第70話 国連の長い一日、あるいは世界がひれ伏した日
季節は巡り、世界にダンジョンゲートが出現してから、十ヶ月が経過した。
ニューヨークの空は鉛色に沈み、ハドソン川から吹き付ける寒風が、国連本部ビルのガラス窓を叩いていた。
だがその冷気とは裏腹に、大会議場の中は異常な熱気と、
それを上回るほどの、窒息しそうな緊張感に支配されていた。
円卓を囲むのは、193の加盟国の代表たち。
彼らの表情に、いつものような外交的な余裕はない。
あるのは、死刑宣告を待つ囚人のような怯えと、縋るような視線だけだ。
俺、八代匠は、日本政府代表団の席――そのさらに後ろにある特別オブザーバー席に座り、
眼下の光景を冷めた目で見下ろしていた。
隣には、胃薬の瓶を握りしめた内閣官房の佐伯がいる。
「……八代くん。
本当に今日、ここで決まるんだな?
世界の命運が」
佐伯の声が震えている。
彼にとっても、これは政治生命どころか、生物としての生存を賭けた大博打だ。
「ええ、決まりますよ。
というより、決めさせなきゃならない。
あと二ヶ月。
それまでに世界中の足並みを揃え、防衛ラインを構築しなければ、人類は終わる。
シンプルな話です」
俺は足を組み直し、ステージの中央に立つ人物を見やった。
アメリカ合衆国大統領。
『覚醒の聖杯』の力で強化され、若返ったかのように精悍さを増した彼は、
マイクの前に立ち、鷹のような鋭い眼光で議場を一瞥した。
その一瞬で、会場のざわめきが凍りついた。
絶対的な強者のオーラ。
それは核ボタンを持つ者の威圧感ではなく、
純粋な生物としての「格」の違いから来るものだった。
『世界の同胞諸君』
大統領の第一声が、静寂を切り裂いた。
『本日、私がこの場に立ったのは、外交的な駆け引きをするためではない。
我々人類が直面している、回避不能な「滅びの未来」について共有し、
その対抗策を提示するためだ』
彼は手元のスイッチを押した。
背後の巨大スクリーンに、世界地図が映し出される。
だがそれは、普段見慣れた政治地図ではない。
無数の赤い点が明滅し、そこからどす黒い波紋が広がっていく、不吉なシミュレーション映像だ。
『これは日米合同ダンジョン対策チームと、ギルド「アルカディア」の解析部門が弾き出した、最新の魔素観測データだ。
見ての通り、世界各地に点在するF級ダンジョンにおいて、内部の魔素濃度が臨界点を超えようとしている』
地図上の赤い点が、ドクン、ドクンと、心臓の鼓動のように脈打ち始める。
そのリズムは、徐々に早くなり、やがて不整脈のように乱れ――そして爆発した。
画面が真っ赤に染まる。
地図上のすべての国境線が、赤い濁流に飲み込まれて消滅する。
『ダンジョンは生きている。
内部で生成される魔物を定期的に間引き、エネルギーを循環させなければ、その器はやがて決壊する。
我々の試算では、Xデーはあと六十日。
二ヶ月以内に、世界中の未攻略ダンジョンから数億、数十億のモンスターが、一斉に地上へ解き放たれるだろう』
――【世界同時スタンピード(大氾濫)】。
その単語が通訳機を通じて、各国の言語で再生された瞬間、議場はパニックに陥った。
「す、数億だと……!?」
「防げるわけがない! 我が国の軍隊など、数万人しかいないんだぞ!」
「嘘だ! ダンジョンは封鎖しておけば安全だと言ったじゃないか!」
「終わりだ……神よ……」
絶叫、悲鳴、祈り。
これまで「ダンジョンは危険物だから触らない」という方針で、
コンクリートで蓋をして、見ないふりをしてきた国々の代表たちが、
顔面蒼白で震えている。
彼らは知らなかったのだ。
その蓋の下で、圧力が極限まで高まっていたことを。
そして今、その蓋ごと吹き飛ばされようとしていることを。
大統領は、その混乱を鎮めることもなく、冷徹に続けた。
『現実から目を逸らすな!
これは確定した未来だ!
今のまま手をこまねいていれば、二ヶ月後、この地球上で人間が住める場所は、日本とアメリカの一部だけになるだろう』
残酷な宣告。
日米だけが生き残る。
なぜなら、この二国だけがリスクを承知でダンジョンを開放し、
国民総出で「ガス抜き(間引き)」を続けてきたからだ。
その結果としての生存権。
努力しなかった者たちへの死刑判決。
「そ、そんな……」
「助けてくれ! アメリカ! 日本!」
「見捨てないでくれ!」
プライドもかなぐり捨てて懇願する声が上がる。
ここで日本の総理大臣が立ち上がり、大統領の横に並んだ。
彼もまた、覚悟を決めた顔をしている。
『皆さん、落ち着いてください。
我々は、あなた方を見捨てるために、ここに来たのではありません』
総理の声が、少しだけ会場の温度を上げた。
『我々日米同盟には「力」があります。
この十ヶ月間、血の滲むような努力で培ってきた、対ダンジョン戦のノウハウと圧倒的な戦力が』
スクリーンが切り替わる。
映し出されたのは、日本のF級ダンジョン前の光景だ。
整列し、統率された動きでダンジョンへ向かう数千人の探索者たち。
彼らの装備は、俺が監修し、メーカーが量産した最新鋭の魔導スーツで統一されている。
その顔に恐怖はない。
あるのは「仕事」に向かう、プロフェッショナルの目だ。
続いてアメリカの映像。
『覚醒の聖杯』で強化された兵士たちが、巨大なオーガを素手でなぎ倒し、
魔法でワイバーンを撃ち落とす映像。
ハリウッド映画も裸足で逃げ出すような、超人部隊の進撃。
『現在、日本には400万人。
アメリカには600万人。
合計1000万人の「実戦経験を持つ探索者」が存在します。
彼らは皆、レベル10を超え、魔導装備で武装し、モンスターとの戦い方を熟知している』
総理が胸を張る。
『我々は提案します。
この1000万人の戦力を、国境を超えて世界中に展開する。
【国際ダンジョン防衛隊(IDDF)】を結成し、スタンピードの危機に瀕している全ての国へ、即座に派遣することを!』
会場がどよめきに包まれた。
1000万人。
それは一国の軍隊の規模を遥かに超えている。
人類史上最大級の遠征軍だ。
『我々の探索者が、貴国にあるダンジョンの入り口を封鎖し、溢れ出る魔物を殲滅します。
貴国の国民を、我々が守ります。
これが日米が提示する、唯一の解決策です』
救いの手。
だがそれは同時に「劇薬」でもあった。
他国の軍隊(に準ずる武装集団)を、自国の領土内に、
それも首都や重要拠点のど真ん中に、招き入れるのだ。
主権国家として、これほど屈辱的で危険な選択はない。
当然、反発の声が上がった。
最初に噛み付いたのは、欧州の大国、フランスの代表だ。
「待ってくれ!
提案には感謝するが……これは実質的な『占領』ではないか!
日米の軍隊が我々の国土を自由に歩き回り、ダンジョンという資源の蛇口を押さえることになる。
将来的なエネルギー資源(魔石)の独占権を放棄しろと言うのか!?」
もっともな懸念だ。
ダンジョンを守るということは、そこから出る富を管理するということだ。
日米が助けてくれる代わりに、その国の地下資源はすべて日米のものになるかもしれない。
現代の植民地支配だ。
だが大統領は冷ややかに笑った。
マイクを握り直し、低い声で告げる。
『主権? 資源?
……寝言を言っている場合かね?』
大統領の視線が、フランス代表を射抜く。
『あと六十日で、貴国のパリは火の海になる。
凱旋門は崩れ、エッフェル塔は魔物の巣になり、セーヌ川は血で染まるだろう。
国民が食い殺され、国そのものが消滅した後で、誰が主権を主張するんだ?
瓦礫の山の上で、魔石の所有権を叫ぶつもりか?』
「うっ……」
フランス代表が言葉を詰まらせる。
極論だが正論だ。
生存なくして、主権なし。
『我々はボランティアではない。
莫大なコストと、自国民のリスクを背負って派遣を行うのだ。
それ相応の「対価(管理権と資源の一部)」を求めるのは当然だろう。
嫌なら断ればいい。
我々は強制しない。
ただ、自分たちで守れるという自信があるならだがな』
突き放すような物言い。
「助けてほしければ膝をつけ」という強者の論理。
会場の空気が、重苦しく沈殿していく。
どの国も反論できない。
自分たちには力がないことを、痛いほど理解しているからだ。
これまで「危険だから」と遠ざけてきたツケが、最悪の形で回ってきた。
今から探索者を育成しても、絶対に間に合わない。
だがその沈黙の中で、いくつかの国々だけは複雑な表情を浮かべていた。
中国、ロシア、そして韓国だ。
彼らは互いに目配せをし、ヒソヒソと言葉を交わしている。
何かを言いたげで、しかし言い出せないような、もどかしい空気。
大統領はそれを見逃さなかった。
彼はわざとらしく視線を巡らせ、挑発するように問いかけた。
『どうした?
何か言いたいことでもあるのかな?
例えば……「我々は裏でこっそり攻略していたから、自力で守れる」とでも言いたいのかね?』
その言葉に、中露韓の代表がビクリと肩を震わせた。
図星だ。
彼らは表向きは「封鎖派」を装いながら、裏では軍を使って極秘裏にダンジョン探索を行っていた。
アジールで俺が会った、ヴォルコフや李のように、トップ層はある程度育っている。
だが。
(……言えないよな。
「守れる」なんて、口が裂けても)
俺はバルコニー席で、にやりと笑った。
彼らの戦力は知っている。
精鋭部隊が多くてせいぜい百人程度。
レベルも平均30前後。
局地的な戦闘なら強いだろう。
だが相手は「億単位」のスタンピードだ。
百人の精鋭で、国土全域に点在する数百、数千のゲートを同時に守り切れるか?
答えはNOだ。
物理的に数が足りない。
彼らがこっそり育ててきた虎の子の戦力など、スタンピードという津波の前では小石のようなものだ。
中国代表が苦渋に満ちた顔で立ち上がりかけたが、すぐに座り直した。
ロシア代表も拳を握りしめて下を向いた。
韓国代表は青ざめた顔で首を横に振っている。
彼らは悟ったのだ。
自分たちの「隠し玉」程度では、この危機を乗り越えられないことを。
そして今ここで「実は潜ってました」とカミングアウトしたところで、
世界中から「裏切り者」と指弾されるだけで、何のメリットもないことを。
それなら大人しく日米の傘下に入り、支援を受ける方が、国家存続のためには賢明だ。
プライドよりも実利。
独裁国家やメンツを重んじる国々にとっても、これは「詰み(チェックメイト)」の局面だった。
『……沈黙は肯定と受け取る』
大統領は満足げに頷いた。
『世界中のどの国も、単独ではこの危機に対処できない。
だからこそ我々が手を差し伸べるのだ。
これは侵略ではない。
人類という種が生き残るための、唯一無二の「合体」だ』
彼は両手を広げ、会場全体を包み込むようなジェスチャーを見せた。
『我々日米同盟は、支援を要請する全ての国を受け入れる。
過去の外交関係や政治的対立は問わない。
今日この瞬間から、我々は「地球防衛軍」としての同志だ。
共に戦おう。
そして共に生き残ろうではないか!』
熱っぽい演説。
それは計算され尽くしたパフォーマンスだったが、
絶望に打ちひしがれていた各国の代表たちには、希望の光として届いた。
「……賛成だ!」
「我々は日米の提案を受け入れる!」
「頼む、来てくれ! 我が国の民を救ってくれ!」
一人が声を上げると、堰を切ったように賛同の声が広がっていく。
拍手が起こり、やがてそれはスタンディングオベーションへと変わった。
中露韓の代表たちも周囲の空気に押されるように、渋々といった様子で立ち上がり、拍手に加わった。
彼らの顔には屈辱の色が浮かんでいたが、それでも「拒否」という選択肢は選べなかった。
議場は「日米への全面委任」という熱狂に包まれた。
【国際ダンジョン防衛協力決議案】。
全会一致(棄権なし)での可決。
これにより、日本とアメリカの探索者部隊は、国連軍というお墨付きを得て、
世界中のあらゆる国へ、合法的に展開する権利を得た。
国境は消え、世界は一つの巨大な「防衛ライン」として再編される。
そしてその指揮権を握るのは、魔石と装備、そして情報を独占する日米――
ひいては、その裏にいる「俺」だ。
◇
会議終了後。
俺は控室でネクタイを緩めて、ぐったりしている佐伯に、冷たいミネラルウォーターを差し出した。
「お疲れ様です、佐伯さん。
歴史的瞬間に立ち会えましたね」
「……八代くん。
君は最初から、こうなると分かっていたのか?」
佐伯が震える手でボトルを受け取る。
「中露があそこまで大人しく引き下がるとは……。
彼らが裏で動いていることは知っていたが、もっと抵抗すると思っていたよ」
「彼らも計算ができる人間ですからね。
自国の戦力と、敵の規模を天秤にかけて、勝てないと判断したんでしょう。
賢明な判断ですよ」
俺はソファに座り、天井を見上げた。
「それに、彼らにとっても悪い話じゃありません。
日米の戦力が自国を守ってくれる間に、自分たちの精鋭部隊は温存できる。
被害を最小限に抑えて、復興の主導権を握るつもりでしょう」
「……狸の化かし合いだな」
「ええ。
ですが主導権はこちらにあります。
装備の供給を握っているのは、我々ですからね」
そう。
世界中に派遣される1000万人の探索者。
彼らが使う武器、防具、そして魔石。
その全てが「日本規格(アルカディア製)」あるいは「アメリカ規格(聖杯関連)」になる。
一度そのシステムに組み込まれれば、もはや独自路線に戻ることは難しい。
世界のインフラを、ダンジョンを通じて統一してしまう。
それが真の狙いだ。
「これで世界中に、俺たちの『顧客』ができましたね。
70億人の市場が開放されたようなものです」
俺はニヤリと笑った。
スタンピードは災害ではない。
巨大な特需だ。
世界中が魔石を消費し、装備を消耗し、そして新たな装備を買い求める。
その循環の中心に、俺がいる。
「……君の頭の中は、どうなっているんだ?
世界を救う英雄なのか、
それとも世界を食い物にする悪魔なのか」
佐伯が呆れたように、しかし畏敬の念を込めて言った。
「両方ですよ。
世界を救わなきゃ、商売相手がいなくなりますからね。
お客様(人類)には、長生きしてもらわないと」
俺は立ち上がった。
窓の外、ニューヨークの街並みは、既に夕闇に沈んでいる。
だがその向こう側では、世界中の国々が、日米の到着を今か今かと待ちわびているはずだ。
「さあ、帰って仕事だ。
忙しくなりますよ、佐伯さん。
世界中からの注文書が、山のように届いているはずだ。
生産ラインをフル稼働させないと、在庫が追いつかない」
俺は部屋を出た。
足取りは軽い。
あと二ヶ月。
その間に俺は、この星を「要塞」に作り変える。
誰も死なせず、誰もが戦い、そして誰もが俺に金を払うシステム。
完璧な世界征服の完成だ。
廊下の向こうで、俺のスマホが通知音を鳴らし続けていた。
それは世界からのSOSであり、同時に莫大な送金通知の音でもあった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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