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15

 地下の通路をいくつも回って、暗いカドに出る。

 ぴちゃりと水の滴る音。

 生ぬるい風。

 陰湿な空気が、いっそう暗い気分にさせる。

 ワルターは将軍とルーカスを伴い、牢を訪れた。荷物持ちのヘレーナは同行させていない。もし捉えた者が激高してヘレーナに罵声を浴びせかけたらと思うと、とても一緒に来いとは言えなかった。

 勿論、現在は近衛兵や警備兵をヘレーナにつけている。

 ただ、次にヘレーナが襲われることがあれば、もしそれでヘレーナが傷つけば、きっと感情に任せて警備を担当していたものまで攻撃してしまいそうだとも思う。

 ワルターの思いが透けて見えるのか、警備の担当になった者は緊張した面持ちで持ち場へ向かっていた。

「まだ捉えた全ての兵を生かしてあります」

 ルーカスが歩きながら手短に説明する。

 先日、ワルター達を襲った青年たちのことだ。今は捉えて牢につないである。本当に手引きしたのはカタリーナか。組織で行動しているのか。支援した者が他にいないのか。確認したいことは山ほどあった。

 最初の牢の前に立つ。

 結束して脱獄を企てられては困るので、一人一人部屋を分けて繋いでいる。

 ドアの覗き窓から中の様子を伺った。

 血の匂いが充満している。

 身体には鞭の痕。腕や足をつないだ鎖が、皮膚に食い込んでいる。俯いていて表情は見えない。

 ワルターが訪れる前に、あらかた重要なことを吐かされたのだろう。

 戦争中は白の国の捕虜に行われていたような尋問を受けたはずだ。

「王、必要な情報はすでに聞き出しました。御自ら、この中へ入られますか?」

 牢の中は、覗き窓で見るよりも更に醜悪なものだろう。

 将軍がワルターを気遣うように確認した。

「ああ。少しだけでも、直接話したいのだ。時間はかけない」

 だから、扉を開けてくれと、目で訴える。

 ワルターの意志に揺らぎがないことを確認して、将軍が扉に手をかけた。

 万が一、という可能性もある。

 繋がれた青年の死角になる場所で、ルーカスが剣を構えた。

 ルーカスの配置を確認してから、将軍が重い扉を開いた。

 迷わず、足を進める。

 ワルター達に気がついたのか、青年がのろのろと顔を上げた。

「王……」

 弱々しいつぶやきが漏れる。

 その顔を確認し、ワルターは一旦足を止めた。

 繋がれた青年は、一番にルーカスに捉えられヘレーナに頭をなでられた兵だった。

 その光景を思い浮かべると、とても落ち着かない。思わず壁を殴りたくなる衝動にかられ、ワルターは慌ててぐっと自分を押さえ込んだ。

 再び青年に近づく。

 近づき過ぎだと将軍が声を上げるが、構わず青年のすぐ前まで歩いた。

「俺に何か言いたいことがあるか?」

 じっと青年を見る。

 園庭でワルターを襲った時のような憎悪は感じられない。激しい苦悩も感じられない。鎖につながれて、身体中傷だらけだというのに……、何故か青年は憑き物が落ちたような穏やかな顔をしていた。

「それが……、何もないのです」

「ほう?」

「無い、と言うより、わからない。俺は、何故あんなに憤っていたのか。もう戦争は終わっていたのに、それに気づかなかったなんて……」

 戸惑いに揺れる瞳。

 青年は確かに戸惑っている。

「王には申し訳ないことをしてしまいました。王を襲うなど……。俺がかなうはず無いのに。いや、王を傷つけるなんて、何故思ったのか。それも、分からない。それに……」

 乾いた喉を潤すようにつばを飲み込み、青年は小さな声で付け足した。

「それに……、王妃様にも大変無礼を……」

 その言葉に、ヘレーナを憎む声も傷つける声も混じっていなかった。

 まさに、毒気を抜かれて腑抜けになってしまったようだ。それも、全てヘレーナの力なのだろうか。

「王への攻撃は不敬罪だ。今回のことなど特に厳しく罰せられる。最悪、明日には公開処刑かもしれん」

 わざと厳しい言葉を投げかける。

「それは……。仕方がありません。俺達のような例を今後蔓延させないためにも、それがよろしいかと思います」

「依存はないのか」

「……。それを言える立場にありません」

 諦めではない。まるで再び黒の国の兵士に立ち戻ったかのように、青年は穏やかに王の決定を受け入れると言う。

「思い残すことは?」

「はい。ありません。……いえ」

 ふと、青年が顔を上げた。

「そう言えば、王妃様のお言葉を、叶えることができませんでした」

 少しだけ、寂しそうなほほ笑み。

『まず、再び戦争が起こらない方法であること。殺傷はしないこと。そして、出来ればあなたも傷つかないこと。これだけの最低条件を満たす方法で、何とかする方法を考えて下さい』

 ヘレーナの言葉を思い出す。

 あれからずっと、青年は考えていたのだろうか。

 ヘレーナの言葉を、叶えることができない?

 今さら何を言うかと、ワルターは思う。ヘレーナを襲った本人が、何を、と。

「今になって、ヘレーナを王妃と認めるか?」

「……。良い王妃様だと、思いました」

「お前に良いなどと言ってほしくはないが」

 何故かむっとして、言い返してしまった。

 そんなワルターの様子に、青年は何故か苦笑を漏らす。

「ああ、はい。王様が王妃様をどう思っていらっしゃるのか、十分わかりました。尋問官にも、隣の部屋の知り合いにも、伝えておきましたからご安心下さい。もう遅いけれど、これからは絶対に王妃様を狙いません」

「……。いや、だから」

 一体、なんの話か。

 見ると将軍も何故かやれやれというふうに肩を竦めている。

 青年に取り憑いていた何か。ヘレーナを憎んでいた心が、どこかへ吹き飛んでいってしまったようだ。


 実はワルターは青年を処刑するなどとは考えていない。

 それどころか、今朝早くにヘレーナに頼まれてしまった。

 捉えた兵に酷いことをしないで欲しいと。

 どうにかして、元の職に戻れないのかと。

 ありえないと思う。

 自分を襲った男を、そんなに簡単に許すのかと、きつい口調で聞いてみた。するとヘレーナはちょっと首を傾げて、真っ直ぐ縦に首を振った。

「それに私は約束したんです。一緒に考えましょうと」

 ですから、お願いです、と。

 潤んだ瞳で、ヘレーナはワルターを見上げた。


 今朝のことを思い出し、ワルターはイライラとその場で足を鳴らした。

 将軍や青年がその音にはっと緊張する。

 おそらく、誤解したのだ。

 ワルターが青年の態度に怒りを覚え、この場で青年の処刑を宣告するかもしれないと。

 ワルターはわざと誤解を解かずに牢を出た。

 許すにしても、兵に戻すにしても、ちょっとは痛い思いをしてもらわねば困る。

 ワルターは無言で扉が閉まるのを見ていた。


 牢に繋がれた他の兵も似たり寄ったりだった。取り立てて目新しい情報が取れるわけでもない。ワルター達は短い尋問を切り上げ、地下を出た。

 庭園に続く廊下に出ても、暗い気分はなかなか晴れなかった。

 そこへ、楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 視線を向けると、そこには庭園を散歩途中のヘレーナとユリアがいた。ヘレーナが襲われたのとは離れた場所で、楽しげに何やら話し込んでいる。

 思わず足を止め、その光景を眺めた。

 暖かい陽の光を浴びて、穏やかに微笑むヘレーナ。

 一旦は短くなった髪も、少し伸びてきて綺麗に切りそろえられている。

「楽しそうで良かったですな。この度の事件のせいで、辛い思いをされたでしょうに」

 将軍も、優しい表情でヘレーナ達に目を向けている。

 その目には、半分ヘレーナ、半分ユリアが写っていた。

「良かった、か」

 何故、将軍は自分に同意を求めたのか。

 不思議に思い、将軍を見る。

「王は、ヘレーナ様のことをとても大切に思っていらっしゃる」

「は……?」

「あれほど穏やかで優しい目を向けられて。良くわかります」

 いや、違うと。

 叫ばなければ、ならないか? いや、何故叫ばなければならないのか? もう白の国との戦争は終わった。実を言うと、ワルターはもうヘレーナをこれっぽっちも憎んでいない。ただ、穏やかで優しいとはどういうことか。今まで言われたことのない言葉に、ワルターは戸惑った。

「お二人とも、よろしいでしょうか。次に、幽閉の塔へ参ります」

 そこへ、施錠のため遅れていたルーカスが現れる。

 幽閉の塔。

 その言葉に、ワルターは気を引き締めた。

 ヘレーナのことを考えだすと、時間が足りなくなる。

 今はこれから会う人物に意識を集中しなければ。

 ワルターは自分を叱咤し、幽閉の塔を睨みつけた。

 そこには、あのカタリーナが幽閉されているのだから。

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