14話 彼の居場所
「それで彼は今どこに?」
「Y市です。」
「えっ?Y市?」
彼女は、隆博はY市にいると言った。
何でそんな所に。いや、わかるような気がした。
Y市は良二さんの住む町だ。
マンションはもう何ヶ月も留守にし、Y市に行ったきりだそうだ。
「レナさんは、Y市を知ってて?」
「ええ。良二さんのことも聞いたことがありました。それで、早速次の週に出かけてみました。」
どうも、良二さんは彼に口止めされているみたいだ。水臭いな。何で良二さん教えてくれないんだ。
くそっ。心の中で舌打ちをした。
こんなに心配して何回も何回も、高速で片道4時間もかかるところを行ったり来たりしてるのに。
急にがっくりと力が抜けてしまったような気がした。
それでも気を取り直して、彼女と会話を続ける。
俺に教えたりして大丈夫なのかと尋ねると、彼女は、大丈夫です、居場所は私しか知らないし、誰にも隆博は教えて欲しくないと思っているみたいだけど、まさか私が水木さんに教えるとは思ってもいないだろうしと、悪戯っぽく電話の向こうで軽く笑った。
「それに大丈夫だと思ったんです。ひさしぶりに顔を見たけど、日に焼けて元気そうで。精神的にも落ち着いているように見えたし。あなたに会ってもたぶん大丈夫でしょう。」
(日に焼けて?あいつ何やってんだろう?)
「会いに行ってあげて下さい。」
彼女はそう言った。
「会いに行ってもかまわないんですか?」
そう聞くと、
「会ってはいけない理由なんてあります?」
私はもう彼の妻ではありません。あなたも彼も、そして私も自由なんですよ。
彼女はそう言った。ごく自然に、柔らかく通り過ぎる風のように穏やかに。
俺は彼女に感謝して、電話を切った。
そして、その足で、部長に休暇願を出しにいった。
「私たち、そうだなあ。ずっと友達みたいだったの。」
高速を走らせながら、彼女が言ったことを思い出した。
和可ちゃんが亡くなってからの1、2年間。
最悪の時期だったわと、彼女は言った。
自分自身もまだその事実を受け入れることが出来ず、気持ちの整理も出来ていないまま、法事や墓の購入。いろんな諸事をこなしていた。ふと時間が出来て子供のことを思い出すと、悲しみや寂しさ、充分な事をしてやれなかったという後悔、いろんな思い出が押し寄せてきて、そんなものに押しつぶされそうになりながら必死に毎日を生きてきた。
それでも、悲しみを共有する相手がある。それだけでもレナさんには心強く、溺れかけた人が必死に池の周りに生えている草をつかむがのごとく、隆博に頼っていたのだという。
「今から思えば、自分自身の辛さに加え、私をフォローしなければいけないと彼も必死だったのよね。あの人の胸中をもっと私も考えてあげなければいけなかったのだと思うけど、そこまでの余裕がなくて。自分が救われたくて必死に隆博にしがみついていたわ。
もともとナイーブで、繊細な人なのに、人にひどく気を使うところがあって、いつも自分より先に私のことを気遣ってくれた。どこかで無理をしていたのね。気がついたときは、あの人、ウツみたいになっちゃって、仕事にも行けなくなってしまって、部屋に閉じこもりっきりで。それでも、何とかしないといけないって、あの人はあの人なりに自分を奮い立たせて、病院にも行ったし、良いといわれる事は何でもしたし、ふたりで気分転換をしようって旅行に出かけたり。でも、それがどっか、逆効果だったのね。どんどんひどくなっちゃって。」
躁と鬱。両方が日替わりで出てきた。仕事や実生活にも少しずつ影響が出始めた。和可ちゃんが亡くなって3年くらい経った時のことだ。
俺は知らなかった。
あいつがそんな状態だったことを初めて聞いて、ショックだった。
あの夜、小刻みに肩を震わせながら泣くあいつの姿を思い出し、胸が締めつけられた。
「でも、その頃からお手紙を頂くようになって。」
手紙?
聞き返すと、それはうちの絵梨香が出した手紙のことらしい。本が出版されない事を心配して、ファンの人からぽつぽつと手紙やメールが届くようになって、その中に絵梨香が出した手紙があったらしい。
「隆博の書いた物を読んでくださるのは、殆どが30代から上の方が多くて、なのでお宅の絵梨香ちゃんのような若いお嬢さんがお手紙を下さるのは、ホント珍しいことだったんですよ。」
確かに、あいつの書く物を読んで、共感を覚えたり理解を示したり出来るのは、その辺りの年代の人たちなんだろうな、と思った。
「彼は嬉しそうでした。」
彼女は受話器の向こうで嬉しそうな声を出した。
きっといいお嬢さんなんでしょうね。そうも付け加え、隆博は絵梨香とのやりとりを楽しんでいたらしい。だが、俺の娘だとわかるまでにはその後、かなり経ってからだと彼女は言った。
「でも、その頃からかな、彼の病状がかなり良くなってきて。」
お嬢さんからの手紙が、とても励ましになっていたようでした。
彼女は付け加えた。
ぼちぼちと執筆にも身が入り、会社にも休み休みしながらも行けるようになったのも、その頃だと言う。
「私もほっとして、あの人も前向きにいろんな事が考えられるようになったの。それで、また子供をつくろうっていう話し合いもして。」
そこまで話すと、彼女の声のトーンが急に落ちた。
思うようにうまくいかなかったらしい。病院にも通ったが、色よい結果は出ず、いたずらに時が過ぎていくにつれ、焦りを感じたレナさんは、仕事に没頭して気を紛らわすようになった。彼女は結婚してからも同じ職場で、薬剤師としてキャリアを積んでいたのだ。そうこうしているうちに、隆弘が言ったように、ふたりが重点を置くところが少しずつずれていったのだ。
「あの人のことが嫌になったのでも、嫌いになったのでもないわ。」
溜息をつく彼女に聞いた。
「隆博と別れたことを後悔している?」
いいえ。
彼女ははっきりそう言った。
道はいつの間にか分かれていたわ。気がつかない振りをするのは、もうやめようって言ったの。私がね。
彼女の口調にはどこかさばさばしたところがあって、何かを乗り越えた強さとしたたかさを感じさせた。




