教会からの使者と聖女の真実
ジーナこそ王族よりもちやほやされても、豪華絢爛な生活を送っても良い筈だ、と考える者も少なくなかった。が、ジーナ本人がそれを拒否し質素で目立たぬ生き様を選び、ひたすら神に祈り続けていたのだ。教えを守り、聖なる力を維持するため。
「お前は聖女ジーナが偽者だと言うが、聖女や司祭は『嘘をついてはならない』という教えを守っている事すら知らないのか」
「し、知っています! ですから、偽物で聖なる力を持たないから嘘がつけるのです!」
王子の言葉を聞いた国王の拳がまたもや上がり、肘掛けに打ち付けられた。次いで、深く長い吐息が口から吐き出される。
「はぁ……」
「ひっ」
青くなったディランの顔を見て、王は内心で嘆く。決して賢くはないとは思っていたがここまで愚かだったとは。聖水を使えば誰でも浄化ができる事は確かに秘密だった。それを広く知られてしまえば多くの人が我も我もと教会に押し掛けるであろう。だが聖水は、聖なる力を得た司祭や聖女が何人も集まり、教会の神殿内で祈り続けて作られる貴重なものだ。「詫びとして出させろ」などと軽々しく言えるものではない。
ジーナが聖女になる前は、北部の騎士団へ秘密裏に聖水が提供されており、それ以外では教会の外に持ち出される事は殆どなかった。だが王子の婚約者にさせられ教会を出た後も、ジーナは特例で定期的に聖水を渡されている。彼女の聖なる力の詳細は知らされていないが、ジーナは間違いなく教会に認められた聖女なのだ。
「ディラン、最初の余の質問に答えよ。聖女ジーナをどこにやった」
「い、いえ、ですから、あの女は逃げ出したので俺は知りませ……」
「いい加減にしろ!!」
「ひっ、ひいい」
とうとう王の堪忍袋の緒が切れた。玉座から立ち上がった彼の額には青筋が浮いている。ディランもアリッサもその迫力に腰を抜かしかけ、その場にいた臣下達も身体をこわばらせた。が、その張り詰めた空気に圧し潰されるかのように身体を捩り、息を荒げ、一人の従者が壁伝いに玉座の側に近づいてくる。
「我が国王陛下、宰相殿、大変申し訳ありません! 使者が!」
「こんな時に何用だ」
「教会から使者が来ております! 陛下とディラン殿下へ至急お目にかかりたいと」
宰相は王に伝え、二人は目配せを交わす。
「……通せ」
教会から使者としてやって来た一人の司祭は、信者の前で教典や説話を読み上げるのが最も得意な者が選ばれていた。国王を前にしても物怖じせず、教会の大司教からの報せを良く通る声で朗々と読み上げる。
『ディラン王太子殿下より賜りました手紙を拝読致しました。しかしながら、随分と見当違いの内容に私ども教会の家族は皆驚き、そして心を痛めております。殿下は聖女ジーナを偽物とお疑いですが、それは彼女だけではなく、彼女を聖女と認めている私ども全てをお疑いになる事でございます』
「あ……!」
ディランは漸く、先程の王の問いの意味に気づいた。司祭も聖女も噓をついてはならない……つまりジーナが偽物などあり得ないのだ。それは教会全体が嘘をついていると決めつける事になる。「偽物の聖女を送り込んだ詫びに聖水を寄越せ」と抗議文を送っていたが詫びどころではない。教会に対して完全に喧嘩を売っている行為だと、何故気づかなかったのだろう。だがディランの後悔を余所に僧の読み上げは続く。
『王家は今後、教会と袂を分かつ決意であると承りました。どうぞ本物の聖女、奇跡の眼を持つジーナの身柄を私どもにお返しください』
「!!」
「き、奇跡の……眼?」
完全に血の気を失った顔色で、震える唇で、問うように呟いたディランの言葉を使者は聞き逃さなかった。読み終わった報せの紙を丸め、傍らの従者に恭しく差し出す礼儀はきちんと取ったが、その後ゴミを見るかのような目で王子を見て言う。
「ええ、殿下は聖女ジーナが浄化を行うところをご覧になった事はございますか?」
「そ、それは……」
「そうですか。無いのですね。彼女は皆の目に見える大きな“穢れ”の他にも、併せてあちこちに聖水を撒いていた筈です。ジーナは微かな“穢れ”でも見える、聖なる力を神から与えられていたのですから」
“穢れ”は魔物を引き寄せ、強化する。“穢れ”が成長し大きくなればなる程、それを求めた強い魔物が周りに現れるようになり、危険になる。彼女の聖なる力とは、浄化が出来ることではない。“穢れ”の発生源がまだ小さく、誰も気づかない内に見つける眼力だった。その眼を使い、的確に聖水で“穢れ”を浄化していたのだ――――
彼女は小さい頃孤児院にいた。
「あの鳥さん、茶色と灰色のしましま」
ジーナが頭上高く飛ぶ鳥を指さし、その羽の色を詳しく当ててみせたのを見た孤児院の院長はニヤリと笑んだ。彼女が生まれつき非常に優れた視力の持ち主であると気づいたのだ。院長はすぐに彼女を教会へ引き渡した。
「おお、確かに凄い目だ」
「これなら将来小さな“穢れ”を見る事ができるようになるかもしれぬ」
「そうなれば、“穢れ”の浄化も今より簡便になる筈だ。多量の聖水を作る必要も無くなるだろう」
司祭達は口々にそう言い、ジーナに厳しい修行と教えを課した。そして少女は神の祝福を得て聖なる力を手に入れ、聖女となったのだった――――
「ディラン、聖女ジーナは何処だ!? 今すぐ解放しろ!」
王は、まだこの時までディランの浅はかさを完全に理解していなかった。ジーナを捕らえ、何処かに幽閉をしているだけだろうと思っていたのだ。
「し、知りません……」
「まだシラを切るつもりか!」
「ち、違います! 本当に知らないんです! 既に追放をしてしまったので」
「追放だと? 隣国にか!?」
聖女を隣国に取られるのかと謁見の間が一気にどよめく。だがディランの次の言葉で、場は今まで以上に荒れた。
「北の荒野に……」
「何だと!?」
王は叫び、そして愕然とした。
彼だけではない。これには、普段は激しい感情を見せぬ筈の教会の使者も流石に青ざめる。そして今の話を教会に報告するべく、さっと身を翻した。王への挨拶を省く無礼なのだが周りの誰も彼を止めなかった。それどころか、この事態にどうしたら良いのか皆、おろおろするばかりだ。一番最初にまともな発言をしたのは臣下の中から進み出た将軍だった。
「陛下! 我が騎士団より捜索隊を至急結成し、荒野に向かわせます! 聖女ジーナ様をお救いしなければ!」
将軍の進言に、言葉を失っていた王もハッと己を取り戻す。
「頼む。何としても見つけてくれ! 全てお前に任せる」
「は」
王は将軍から視線を移し、震えて身を寄せあうディランとアリッサを見る。最早表情を取り繕う事もせず、二人を今にも殺しそうな勢いで睨み付けた。
「ディランよ。今をもってお前の王太子の任を解く」
「そ、そんな! 父上、俺は知らなかったんです。偽聖女だと、こ、こいつが言うから!」
ディランは情けなくもアリッサを突き出す。
「黙れ! 二人とも蟄居謹慎を命ずる!」
「待って下さい父上!」
「いやあああ!!」
ディランとアリッサは、中身は豪華でも決して出ることの叶わぬ部屋……つまり、貴族用の牢に閉じ込められた。
だが、これはまだ転落の序章だった。
次はジーナとマルコのお話になります。












