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 アルブスとアーテルの会談は国境の教会で行われた。教会と言うと聞こえはいいが、実際は戦地で傷つき行き倒れになった兵の最後を看取るためだけの施設だったところだ。

 両国の王は、威厳を保ちながらも相手を刺激するような豪奢な行列は避け、教会に集まった。

 話し合うことは沢山ある。

 特に、両国の商人から申し出のあった通商の件は、迅速にしかし慎重に対応していかなければならないことだ。

「貴国の家具や樽は我が国でも噂に上っている。丁度、家屋も落ち着き家財を揃える時期だ、人気が出るだろうな」

 白の王ベルンハルトは穏やかな笑みを浮かべ両手を組んだ。

「しかし、我が国だけが儲けるかといえば、そうでもないはずだ。そちらの国の薬草や珍しい作物は、商人達も早くから目をつけているようだ」

 黒の王ワルターもどっしりと椅子に腰を下ろし腕を組んでいる。口元に笑みを浮かべているが、とても穏やかな表情とは言いがたい。

 お互い握手を交わし挨拶もした。

 話し合いもスムーズに進行している。

 しかし、ワルターはベルンハルトの在り方に苛ついていた。

 それはおそらく、ベルンハルトの口からヘレーナについて何も触れることがないからだと思う。一言も、ヘレーナの件を口にしないのだ。

 子供を思わない親はいない。

 将軍はそう語ったが、本当にそうだろうか?

 ワルターの父は、自分の息子を駒と言い切っていた。ヘレーナも、やはり父親に人形扱いを受けているのでは? 彼女は否定したが、ワルターにはそう思えて仕方がない。

 それがとんでもなく気に入らないのだ。

「では、通商手形の発行を早めよう。ただ、無法になっては困る。すぐに手形のすり合わせを行おう。貴国の彫り師が我が国の木を掘って原型を作る、と言うのはいかがか?」

 ベルンハルトの言葉に、ワルターは自分の思考を中断して顔を上げた。

「それでいいだろう。すぐに彫り師を用意する。他に、何か?」

 実は、これはすでに予定されていたことであり、彫り師の準備も整っている。あくまで会談は最終的な確認の場であり、ここに来るまでに何度も書簡をやり取りしていたのだから。

 ワルターの言葉に、ベルンハルトは微笑みを返した。

「いいや。私からは以上だ。そちらに何もなければ、今回はここまでにしようか」

「……」

 よほどヘレーナについて話そうと思ったが、最後まで口にすることができなかった。この場はあくまで両国の会談の場であり、個人的な話題はそぐわない。

 何もなければと、ベルンハルトは立ち上がった。

 ワルターもそれにつられて腰を浮かせる。

 ここで、握手をしておしまい。お互いすぐに国に帰って通商手形の発行にとりかからなければならなかった。

 ベルンハルトの差し出す手を、ワルターが握りしめた。

 そこで、ワルターは手の中の違和感に気づく。ベルンハルトが握手のタイミングを利用してワルターに何かを握らせたのだ。

「娘は、元気にしているか?」

 机の端まで列を作って控えている従者や記録係に聞こえないような小声で、ベルンハルトは話し始めた。その行いが真実パフォーマンスではないと、感じ取る。

「……、これは」

「実は末の娘が姉にと作った髪飾りなのだ。まだお互いの国の物をやり取りできない約束なのだが……、一つ内緒でヘレーナに届けてくれないか?」

 戦後の混乱を予想して、取り決めのある物以外は決してやり取りできないよう条約を結んでいる。それを内緒で通せと、条約を守る代表である王に頼んでいるのだ。

 ワルターは、ぽかんと相手を見た。

 ベルンハルトは先程と変わらない微笑みを浮かべている。彼はいつも表情を崩さない。だから、何を考えているのかよくわからなかった。

 ただ、これをヘレーナに届けたのなら、彼女はきっと喜ぶだろう。

 本当は、呪いや危険な物質を疑わなければいけないのだが……。

 何故かワルターはそれをすんなりと受け取った。この機会を逃せば、二人が個人的に話をする場はない。安全を考慮して、お互いの王が顔を合わせる時間は最少にするように取り決めを行なっていた。この会談が終われば、後数ヶ月は二人が顔を合わせることはない。それを思うと、ベルンハルトの贈り物を受け入れてしまったのだ。

「妻に……、何か伝言はあるか?」

 ワルターは声のトーンを落とし、ベルンハルトに語りかけた。

「どうか健やかにと、伝えてやってほしい」

 王たちのやり取りが聞こえない従者が不審な表情を浮かべている。

 今度は記録係にも聞こえるように声を張り上げた。

「そちらの言い分はすべて了解した。急ぎ帰国し、すべての案件を検討する」

 ワルターはわざと堅苦しい言葉を選びながら、ヘレーナの件を了解したと伝えたつもりだ。

「黒の王のご配慮に感謝する。私も、急ぎ帰国し両国の正常な国交回復に尽力しよう」

 握手をするベルンハルトの手にぐっと力がこもった。

 ヘレーナの言う通り、ベルンハルトはヘレーナを見捨ててなどいないのかもしれない。ワルターはようやくそんな風に感じることができた。


 会談から帰ったワルターは、一番にヘレーナを将軍の家まで迎えに走った。

 荷物持ちがいないと困るからなどと理由をつけ、挨拶もそこそこに馬車に押し込める。別れる間際に見たヘレーナは、顔色も悪く起き上がることも辛そうだった。しかし、久しぶりに見た彼女は、すっかり健康そうになっていた。心なしか髪も肌もつやつやと輝いており、顔にも穏やかな表情が伺える。

 そこまでヘレーナを観察して、さらにワルターはまだまじまじと彼女の顔を眺めてしまった。

 薄くだが、化粧をしているようだ。

 今まではただ儚げだったヘレーナが、ワルターの知っている以上に美しく思われた。本当に不思議だが、それに気がつくと心なしか鼓動が大きくなった気がした。

 ヘレーナには、ベルンハルトが彼女に託した物や言葉を一番に届けたかった。

 しかし、ワルターは、何故だか言葉が出てこない。

 これほど近くにいるのに、ヘレーナのどこを見ていいのかわからない。

 戸惑いながら、無言で馬車に揺られ続けた。

 しばらくの沈黙の後、口を開いたのはヘレーナだった。

「おかえりなさいませ。無事のご帰還、何よりです」

「……ああ。会談だけだからな。何があるわけでもない」

 以前なら、ヘレーナが勝手に口を開いただけで、激高していたかもしれない。

 しかし、ワルターは会話がすぐに終わってしまったことが残念で、もっと何か話してくれると良いのにと思った。自分が色々話しかけることも考え、うまい言葉が見つからず口をつぐむしかなかった。

 結局、それ以外に会話をすること無く城にたどり着いた。

 城につけば、自分の時間などない。会談の成果や留守の間の連絡などで、すぐに日が暮れた。


 再びヘレーナと向かい合ったのは、深夜の寝室だった。

 ワルターは、常に手渡していた薬を出す代わりに、大きな紙袋をヘレーナに手渡した。

「土産だ」

 その中には、ベルンハルトから託された髪飾りも紛れている。さすがに小さな髪飾り一つを渡せば不自然だろうと、帰りの道中色々見繕って買ってしまった。気がつけば、両手で持つほどの紙袋になっていたのだ。

「勘違いするなよ? 民の復興に協力する意味でも、色んな所で買い物をしたほうが良かっただけだ。今の商人が取り扱う品を定めるいい機会になる。それに、売っているものが女物のほうが多かっただけで……」

 決して、お前を特別扱いしたわけではない、と。最後まで言い訳を口にできなかった。

 手渡された紙袋を大切に胸に抱いたヘレーナの姿を見て、ワルターの思考が一瞬停止したのだ。

「ありがとうございます。中を見てもよろしいでしょうか?」

「勝手にしろ」

 何故だか、非常に照れくさい。

 ワルターは短く言葉を切りそっぽを向いた。

 がさごそと紙袋に手を入れるヘレーナが、手を止める。

 彼女が最初に手に取ったのは、小さな髪飾りだった。

「これは……」

 ヘレーナの声が震えている。

「土産だ」

 両国の王が規制されている物品を運んできたなどと、言えるわけがない。ワルターは、何を聞かれても土産で通すつもりだった。

 カラフルな紐を編んで作られた、小さな髪飾り。あまりにも拙く、ところどころほつれている。けれど、ヘレーナはその髪飾りを大切に抱えて震えていた。

 やがて、ヘレーナの頬に一筋涙が伝う。

 その様子に、ワルターははっと身を強張らせた。

 今まで何をしても泣かなかったヘレーナが見せた涙に、ワルターはショックを受ける。

 慌てて何かフォローをしようとしたが、うまい言葉が見つからなかった。

「白の王が……」

「はい」

「お前の身体を気遣っていた」

 やっと、それだけを言うことができた。

「父が……」

 ヘレーナも、それきり沈黙してしまった。

 長い静寂に耐えかね、ワルターはヘレーナをベッドに促した。今までのように服を脱がすこと無く、並んで腰掛ける。

「お前は……、将軍の家はどうだったのだ?」

「はい。とても良くしていただきました」

 ヘレーナは、将軍家に滞在中の出来事をぽつりぽつりと話した。

「特に、ユリア様とはたくさんお話させていただいて」

「ユリア?」

「将軍のご息女です」

 ああ、そう言えば、と。ワルターは思い出す。確か、将軍の娘はそんな名前だったなと。将軍は、仕事とプライベートを完全に切り離している。だから、あまりかの家の事情は知られていない。

 むっつりと寡黙な将軍の姿を思い出し、ワルターはベッドにごろりと転がった。

 その辺りから、ワルターの記憶が曖昧になる。短い期間だったが、会談は思いの外疲れたのだ。

 気づけば二人は頭を並べ、何をするわけでもなく仲良く眠りについた。

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