」のアクセス解析ログが映し出されていた。


 俺、八代匠は、その狂騒の中心にある執務室で、革張りのチェアに深く腰掛け、モニターを見上げていた。

 手には淹れたばかりの最高級コーヒー。

 その香りを楽しみながら、俺は呆れたように呟いた。


「……おいおい、サーバーが落ちそうだぞ」


 俺が指差した先、モニターの中央に表示されたリアルタイムアクセス数のグラフは、危険域を示す真っ赤な警告色を点滅させながら、垂直に跳ね上がっていた。

 対数グラフですら追いつかない勢いだ。


 本日正午、日本政府とアメリカ政府が合同で立ち上げた特設サイト。

 その名は『国際ダンジョン防衛隊(IDDF) 第一次派遣員募集』。


 そのアクセス数が、開設からわずか数分で、億の単位に届こうとしていたのだ。

 これは有名なアーティストのライブチケット争奪戦などという、生温かいものではない。

 国民総出のクリック戦争だ。


「マスター! 広報部から報告です!

 問い合わせフォームがパンクしました!

 『サイトに繋がらない!』『俺を一番に入れてくれ!』『パスポートの期限が切れてるが何とかしろ!』……そんなクレームと嘆願の嵐です!」


 秘書兼魔法使いの乃愛ウィズが、タブレットを抱えて駆け寄ってくる。

 彼女の表情は、過労による疲労よりも、異常な事態への興奮で紅潮していた。


「特にF級以下の一般探索者からの応募意欲が凄まじいです。

 倍率は、すでに50倍を超えています!

 サーバー増強班が悲鳴を上げています!」


「50倍か……就職氷河期の公務員試験より酷いな」


 俺は苦笑し、コーヒーを一口啜った。

 無理もない。

 俺たちが提示した条件、そして何より「状況」そのものが、探索者という人種の琴線に触れすぎたのだ。


 なんとか繋がったサイトのトップページには、お堅い政府の広報とは思えないほど、扇動的で欲望を刺激するキャッチコピーが踊っている。


『世界を救え。そして稼ぎまくれ。

 来るXデー(二ヶ月後)、世界中のF級ダンジョンでモンスターが大量発生!

 これは災害ではない。資源のボーナスタイムだ!  


 ・渡航費・滞在費は全額国費負担(豪華ホテル・食事付き)

 ・現地でのドロップ品・魔石は「100%」個人の所有物として認定

 ・面倒な換金手続きは現地駐留の「J・ガード」及び「アルカディア出張所」が代行 


 一生分の魔石を、その手で掴み取れ!』


 政府の広報担当も、随分とこちらの「文化」に毒されてきたものだ。

 彼らは学習したのだ。

 「崇高な正義のために命を懸けて戦え」と説いても、現代の合理的な若者や、したたかな探索者たちは動かないことを。

 だが「リスクなしで海外旅行ができて、しかも時給換算数万円の魔石が取り放題だぞ」と耳元で囁けば、彼らは目の色を変えて殺到する。


 探索者たちは知っているのだ。

 F級モンスター(ゴブリンやスライム、コボルト)が、どれほど「美味しい」獲物であるかを。

 今の日本の平均的な探索者レベルは15~20。

 適切な装備(俺がばら撒いた量産品)さえあれば、ゴブリンなど鼻歌交じりで倒せる雑魚に過ぎない。

 通常なら、ダンジョンの中を歩き回り、索敵し、ようやく見つけて倒す。

 その手間が、一番のコストだ。


 それが向こうから勝手に行列を作って、やってくる?

 わざわざダンジョンの奥まで歩かなくていい?

 そんなの、ただの「ボーナスステージ」でしかない。

 「はぐれメタル」が群れをなして突っ込んでくるようなものだ。


「強欲なこった。

 世界中が『死ぬかもしれない』って震えてる時に、『いくら稼げるかな』って電卓を叩いてるんだからな」


 俺はタブレットを操作し、SNSのタイムラインを表示させた。

 そこには、俺が予想した通りの――いや、予想以上に能天気で、逞しく、そして頼もしい日本人の姿があった。


『うおおおおお! 募集キタアアアアア! 鯖落ちふざけんな! 入れろおおおお!』

『F級モンスターのスタンピード? それってつまり、わんこそば状態で魔石が食えるってことだろ? 神イベ確定じゃん』

『時給3万円の魔石が向こうから走ってくるイベント。参加しない奴は情報弱者』

『俺、フランス行きたい! パリの凱旋門の下でゴブリン狩るとか絶対映えるじゃん。GoPro新調したわ』

『経費で海外旅行できて、しかも稼げるとか、運営(政府)太っ腹すぎ。有給全部突っ込むわ』

『あと二ヶ月か……それまでにレベル上げと装備更新しなきゃ! 借金してでも武器買うぞ! どうせ現地で返せる!』


 恐怖など微塵もない。

 彼らにとって、このスタンピードは「人類滅亡の危機」ではなく、

 「運営(世界)が用意した期間限定の大規模レイドイベント」であり、

 「年に一度の稼ぎ時」でしかないのだ。

 まだ誰も出発していないのに、彼らの心は既に、異国の地で積み上がる魔石の山の上にあった。


          ◇


 数日後。

 お台場、東京ビッグサイト。

 ここを全館貸し切って行われた「第一次派遣員登録会・兼・事前説明会」は、さながらコミックマーケットのような熱気とカオスに包まれていた。

 まだ出発の日ではない。

 あくまで書類上の「登録」を行うだけの場だ。

 にもかかわらず、早朝5時のゆりかもめ始発組が到着する前から、すでに数万人の長蛇の列が出来ている。


 列を作るのは、剣や槍、杖を持った探索者たちだ。

 彼らは皆、最新鋭の魔導スーツ(量産型)に身を包み、手にはカタログや攻略本(俺のブログのプリントアウト)を持っている。

 待ち時間を潰す彼らの会話は、「世界の危機」についてではない。

 「現地のドロップ率はどうなっているのか」「持ち込みアイテムの重量制限は何キロか」「現地の飯は美味いのか」という、極めて実利的な話題ばかりだ。


 テレビのニュースカメラが、その異様な光景を中継している。

 レポーターが興奮気味に、列に並ぶ探索者たちにマイクを向けた。


「すごい熱気ですね! 早朝から、これほどの人が集まるとは!

 あの、すみません。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」


 マイクを向けられたのは、まだあどけなさの残る大学生風の男だった。

 彼は片手に英単語帳、背中には身の丈ほどもある無骨な大剣を背負っている。

 レポーターが、誰もが抱くであろう疑問をぶつけた。


「今回の派遣に応募された理由は、なんですか?

 海外での大規模戦闘……やはり恐怖もあると思いますが」


 その質問に対し、青年はきょとんとした顔をした後、爽やかな笑顔で、しかしとんでもないことを口にした。


「恐怖? ありませんよ!

 だって相手はF級モンスターですからね。

 日本のダンジョンで毎日狩ってる雑魚と同じですよ?

 怖くなんてありませんよ」


 彼は当たり前のことのように続けた。


「むしろ、向こうから湧いてきてくれるなんて、探す手間が省けて最高じゃないですか!

 ボーナスステージですよ、ボーナスステージ!

 ここでガッツリ稼いで、奨学金の返済と、あと新しい装備を買うための資金にします!

 二ヶ月後が待ち遠しいです!」


 彼の目には悲壮感など欠片もない。

 あるのは「稼ぐぞ」という健全すぎる野心と、若者特有の無根拠な全能感だけだ。

 スタジオで見守っていたコメンテーターたちが、呆れたように、しかしどこか安堵したように苦笑する。


 カメラは切り替わり、別の探索者を映し出す。

 今度は歴戦の雰囲気を漂わせるベテラン風の中年男性だ。

 彼は「アルカディア・スタンダードモデル」の重厚なフルプレートメイルを着込み、背中には巨大なバトルアックスを背負っていた。

 その顔には古傷があり、眼光は鋭い。

 だがその口元には、不敵な笑みが張り付いている。


「お兄さん、自信のほどは?」


 レポーターの問いに、彼は鼻を鳴らして答えた。


「ハハッ!

 F級モンスターの氾濫?

 大袈裟に言ってるけどよ、要するに『魔石の取り放題キャンペーン』だろ?

 俺たちが全員、倒してやるぜ!」


 彼はカメラに向かって、太い腕で力こぶを作ってみせた。


「現地の人は安心して寝てていいよ。

 起きたら家の周りの魔物は、全部片付いてるからさ!

 ついでに瓦礫の撤去も手伝ってやるよ。STR(筋力)50超えの俺になら朝飯前だ!

 あ、でもドロップ品は全部、俺たちのもんだからな! そこだけは譲れねえ!」


 その言葉は単なる強がりではない。

 実力に裏打ちされた、確固たる自信だ。

 彼らはこの十ヶ月間、毎日のようにダンジョンに潜り、死線をくぐり抜け、レベルを上げてきたのだ。

 その経験値は嘘をつかない。

 彼らにとってゴブリンやコボルトは、もはや「脅威」ではなく「資源」でしかない。


          ◇


 一方、海を越えたアメリカ側の反応も同様に――いや、それ以上に熱いものだった。

 Redditや4chanといった大手掲示板では、星条旗の絵文字と共に、雄叫びのような書き込みが溢れかえっている。


『USA! USA! USA!』

『俺たちの出番だ! 世界を救いに行くぞ!』

『聖杯で強化された俺の筋肉が火を噴くぜ!』

『ヨーロッパの軟弱者たちに、本物の「ハンティング」を見せてやろうぜ!』

『魔石を根こそぎ奪って、全部ドルに変えてやる! 新しいピックアップトラックを買うんだ!』

『ヤシロのビルド理論を実戦で試す時が来た!』


 アメリカ人の思考はシンプルかつパワフルだ。

 ヒーローになれる。金が稼げる。暴れられる。

 この三つの要素が揃えば、彼らは地獄の底へだってピクニック気分で行く。

 特に『覚醒の聖杯』でドーピングされた兵士や探索者たちは、有り余る力の使い道を求めてウズウズしていた。


 日米合わせて1000万人。

 人類史上最大にして、最も強欲で、最も頼もしい遠征軍が、今まさに結成されようとしていた。


 この日本のニュース映像や、アメリカのネットの反応は、リアルタイムで世界中に配信されていた。

 そして恐怖に震えていた世界の人々に、劇的な変化をもたらした。


 フランスのカフェで、イギリスのパブで、ドイツの広場で。

 避難勧告が出ている街のテレビで、現地の市民たちが呆然とその映像を見つめている。

 画面の中では、日本の大学生が「ボーナスステージだ」と笑い、アメリカのマッチョが「全部倒す」と叫んでいる。


 沈黙の後、誰かが呟いた。


『……見ろよ、あの日本人たちを。笑ってるぞ』

『モンスターの群れに向かうのに、まるでピクニックに行くみたいだ』

『彼らにとっては、あれは脅威じゃないんだ……ただの仕事なんだ』

『クレイジーだ。日本人もアメリカ人も、頭がおかしい』


 だが、その声色には軽蔑ではなく、確かな熱が宿り始めていた。


『でも頼もしい……!

 あんなに自信満々な連中が来てくれるなら、本当に助かるかもしれない!』

『そうだ、彼らはプロだ。魔物殺しのプロなんだ!』

『神よ、彼らに祝福を!』


 絶望が希望へと変わっていく。

 日米の探索者たちの、あまりにも能天気で、強欲で、しかし圧倒的に強そうな姿が、世界中の人々の心を救ったのだ。

 「こいつらなら本当にやってくれるかもしれない」。

 そんな期待が重苦しい空気を払拭し、世界を包み込み始めた。


          ◇


 港区ミッドタウン・タワー。

 俺はニュース映像で流れる探索者たちのインタビューを見ながら、ソファに深く体を沈めた。

 画面の中では、まだ見ぬ魔石の山を夢見て、目を輝かせている探索者たちが映っている。


「やれやれ……。

 探索者ってのは、どいつもこいつも強欲なこった」


 口では呆れたように言いながらも、俺の表情は緩んでいた。

 彼らのその「強欲さ」こそが、俺がこの十ヶ月かけて育て上げてきた最強の武器だ。

 正義感だけでは人は命を懸けられない。恐怖には勝てない。

 だが欲望のためなら、人はどこまでも強くなれるし、恐怖すらも「リスク」として計算できる。


「まあ、それこそが俺が愛した『ダンジョン・フロンティア』の世界だよな。

 正義のためじゃなく、自分の欲望のために戦う。

 だからこそ強い。

 だからこそ負けない」


 俺は立ち上がり、眼下に広がる東京の街を見下ろした。

 街中のいたるところに「IDDF募集」のポスターが貼られ、探索者ショップには長蛇の列ができている。

 誰もが準備に余念がない。

 あと二ヶ月。

 その間に装備を整え、スキルを磨き、万全の状態で「祭り」に臨もうとしている。


 ニュースキャスターが興奮気味に、番組を締めくくる。


『1000万人が全世界に散らばり、迎撃する。

 歴史上、最も重要で大規模な、そして画期的な軍事作戦になるでしょうね』


 そう。これは戦争だ。

 だが悲壮な消耗戦ではない。

 人類がその欲望と生存本能を武器にして、理不尽なシステム(世界)に逆襲を仕掛ける、痛快な収穫祭ハーベスト・フェスティバルなのだ。


「さあ、稼ぎに行こうか」


 俺はガラスに映る自分に向かって、不敵に笑いかけた。

 世界中が恐怖に震え、そして一部の強欲な者たちが舌なめずりをして待つ「審判の日」。

 その日が来るのを、俺は誰よりも楽しみにしていた。



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― 新着の感想 ―
海外の観光名所に配置された探索者は当たりですね。ただし「観光名所(秘境)」「アマゾンの奥地」「砂漠の真ん中」みたいなハズレ枠もあるんでしょうね。
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