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 その日、ワルターは穏やかな気持で朝を迎えた。いつの間にか、腕の中にヘレーナを抱いている。

 どうりで温かいと思った。

 ヘレーナを起こさないよう気をつけながらそっと腕をずらす。静かに立ち上がり、伸びをした。

 ああ、と、ワルターは突然納得した。

 もう戦争は終わったのだと。

 終戦協定に署名をした時も、ヘレーナを迎えた時も、執務室で書類に追われていた時も、まったく感じなかったことなのに。

 戦後の処理も落ち着き、会談を穏やかな雰囲気で乗り切ったのが大きのかもしれない。

 それに、ほんの半年前までは憎悪の感情しかなかった白の王族が、今は自分の隣で眠っている。慣れてしまったのか、自分の中で何かが変わったのか、ワルターはヘレーナが自分のそばにいることが当たり前になっていた。それに気がついたのだ。


 ワルターは早朝一人で部屋を出た。

 扉の外を守っていた近衛兵に、ヘレーナを部屋から決して出さないよう指示する。加えて、自分以外のいかなる人物も部屋に入れないよう、命令した。誰がヘレーナを狙っているのか分からないし、また嫌がらせをされるかもしれないと考えると、そうする他はなかった。

 まだ朝食の準備が始まったばかりの料理室を横目に、病棟を目指す。

 そこには、戦争で傷ついた高齢の兵士が寝泊まりしている。若い兵士は受け入れる親族も沢山いるが、高齢の兵士は受け入れてくれる家族が殆ど無い。しかし、戦場で働いた老兵を放り出すなどもってのほかで、城は老兵の面倒を全面的にみることになっていた。

 ワルターが面会したい人物も、そんな老兵の一人だ。

 数年前にワルターが直接指揮を取った部隊に参加していた老兵は、その時大きな傷を負い一生立つことができない体になってしまった。以来、ワルターは幾度もこの老兵の元を訪れていた。

「おや、お早いですな、王」

 老兵は、穏やかな笑みを浮かべワルターを迎え入れる。手には分厚い書籍があり、彼がすでに起きてからひとしきり読書を楽しんだことを物語っていた。

「老人は朝が早いと聞いてな。この時間を逃すと、お前は昼寝をしていると思ったのだ」

 身内にのみ許されるような憎まれ口を叩きながら、ワルターは老人のそばに腰を落ち着ける。

 ワルターの言葉に気分を害した様子もなく、老兵は笑った。

 老兵が書籍を枕元に置いたのを確認して、ワルターは頭を下げた。

「すまん、爺。戦争が、終わった。終戦だ」

「それは、おめでとうございます。しかし、実は私は知っておりましたぞ? 王はどれほど私を阿呆な老人にしたいのか」

 素早い老兵の切り返しに、ワルターはむっと顔を上げる。

「いや、俺は、お前や部下の仇を取ろうと……。けれど、白の国を滅ぼすことはできなかった。そして、今は、できなくて良かったとも思っている」

 それを、身を犠牲にして戦った老兵に報告することが、どうしても出来なかったのだ。

「これはおかしなことをおっしゃる。王よ、私は戦争で傷ついた。その戦争を終わらせたのだから、あなたは私の仇を十分にとったということになりますぞ」

 老兵はやはり穏やかに笑った。

 ワルターは言葉も無く、老人を見る。

 許して欲しかったのかもしれない。もう白の一族を憎めない自分を、父の代わりに認めて欲しかったのかも。

 そうしてくれた老兵に感謝をしながら、ワルターは病棟を後にした。


 次に、朝の訓練指導をしている将軍を捕まえ、無理矢理執務室に連れ込んだ。

 念入りに周辺を警戒し、音声遮断の呪いまでかける。

 はじめは迷惑そうな将軍だったが、ワルターの慎重な行動に何かを感じたのか、不満を口にする事無く席についた。

「朝からすまないな」

「緊急の事なのですな?」

 ワルターは将軍の言葉にうなずき、しっかりと頭を下げた。

「お前の娘を貸してくれ」

 将軍は、ぽかんとワルターの所業を見ている。

 まず、王族は頭を下げない。黒の一族は戦闘能力で力関係を推し量るところがあり、その頂点に立つ王族は決して負けてはいけないのだ。だから、王が頭を下げるなど異例中の異例。

 将軍は慌てて王を制した。

「どうか、お顔をお上げ下さい。娘が、何ですと?」

「お前が家族を城の政に関わらせないのは知っている。しかし、それでも、頼む」

 ワルターの表情は真剣そのものだった。

「俺が蒔いた種とはいえ、城の者のヘレーナへの態度は辛辣だ。先日の毒の件も含め、誰も信用出来ない。今の城の中でヘレーナの味方を探すより、外から連れてきたほうが確実だ。お前の娘ならば、お前という強力な後ろ盾がある。例え王族が相手でも、引けを取らぬだろう」

 それだけ言うと、ワルターは祈る気持ちで将軍の言葉を待った。

「確かに、娘……ユリアは、強い。闘技大会で優勝して以来、私はずっと娘を表舞台に立たせることをしなかった。それはひとえに、娘には普通の娘として幸せな結婚をし、家庭を持って欲しかったからです。ユリアを王妃様の近衛兵として召すのなら、その未来がなくなる。それは、今すぐには決めかねます」

 もう、何年前だろう。

 将軍の一人娘が、一般応募で闘技大会に出場し優勝してしまった。城から近衛兵も数名参加していたし、腕自慢や用心棒、一般兵も参加していた大会だ。

 ただ、黒の一族は、男女関係なく強い者は強い。だから、優勝者が将軍の娘と分かると、当然軍はユリアを欲しがった。

 けれどユリアはそれ以降公式の舞台に姿を見せることはなかった。戦争も激化し、この事はすぐに人々の記憶から消えてしまった。

 昨晩ヘレーナがユリアの名前を出し、ワルターはそれを思い出したのだ。

「いや、そうではなく、出来ればヘレーナの侍女になって欲しいのだ。確かに嫌がらせを受ければ守ってやって欲しいのだが、何より良き話し相手にならないだろうか? 城勤めの侍女ならば、結婚の際にも汚点にならないはずだ。それに、今日からはヘレーナの護衛兵の数を増やす。危険なことは極力無いように配慮する」

 無言で重圧をかける将軍に、ワルターは引かなかった。

 しばらくにらみ合いが続いたが、最後には将軍が折れた。

「わかりました。娘に打診してみます。ただ、本人の意思を最優先させたい。お返事は後日と言うことでよろしいな」

 しかし、ワルターは首を横に振る。

「ああ、勿論、本人の意思を最優先だ。しかし、確認は後日ではなく今すぐ。返事は午後の会議の前に頼んだぞ」

 ワルターの言葉に、将軍は今度こそ言葉を失った。


 すべての用事を終え、ワルターは寝室に向かった。

 扉を守る近衛兵に訪問者の有無を確認し、そっと扉を開ける。中を覗きこむと、ヘレーナは扉に背を向けベッドに座り込んでいた。何やら、熱心に腕を動かしている。

 何をしているのか興味をそそられ、気配を殺してヘレーナの背後に近づいた。

 どうやら、ヘレーナはガラスの瓶をどうにかしようとしているようだった。それは、ワルターが土産に買ってきたものだ。ヘレーナの隣にはワルターが手渡した紙袋が鎮座しており、他にも様々な工芸品が彼女の周りに並べられていた。

「何をしている?」

「ひっ……」

 声をかけガラスの瓶を取り上げると、ヘレーナは飛び上がって驚きを見せた。

 よほど驚いたのだろう、目を見開き完全に言葉を失っている。

「この瓶が、どうかしたのか?」

 手の中で瓶を遊ばせながら、ワルターはベッドの隅に腰掛けた。

「あの……。蓋が、あかなくて……」

 戸惑いと驚愕の入り混じった複雑な表情でヘレーナがぽつりぽつりと話す。

「蓋?」

 ためしにねじってみると、瓶の蓋は難なく開いた。

 もう一度蓋を閉め、ヘレーナに手渡す。

「ん……う……」

 ヘレーナの腕が震えている。目一杯力を込め、蓋を捻っているようだ。

 しかし、蓋はピクリとも動かない。

 その必死の様子が驚くほど可愛く見え、ワルターは口に手を当てる。

 自分が笑っていることを隠すため、ワルターはわざと厳しい表情を作り瓶をもう一度取り上げた。

「蓋を諦めるか、その都度俺に頼み込んで使え」

 今度は、蓋を開けて瓶の本体のみを手渡した。

「……すみません」

 ヘレーナはしょんぼりと俯いてしまった。

 言葉選びに失敗してしまった事に気づき、ワルターは慌てて場を取り繕おうと立ち上がった。

「迎えに来た。朝食をとろう」

 何より、食べ物があることが幸せだ。戦場では数日空腹と戦うことだってザラだし、食事だって簡素で味気ない携帯食だけだ。

 それ故、温かく美味しい料理を食べることはワルターにとって至福の一時なのだ。

 だから、ワルターは食事に誘うのはとても良い事だと信じているが……、それがヘレーナに伝わったかどうかは謎だった。

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