1.まさか王子様に溺愛されるなんてことがあるわけがない※
※暴力・暴言の表現があります。苦手な方はご注意ください。
私は、今日、愛しい人の妻になった。
夫となったのは、私の事を何よりも大切にしてくれる、優しくて、勇敢で、麗しい王子様⋯⋯
今夜は夫婦となって、初めて一緒に過ごす夜。
メイドさんたちが、気合を入れて用意してくれた、真っ白なシルクのネグリジェに身を包み、王子様の寝室へと向かう。
私の目尻には紅が引かれていて、これはこの国では、自分が成熟した女性であることを示すと同時に、今夜、彼の愛情を受け入れる準備ができていることを表している。
「愛しのセイラ、なんて美しいんだ。私はようやく君とこの日を迎えられたことを嬉しく思う。いったい、どれだけ待ちわびたことか⋯⋯」
ブラン・アラバストロ王子は、私を見つめながら、優しく髪を撫でてくれる。
「ブラン様⋯⋯」
彼の名前を呼ぶと、唇にそっと人差し指を当てられた。
「こーら。二人きりの時は、ブランと呼んでくれと言っているだろう?」
いたずらっ子を諭すように、微笑みかけられる。
「ブラン⋯⋯」
言い直すと彼は満足そうな表情をした。
「君はこの世界を命がけで救ってくれた。私の命だってそうだ。君には私の持つ全てを与えたい。そう。私自身も、もちろん全て君のものだ⋯⋯」
そう言うとブラン様は、愛おしそうにキスしてくれた。
どうしてこんな事になったかというと⋯⋯
時はさかのぼり、ブラン様と出会った世界に迷い込む前のこと。
私は、とある繁華街の路地裏で仕事をしていた。
「ねぇ、正男さん。私⋯⋯正男さんの事を好きになっちゃったみたいなの。でも駄目だよね。正男さんには奥さんがいるのに⋯⋯私っていけない子だよね。でも、こんなに好きなのに、簡単に諦められないよ。毎日会えないなんて苦しいよ⋯⋯」
両手で目元を押さえて、泣き真似をする。
目の前にいるターゲット⋯⋯メタボ体型の中年既婚DV男の正男を落とすためだ。
事前のリサーチで判明した、ターゲット好みの女の子になりきっている。
正男は、金色の龍の絵が描かれた黒いTシャツを着て、ダボッとした穴だらけのデニムを履いている。
「愛子ちゃん⋯⋯」
『愛子』というのは、仕事中の私の偽名だ。
正男は迷っていたんだろうか、しばらく経ってから、私の身体を抱き寄せた。
そしてスイッチが入ったように、肩や腰を撫で回してくる。
うげ〜ゾワゾワする。やめてくれ〜。
「駄目だよ。だって、こんなの⋯⋯奥さんが悲しむから⋯⋯」
正男の身体を押し返し、顔を背ける。
既婚者のくせに、女の子の身体に触るなと言いたい所だけど、これは収穫だ。
今ごろペアの子が、この場面を動画に収めてくれているはず。
私もポケットの中で、ボイスレコーダーを起動している。
ちなみに、依頼人である奥様が悲しむことは無い。
「⋯⋯妻とは別れる。きちっとケリをつけて愛子ちゃんを迎えに行く。そうしたら、誰にも邪魔されない二人きりの世界で暮らそう。愛子ちゃんは、全て俺の言う通りにするだけでいい。まだ若い愛子ちゃんは世間知らずだけど、俺がちゃんと愛子ちゃんを立派な女性に成長させてあげるから」
正男は真剣な表情で言った。
どうしてこの人はこんなに偉そうなんだろう。
どの口が他人を世間知らずなんて言うのかとツッコミたい。
「ありがとう。正男さん⋯⋯」
涙を拭う振りをして、正男に微笑みかける。
これで『別れさせ屋』の任務は完了だ。
その三日後。
別れさせ屋の事務所にて、依頼人と所長と三人で、お茶を飲みながらテーブルについていた。
「本当にありがとうございました。お陰で無事に夫と別れることができました。別れ話をする度に暴力を振るわれて、もう何度も怖くて危ない目に遭ってきましたから、夢みたいで⋯⋯夫の気が変わらない内に、離婚届を提出して来ました。今日の午後の飛行機で、夫が知らない友人の元を訪ねますので、もう彼と会うことも無いでしょう」
そう話すのは依頼人の美幸さんだ。
十代後半の頃に、十五歳年上の正男と結婚して以来、ずっと暴力や暴言で支配されてきたという。
最初は自分が年下だからと、年上の夫の言うことが全て正しいと思い込んでいたそうだけど、最近になって同年代の人たちが続々と結婚し、話を聞いている内に、自分たちの家庭の異常性に気づいたらしい。
美幸さんは笑顔で事務所を出ていった。
よかった。
これで一人の女性の人生を救えたな。
満足感に浸っていると、所長が話しかけてきた。
「聖良ちゃんお疲れ様! モテすぎて苦労してきたって言うけど、本当に天職ね〜」
所長の真佑香さんは、四十代の女性で、鎖骨までの長さの茶髪のワンレングスヘアだ。
化粧は濃いめで、真っ赤な口紅を塗っている。
この方も、昔から男女関係で苦労してきたからと、似たような境遇の人たちを助けるために、この事務所『ビーユアセルフ』を立ち上げたそうだ。
嬉しそうに私の背中をバンバン叩いてくる。
所長が言うように、私にはこの仕事が向いていると思う。
別れさせ屋の仕事は、長期戦も覚悟しないといけない中で、私の場合はスピード解決も珍しくない。
異性に好かれる体質のせいで苦労もしたけど、今はそんな才能を存分に発揮して、人助けが出来ている。
だから、こういう能力も悪くないなと思う、今日このごろだ。
「では、私はこれで! お疲れ様でした〜!」
元気よく所長に挨拶し、退勤した。
「ただいま〜!」
一人暮らしだけど、防犯対策のため元気に挨拶する。
それに、人ではないけど友だちがいるから。
「キリリ、キララ、今日も大成功だったんだよ〜!」
私はいつも帰宅後すぐに、この友だちに話しかける。
それは、生まれた時から一緒にいるテディベアだ。
茶色の毛の男の子のキリリと、白色の毛でキリリより一回り小さくて、左耳に赤いリボンがついた女の子のキララだ。
名前の由来は、キリリは少し目がキリッとつっているように見えて、キララは目がキラキラ輝いて見えるから。
私は二十一歳だから、この二匹のクマとは、もうずいぶん長い付き合いだ。
途中、何度かクリーニングやお直しに出しているので、ヘタったり壊れたりという部分もない。
ずっときれいに大切に扱ってきた。
ぬいぐるみに話しかけるなんて、ちょっと変な人だと思われるかもしれないけど、今は亡き父からのプレゼントということもあって、他のぬいぐるみとは違う特別な何かを、この二人からは感じるんだよね。
普段は帰宅後、食事とお風呂などを済ませて、いつもの仲間とボイスチャットをしながら、ファンタジーRPGを協力プレイするのが日課だけど、今日は集まりが悪そうだったので、早めに寝ることにした。
そしてやって来た運命の日。
朝に一度事務所に寄ったあと、次のターゲットのサラリーマンの行動を観察していた。
毎日出勤前に、この自販機でジュースを買うのか。
あ! 数字が4つ揃ったから、もう一本もらってる!
いいな〜
こういうタイミングで話しかけたら、会話の導入になりそうだけど、果たして作戦の日も上手くいくものか⋯⋯
そのまま追跡していると、歓楽街を通り、駅に着いた。
距離を取ったまま、電柱の陰に隠れて観察する。
当然、職場に向かう電車に乗るよね。
ターゲットを見失わないように、チラチラ見ながら、カバンの中からICカードを取り出した所で、急に腕を強く引かれて、路地裏に引きずり込まれた。
「やっと見つけたぞ。愛子」
その声は⋯⋯
「正男⋯⋯?」
先日までのターゲットだった正男だ。
私の事を怖い顔をして睨みつけている。
ここで接触してしまうとは、まずいことになった。
任務中の私は彼を落とすために、わざと強い好意を向けてきた。
けど任務完了後は、逆上防止のために、適度な熱量でメッセージを返すにとどまっていて、当然、直接会うことも無くなっていた。
どうしよう。
今からでも、好き好きモードのスイッチを入れないといけないのに、恐怖で言葉が出ない。
「ずいぶんな態度の変わりようだな。もう冷めたってか? 俺は家庭を失ったって言うのに、あ!? 舐めてんのかクソが!!」
――ガシャン
正男は大声を出しながら、近くに置いてあったビール瓶をケースごと蹴り飛ばし、辺りにビンが撒き散らされて、割れたガラスが飛び散った。
脚に痛みが走る。
きっと、見たら皮膚が切れたと確認できるんだろうけど、恐怖で固まって動けない。
この男から目を離すことなんて出来ない。
目線を合わせたまま、壁を伝って後退りする。
「俺の機嫌を損ねるやつは、みんなぶっ殺してやる。俺を怒らせた事を後悔させてやる」
まずい。完全に怒っている。
当たり前と言えば当たり前だ。
元々些細なことでも、異常なまでの怒りをあらわにするこの男を、強烈に刺激してしまったんだから。
正男はゆっくりとこちらに歩いてくる。
怖い。
美幸さんは、これよりも恐ろしい目に遭いながら、ずっと耐えてきたの?
こんな男を許してはいけないのに、屈してはいけないのに、今の私の力ではどうすることもできないし、私にも後ろ暗いことがある。
「安心しろ。俺がお前のことをちゃんと躾けてやるから。俺のことが好きなら、これくらい耐えられるよな?」
正男は腕を振りかぶった。
助けて。
殺される。
「セイラ! 後ろだ! 走れ!」
聞き慣れない声だった。
けど、その声に突き動かされるように、後ろを振り返って走った。
「コラ!! 待て!!」
正男も走って追いかけて来ている。
「セイラちゃん! こっち! あと少しだから!」
また別の声が聞こえた。
声に導かれるように必死に走る。
後ろからは正男の怒号が聞こえてくる。
何度か角を曲がる内に、行き止まりに来てしまった。
けどその壁には七色に輝く穴が広がっていた。
ちょうど私の身体の大きさくらいだ。
「セイラちゃん! 早く中に!」
何かに急かされる。
「愛子!! 戻ってこい!!」
正男の声はすぐ側まで来ている。
もうどこにも逃げ場はない。
来た道を振り返ると、やっぱり足に傷が出来ているのか、地面に血が垂れている。
このまま捕まったら、こんな怪我よりもっと大怪我をさせられるに決まってる。
きっと、想像もできないような酷い目にあって、人生が終わるんだ。
「いいから! 行くんだ!」
強い声が聞こえる。
「わかった! 行きます!」
迷いを捨て、勢いよくその穴をくぐった。
穴の中は眩しい光で満たされていた。
目を開けていたら、潰れてしまいそうなくらい。
しばらく目を閉じていると、光が収まる。
ゆっくりと目を開けると⋯⋯西洋の城下町?に立っていた。
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