第65話 赤き浸食と汚染された機械都市、あるいは回避不能の死刑宣告
その警報は、気象庁の地震速報よりも早く、そしてJアラートよりも不気味に、日本の中枢を凍りつかせた。
季節は秋へと移ろい、ダンジョンバブルの熱気も「日常」として定着しつつあった、ある日の午後。
内閣府・ダンジョン危機管理センターの巨大モニターが、毒々しい赤色に染め上げられた。
『――緊急報告! 魔素濃度、計測不能!
計測器の針が振り切れています!
該当エリアは、埼玉・B級ダンジョン「機械都市」!』
オペレーターの悲鳴に近い報告が飛び交う。
モニターに映し出された現地の映像は、見る者の生理的な嫌悪感を煽るものだった。
いつもなら神秘的な青白い光を放っているはずのダンジョンゲートが、まるで動脈を切断したかのような、ドス黒く濁った赤色に変色していたのだ。
渦巻く光は粘着質に見え、周囲の空間にはノイズのような黒い稲妻が走っている。
「なんだ、これは……!?
スタンピードの前兆か!?」
防衛省の幹部が狼狽する。
ゲートからは魔物が溢れ出してはいない。
だが、その入り口が放つプレッシャーは、これまでのどのダンジョンとも異質だった。
ただそこに在るだけで、周囲の世界を腐らせていくような、悪意ある存在感。
混乱する対策本部の扉が開き、一人の男が悠然と入ってきた。
手にはカフェのテイクアウトコーヒー。
まるで散歩のついでに立ち寄ったかのような、その男こそ、ギルド「アルカディア」代表、八代匠である。
「お呼びですか、佐伯さん。
随分と顔色が悪いですね」
「八代くん……! 来てくれたか!」
佐伯室長が、溺れる者が藁をも掴むような表情で駆け寄る。
八代はモニターの赤いゲートを一瞥し、鼻を鳴らした。
「……ふむ。
予想より早かったな。
【腐敗】か」
「腐敗……?
それは、ダンジョンが腐っているということかね?」
「似たようなものです。
ダンジョンというシステムに『バグ』、あるいは『上位存在の干渉』が混入し、内部の理が書き換えられた状態です」
八代は淡々と解説を始めた。
その口調は、未知の脅威を前にしているとは思えないほど落ち着いていた。
「安心してください。
これはスタンピードではありません。
中のモンスターが外に出てくることは、基本的にはない。
放置しておけば一週間ほどで魔素が拡散し、元の青いゲートに戻るでしょう。
言ってみれば、『ダンジョンの風邪』みたいなものです」
「な、なんだ。そうか……」
司令室に安堵の空気が流れる。
放置でいい。自然に治る。
ならば、封鎖線を敷いて、やり過ごせばいいだけだ。
だが、八代はそこで悪魔の笑みを浮かべた。
「……ですが、もったいないですねぇ」
その一言が、空気を再び凍らせた。
「もったいないとは?」
「この『腐敗領域』の最奥にいるボスを倒せば、通常では絶対に入手不可能な『鍵』が手に入ります。
それは、この現象を引き起こしている『腐敗の根源』へと至るための、地図の断片。
そして、何より……ドロップするアイテムが桁違いです」
八代は指を立てた。
「『汚染された装備』。
リスクはありますが、性能は既存のユニークアイテムすら凌駕する可能性がある。
さらに、装備の性能を根本から書き換える禁断のオーブ……『腐敗のオーブ』も手に入るでしょう。
これがあれば、人類の戦力は次のステージへ進める」
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした。
魔石バブル、装備インフレ。
それらを経験した彼らは知っている。
八代が「桁違い」と言うものが、どれほどの価値を持つかを。
「な、なら!
アルカディアが攻略するのかね!?」
期待に満ちた問いに、八代はあっさりと首を横に振った。
「いいえ。パスです」
「は?」
「リスクが高すぎます。
腐敗領域の内部は、通常のダンジョンとは比較にならない『死地』です。
敵は強化され、凶悪なデバフが常時発生し、罠の致死性も跳ね上がっている。
ウチの精鋭でも死亡率は2割を超えるでしょう。
民間企業としては割に合わない賭けですね」
八代は肩をすくめる。
(大嘘も良いとこだけど。実際は行けるだろうけどここらへんで自衛隊の実績がないと世論で詰む)
だが、その言葉が逆に政府高官たちの焦りを煽る。
アルカディアですら尻込みする難易度。
しかし、そこに眠る国益級の資源。
放置すれば消えてしまう、期間限定のボーナスステージ。
「……八代くん。
君がパスするということは、攻略は不可能ということか?」
佐伯が苦渋の表情で問う。
八代は少し考え込むふりをして、チラリと視線を送った。
部屋の隅で待機していた、陸上自衛隊・特殊作戦群の隊長、木島一佐の方へ。
「不可能ではありません。
『理論上最強の装備』で固めた、死を恐れぬ精鋭部隊がいれば話は別です」
「……!」
木島が顔を上げた。
その全身は、漆黒の重厚なフルプレートメイルに覆われている。
先日、政府が総額200億円超を投じてオークションで落札し、揃えたセット装備『深淵の守護者』シリーズだ。
「先日、防衛省が揃えたあの装備。
あれは対・高難易度コンテンツ用の最終兵器です。
あれを着たタンクがいれば、あるいは……」
八代は言葉を濁す。
だが、その意図は明白だった。
『お前たちの200億円が、無駄金じゃなかったことを証明するチャンスだぞ』と。
ネットや野党からは批判の声が上がっていた。
「たかが1人の装備に、200億円も税金を使った」
「自衛隊はアルカディアのお古を着ているだけではないか」
「実績を見せろ」
ここで「赤いゲート」を攻略し、アルカディアですら手を出せなかった成果を持ち帰れば、自衛隊の威信は回復する。
逆に、指をくわえて見ているだけなら、「高いおもちゃを持った臆病者」の烙印を押されるだろう。
「……やらせてください」
重い沈黙を破ったのは木島だった。
兜を小脇に抱え、その厳つい顔には決意の色が浮かんでいる。
「我々は飾り物になるために、この装備を与えられたわけではありません。
国民を守るため、そして未知の脅威を解明するため。
特殊作戦群に出動命令を」
佐伯が、そして防衛大臣が覚悟を決める。
八代は口元を隠して、微かに笑った。
「素晴らしい決断です。
では私は後方支援に徹しましょう。
『攻略マニュアル(ボスの行動パターン予測)』を提供します。
……虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですよ」
こうして、日本政府による威信をかけた「赤きダンジョン攻略作戦」が幕を開けた。
彼らは知らない。
その「虎穴」が、八代ですら「ソロでは行きたくない」と忌避するほどの、理不尽な悪意に満ちた場所であることを。
◇
作戦開始時刻。
埼玉県某所、B級ダンジョン『機械都市』ゲート前。
封鎖されたエリアには物々しい装備の自衛隊車両が並び、ドローンが飛び交っている。
ゲートの赤色は、夜の闇の中でも不気味に脈動していた。
その前に立つのは、木島率いる特殊作戦群の選抜メンバー、計24名。
全員が八代の助言(と販売)によって揃えられた、最新鋭の魔導装備で身を固めている。
「総員、突入!」
木島の号令と共に、部隊は赤い渦の中へと消えた。
転移した先。
そこは、彼らが知っている『機械都市』ではなかった。
「……なんだ、ここは……」
隊員の一人が、吐き気をこらえるように呻いた。
かつては古代の歯車と蒸気機関が織りなす、無機質だが美しいスチームパンクの世界だった場所。
だが今は、見る影もない。
金属の壁からは赤黒い血管のような肉腫が網の目のように張り巡らされ、ドクンドクンと脈打っている。
天井からは粘着質の液体が滴り落ち、床の鉄板は腐食して、ブヨブヨとした肉の絨毯に変わっていた。
機械と生物が悪魔合体したような、生理的嫌悪感を催す光景。
空気中には鉄錆と腐敗臭が充満している。
「敵影確認!
前方、警備ロボット……いや、変異しています!」
通路の奥から現れたのは、かつての警備ドローンだ。
だが、その装甲の隙間からは筋肉がはみ出し、カメラアイの代わりに人間の眼球のようなものがギョロギョロと動いている。
『腐敗した自律兵器』。
「射撃開始!」
隊員たちが一斉にスキルを発動する。
彼らの持つ武器は銃の形をしているが、弾丸ではなく魔力を撃ち出す「魔導ライフル」だ。
【マナ・バレット】の斉射が敵に突き刺さる。
ギャギィィィン!!
金属音と悲鳴が混じったような音。
敵は怯むが、倒れない。
それどころか、傷口から肉が盛り上がり、瞬時に再生していく。
「硬い! 再生能力持ちか!?」
「それに、なんだこの霧は……!」
戦闘中、周囲に赤い霧が立ち込める。
それを吸い込んだ隊員たちのHPバーが、じわじわと変色し始めた。
「毒……いや、『出血』か!?」
「身体が重い……『衰弱』デバフまで!」
これこそが腐敗領域の恐怖。
ただ存在するだけで、ステータス異常が重複してかかり続ける環境ダメージ。
通常のB級装備(耐性+30%程度)では、防ぎきれない。
隊員たちの動きが鈍り、焦りが生まれる。
そこへ変異ロボットが突進してくる。
錆びたブレードが、隊員の首を刎ねようと迫る。
ガァァァァァンッ!!
重厚な金属音が響き、ロボットの攻撃が弾かれた。
隊員の前に割り込んだのは、漆黒の壁――木島の大盾だった。
「隊長!」
「慌てるな!
陣形を崩すな!」
木島が叫ぶ。
彼の全身を覆う『深淵の鎧』は、赤い霧の中にありながら一切の変色を見せていない。
ステータス異常無効。
この地獄のような環境下で、彼だけが正常なスペックを維持している。
「俺が前線を支える!
お前たちは俺の後ろから最大火力で敵を殲滅しろ!
再生する前に、核を砕け!」
「は、はいッ!!」
木島の背中が、隊員たちに勇気を与える。
彼は一人で3体の変異ロボットを受け止め、その攻撃をすべて盾と鎧で弾き返した。
200億円の価値は伊達ではない。
どんな攻撃も、彼のHPバーを1ミリも減らせない。
その隙にアタッカーたちがスキルを叩き込む。
【フレイム・ランス】。
【サンダー・スマッシュ】。
集中砲火を浴びた敵が、今度こそ再生できずに爆散する。
「進むぞ!
止まれば飲まれる!」
木島を先頭に、部隊は地獄を進軍していく。
その様子は司令室のモニターを通じて、政府高官たちに中継されていた。
「す、すごい……。
あの環境で無傷で進んでいる……」
「あれが『深淵の守護者』の力か……!」
官僚たちが感嘆の声を上げる。
八代は後ろの席で静かにコーヒーを飲みながら、モニターを見つめていた。
(……悪くない動きだ。
木島のプレイヤースキルも上がっているな。
装備の性能に甘えず、適切なヘイト管理ができている)
だが、これはまだ前座だ。
腐敗領域の本当の恐ろしさは、雑魚の強さではない。
エリアの主が持つ、理不尽なまでの殺意にある。
「……そろそろだな」
八代が呟いたのと同時に、部隊は最深部の巨大なゲートの前に到達した。
そこはかつて都市の中枢制御室だった場所。
だが今は、部屋全体が巨大な心臓のように脈動している。
木島が扉を開ける。
中にいたのは、想像を絶する怪物だった。
高さ10メートルを超える巨体。
かつては都市を管理していた巨大なメインコンピューターとプレス機が、無数の死体と融合し、一つの「意思」を持ったような姿。
全身から蒸気と瘴気を噴き出し、胸部には巨大な炉心が赤く輝いている。
エリアボス『腐敗した機神』。
「グゥゥゥゥ……オオオオオオオン!!」
咆哮だけで周囲の空間にヒビが入る。
隊員たちが足を踏ん張るが、衝撃波で数名が吹き飛ばされる。
「くっ……! デカい!
これがボスか!」
木島が大盾を構え直す。
対峙した瞬間に理解する。
これは今まで戦ってきた、どのモンスターとも違う。
「生物」としての強さではない。
「災害」としての質量だ。
司令室の八代が、マイクのスイッチを入れた。
『木島さん、聞こえますか。
挨拶代わりの一撃が来ますよ。
……避けようとしないでください』
『避けるなだと!?
こんな質量攻撃をか!?』
『ええ。
今の位置関係だと、回避行動を取れば後ろの部隊が全滅します。
それに……』
八代の声が低くなる。
『その攻撃は、空間座標を指定した「必中」です。
逃げ場はありません』
機神がその右腕――巨大なパイルバンカーを振り上げた。
先端に赤黒い稲妻が収束していく。
大気の振動が、致死レベルに達する。
予備動作は大きい。
だが、その範囲は部屋全体だ。
「……くそッ!」
木島は覚悟を決めた。
逃げられないなら、受けるしかない。
200億円の鎧と、自分の鍛え上げた肉体を信じて。
「総員、俺の後ろへ!!
防御障壁展開ッ!!」
木島が一歩前に踏み出し、スキル【不退転】を発動させる。
金色のオーラが彼を包み込み、大盾が光り輝く。
部下たちが慌てて彼の背後に隠れ、魔法障壁を展開する。
直後。
機神の拳が、地面に叩きつけられた。
ズドォォォォォォォォォォン!!!!
世界が赤く染まった。
音すら置き去りにする衝撃波。
地面が波のように捲れ上がり、全てを飲み込む破壊の奔流が、木島たちを襲った。
司令室のモニターがホワイトアウトし、ノイズが走る。
悲鳴のような警報音が鳴り響く。
「反応ロスト!? 通信途絶!」
「いかん! 全滅か!?」
官僚たちが、顔面蒼白で立ち上がる。
八代だけがモニターから目を離さずにいた。
「……耐えろよ、200億円。
俺の計算が間違ってなければ、ギリギリ残るはずだ」
数秒の静寂。
やがて土煙が晴れていく。
爆心地の床は抉れ、周囲の壁は崩落している。
だが。
その破壊の嵐の中心に。
一つの「影」が立っていた。
大盾は赤熱し、鎧の装甲はひしゃげ、全身から煙を上げている。
HPバーは危険域で点滅している。
それでも。
彼は膝をついていなかった。
「……隊長……?」
背後で守られていた部下たちが、震える声で呼ぶ。
木島はゆっくりと顔を上げ、兜の奥から血の混じった息を吐き出した。
「……重いな。
だが、それだけだ」
彼は盾を構え直し、機神を睨みつけた。
「次はこっちの番だ。
行くぞ、野郎どもッ!!」
鉄壁の守護者が咆哮を上げた。
絶望的なボス戦の幕が、今ここに切って落とされた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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