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彼の娘  作者: 大島 有
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14話 パパ大好き

風邪が冷たい。

12月の声を聞くだけで、本格的な冬がもうすぐそこまで来ているような気がする。

朝晩は以前よりも冷え込んで、帰りが遅くなる日は、駅から家までの距離がいつもより長く感じる。灯りもついていない寒々しい部屋に戻るのも、もうだいぶ慣れた。絵梨香がアメリカに発って4ヶ月になる。自分の住まいのある階のボタンを押し、エレベーターを待っている間に郵便受けを探る。数枚のダイレクトメールに混じって一通のエアメールがあることに気がつく。

(絵梨香だ。珍しい。)

いつも電話かメール。それすらも最近はトンとご無沙汰なのに、あいつが手紙をよこすなんて珍しい。

そう思いながら、到着したエレベータに乗り込み、早速封を切る。


〝パパへ。元気ですか?風邪なんかひいてないでしょうね。絵梨香はとっても元気です。毎日大学が楽しくて、めいいっぱいこちらでの生活をエンジョイしています。たまには手紙もいいでしょ?〟

なんていつもの調子で始まって、ざっと目を通すと、なるほど、内容はクリスマスから年末年始にかけての帰国についてのことだった。大学もそろそろ休みに入るらしい。

(このくらいのことならメールでも寄越せばいいのに。わざわざ。)

部屋に入り灯りをつける。エアコンのスイッチを入れ、コートをソファの背に放り投げる。座って手紙の続きを読むと、まだ先があるらしい。便箋が2枚入っていた。

(ふうん、なんだろう。)


〝又、パパの顔を見ると上手くいえずにそのままになっちゃうかもしれないと思って、手紙を書くことにしました。

パパと絵梨香の間で気になっていること。

ひとつはママのこと。ママに会った時の事をパパには詳しく話さなかったね。ママは昔のままでした。絵梨香が知っている優しくて暖かいママでした。あの頃は、ママの事が許せなかったけど、ママもいろんな事があって、本当はそうしたくてそうしたわけじゃなかったけど、パパと絵梨香と離れていくしかなかったんだね。

だけどママは今でも絵梨香のことをあの頃と変わらず思ってくれていたし、パパのことも、いろんな話をする中で、ママなりに愛してたし、パパもママのことを愛していたんだなとわかりました。それは隆博さんに対する思いとは、又違うものなんだよね。絵梨香は最近、「好き」にもいろんな「好き」があるんだなと思いました。

今は、ママは他の人と暮らしているけど、ママはその人との生活を楽しんでいるし、それは自分が望んでいたものに近いものなのだと言いました。だけど、絵梨香に対する思いはずっと変わらず、これからも変わらないのだと言いました。


ママとアメリカで過ごした一週間はとても楽しかった。絵梨香はママがもう絵梨香のことを娘だと思っていなくて、冷たくなってしまっていたらどうしようかと、本当はそれが恐くてずっとママに会うのをためらっていました。パパの事故の時のこと、ママの浮気の事、それよりもママの思いが変わってしまったんじゃないかと思う事の方が恐かったのかもしれません。

ママと買い物をしたり、学校の手続きにいったり、隆司叔父さんと3人でフロリダのディズニーランドにも行きました。ママはこんな風に絵梨香と過ごせて夢のようだと言いました。本当は絵梨香とずっと一緒に暮らしたかったんだけど、ママのわがままでごめんね、と謝りました。私はママもパパも形は違えども、一緒に暮らせなくても、2人がそれぞれ幸せでいて欲しいと言いました。


ママはパパに会った時の事を話してくれました。隆博さんのことをね。そして、絵梨香はそれがパパの幸せだと思って認めてあげられるのね、と聞いたの。

私はずっとそのつもりだった。隆博さんにこっそり会いに行った時、(この話もうばれているよね?)現実問題、本当に絵梨香ちゃんは大丈夫なの、って聞かれました。私はまだまだ子供で、よくいろんなことがわかっていなくて、夢みたいな事ばかり考えてるかもしれません。だから、ショックな事とか、えー、こんなんだったけ?と思うことも後々あるかもしれません。だけど、私も隆博さんのことが大好きです。ずっと、パパと一緒にいてくれて、絵梨香がお嫁さんにいくまで見守っていて欲しいの。だから隆博さんにもよくお願いしてアメリカに来たのです。


パパは詳しい事わかっているよね?絵梨香が今度日本に帰る時、絶対、絶対隆博さんと一緒に迎えに来て下さい。それが絵梨香にとって、最高のクリスマスプレゼントです。

パパのことが大、大、大好き!何時もは可愛くないことばかり言っちゃうけど、本当はパパのことが大好きです。あの事故の時、意識のないパパが腕を必死に伸ばして、絵梨香の側に来ようとしていたのを、絵梨香は覚えています。パパの必死な表情を今でもはっきり覚えています。本当にパパ、ありがとう。最高のクリスマスとお正月をパパと過ごせますように。そして、隆博さんとも。〟


胸が痛くなった。親子って普段はそっけない態度をとったり、憎まれ口を叩いたり、お互いのことなんて、さほど気にも留めていないように振舞いながら、本当はちゃんとしっかりお互いを見てる。そしてお互いを思っている。口に出すことはあまりなくとも。

絵梨香の丸っこい可愛らしい文字を、何度も何度も目で追った。

〝パパ大好き。〟その〝大好き〟の文字を食い入るように何度も見る。


(絵梨香。)

赤ちゃんの頃からの絵梨香の姿が走馬灯のように、頭の中を駆け巡った。

あの小さな手、柔らかい髪の毛の感触。

お風呂にも入れたし、オムツも替えた。乃理子に怒られながら、あれこれいろんなこと注意されながら、恐々あの小さな体を宝物のように扱った。自分があんなに子供に執心するとは思いもしなかった。周りの者が意外だと笑った。

〝あんな子煩悩な父親になるなんて。〟

でも、あの小さな軽くて、柔らかでどことなく頼りないあの体温の感触が何よりも大事なものに思えた。絵梨香が、俺の指を握って、ころころと鈴のような小さな笑い声を上げたり、くすぐると体をよじって笑ったり、そんな小さな日々の出来事が、自分の中に確かな手ごたえとして蓄積された。


心にぽっと、小さな、でも確かに燃え続けている美しい灯りがあった。それが絵梨香だった。


若い父親だったな。3つ上の乃理子が25歳で、俺が22歳だった。まだまだ駆け出しの、社会に出たばっかりの頼りなく、エゴで固まったどうしようもなく未熟な若造だった。子育てって親も一緒に成長していくんだなって思った。絵梨香が2歳なら、俺も父親2年生だ。やっと、16歳になったな。俺もな。やっとなんとか一人前になれただろうか。

新生児室で生まれたばかりの絵梨香を抱いた時、手のひらに乗るくらいのその小さな命を抱いた時、胸が熱くなって、ふいに涙がこぼれた。絵梨香の生まれたばかりでくしゃくしゃの猿のような顔がにじんでぼやけた。その時、ああ、親父も俺が生まれた時、ひょっとしてこんな気持ちになったんだろうかなんて、変なこと思ってしまったけ。

〝隆博さんと一緒に迎えに来て。〟

あの小さな赤ん坊だった娘が、いつのまにか親のことまでちゃんと考えて思ってくれる。

宝物をしまうように、そのピンク色の便箋をゆっくりと丁寧に折りたたんで封筒にしまった。



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