13話 レナ
夜遅くまで時間をつぶし粘ったが、あいつが帰ってくる気配はなかった。電話を携帯もメールもなしのつぶてだ。あいつの友人、学校時代の友達、実家の電話番号。そのどれもかける勇気がなかった。その日はあきらめて車に乗り込み、深夜の高速で帰路に着いた。
蛍光グリーンに光るリノリウムの灯り。フロントガラスに反射してひかり、そして通り過ぎる灯り。
この高速で何回、この灯りを見ただろうか。
あれから、何回かあの街に足を運んだ。
たまたまなんだろうか。それとも隆博はもうあのマンションには住んでいないんだろうか。いつ行っても留守だった。
歯がゆい思いを抱えたまま夏が終わった。すぐに秋は早足でやって来て、朝晩は澄んだ空気が辺り一面に漂うようになっていた。
そしてそれもつかの間、あっという間に秋は深まり、街の街路樹も知らないうちに色とりどりの葉色をまとい、それもちらほらと枯れては落ち、通りを埋め尽くすようになっていた。
月日が過ぎるのは早い。
絵梨香も順調にやっているらしく、渡米したばかりの頃は、メールも電話もしょっちゅうだったが、最近はこちらが心配になって電話をしても、忙しいらしく、ろくな返事も返してもらえやしない。
そうすると、寂しい思いはつのるばかりだ。
仕事は相変わらず忙しい。仕事が終わってからの同僚との飲み会や、接待。休日もジェリーやエリンが家に呼んでくれる。食事やスポーツ観戦。それはそれで楽しいひとときなんだが。
ふと思いついて、最近はずっと遠ざかっていた山へ時折入るようになっていた。都心から近い奥多摩や奥秩父の山を歩く。山に登ったり、釣りに出かけたり・・。
昔、隆司叔父と一緒に過ごした休日。そうやって自然の中に入ることが好きだった。結婚して、絵梨香が産まれて、ずっと長い間、そんな休日を過ごすことから遠ざかっていた。
ひとりで山に入るのはいい。街中をひとりで過ごすのは、ひどく孤独を感じる。
だけど、誰もいない、人っこひとりいない山中で、自然と対峙して時が過ぎるのにまかせるのは、まるで母親の懐の内にいるが如く、安心してゆったりとした気持ちになる。同じ孤独でも、自然の中のひとりがいい。大きな一枚岩のてっぺんに座って下界を眺める。雲の動きや風の流れ、そんなものに神経を集中させると時が止まったかのようだ。
実際の日々忙しく動き回っている日常から、遠く遠くにやってきたような気がしてとても気分がいい。
現実逃避かな?
まあ、それもいい・・。
今度の休日はどの山へ入るか、山のリストを頭の中であげながら、翌日の会議に使う資料をPCに打ち込んでいると、内線が鳴った。
〝水木課長、外線が入っています。〟
返事をして電話を取ると、
〝すみません。お仕事中。高橋と申しますが。〟
(高橋?)
聞き覚えのない名前だった。同年輩と思わしき女性の声だが。
〝失礼ですが、どちらの高橋様で?〟
聞き返すと、
〝あ、堀江の家内です。元・・ですが。今は高橋です。高橋レナと言います。〟
受話器の向こうで、笑みを含んだ声がした。
(隆博の奥さん?)
思いがけない相手にびっくりして、思わず受話器を落としかけた。
「あ、これは・・・どうも。」
しどろもどろになった。何を話していいかわからない。彼女が何故俺に電話をかけてきたのか、その意図が全く想像つかないからだ。
「今、お話しても大丈夫かしら?」
「・・ええ、どうぞ。」
「名刺では、こちらの番号しかわかりませんでしたので。」
彼女は続けた。
(名刺?)
「名刺って?」
聞き返すと、
「隆博のマンションに行きましたの。そうしたら水木さんの名刺が挟んであったので。」
そうだ。ドアの所にメモを残すつもりで、名刺の裏にメッセージを書いて挟んでおいた。連絡が欲しいと。
「失礼ですが、隆博と連絡が取れないのでは?」
「ええ、その通りです。」
「やっぱり。差し出がましいかとは思ったのですが、彼の居場所を教えて差し上げようかと思いまして。」
何という申し出。しかも元妻から。思いがけない展開に胸の鼓動が早くなるのを感じた。が、彼女はどこまで知っているのだろう。電話をかけてきてくれたのは、隆博が彼女に俺の話をしているからだろうとは思った。
「ありがとうございます。彼と連絡が取れなくて困っていました。申し遅れました。水木悟と申します。彼とは大学が一緒で・・・」
俺の言葉を、彼女の可愛らしい小さな笑い声が遮った。
「ごめんなさい。あの、隆博から聞いています。あなたのことは。」
「あ、そうなんですか。」
また、しどろもどろになる。完全に彼女のペースだ。
「彼と離婚して一年程経ちますが、今も時々会って食事をしたりしているんですよ。」
受話器の向こうの彼女の声は明るい。
「そうなんですか。」
「もうすぐ娘が亡くなって7年になります。法要を営まなければならないので、その相談をしようと隆博に連絡を取ったら、今こちらにいないって言うから、どうしたのか聞いたら、あなたのことを話しました。そして水木さんの娘さんの事も。」
「そうですか。」
「あ、でも離婚する少し前に、あなたのことは聞いていましたの。だから、あまり気を使わないで下さい。」
(気を使わないで・・というのも変ですか?何て言ったらいいのかわからなくて。)
ちょっと私、緊張してますので。
と、彼女はまた小さな声で笑った。
人懐こい感じのする可愛らしい人だと思った。
彼女は、いろんなことは聞いて知っているから、気を使わず話しましょうと伝えたかったようで、彼女の心遣いが嬉しく、気が楽になった。




