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彼の娘  作者: 大島 有
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10話 出発

1週間後。

空港の見送りのゲートで俺は手を振っていた。

絵梨香と乃理子に。

ふたりは以前のように仲良さそうに、でもどことなく、お互い少しの緊張をまとい、ふたりで並んでゲートの奥へと消えていった。

急な仕事の都合で、絵梨香と一緒に渡米することが出来なくなってしまったのだ。

「困ったなあ。」

とつぶやく俺に、

「ママと行くわ。」

絵梨香がつぶやいた。

前もって予定していたような言い方だった。

「ママと?」


あの日。先に帰ってきた俺は、家で絵梨香の帰りを待っていた。夕方になって電話が入り、ママと食事してくるから。

そう言って一方的に切れた。帰ってくるのを待ちうけて、

どうだった?

と聞くと、

うん、まあまあ。

などと、的を得ない返事をしてそのままシャワーを浴びに浴室へ消えていった。

気にはなったが、帰ってきた絵梨香の顔からは、何とか母親と意思の疎通があったんだろうと予測できたので、そのままにしておいた。

その翌日、急な仕事で休暇とれなくなってしまった。

困り果てていた俺に絵梨香がそう言ったので、

「ママがそう言ったのか?」

と聞くと、

ううん。

と首を振るので、

じゃあ、だめだな。

と言ってはみたものの、急にこんなこと他に頼めそうな人が思い当たらなかったので、乃理子に電話してみた。

すると、ふたつ返事でOKだと言った。

向こうのご主人には絵梨香のことは容認してもらっているので話は早い。

向こうには隆司叔父がいるが、いろんな手続きや細々とした買い物などもあり、手間のかかることはお願いするのもためらいがあり、その点、母親の乃理子が一緒に行ってくれるならとても助かると胸をなでおろした。


ただ、親子関係は修復できたのだろうか?あれだけ、乃理子のことを避けていた絵梨香の急な心境の変化はどうしたというのだろう。そのことを聞いてみても、詳しいことを彼女は話そうとしなかった。いつか、そんな話も出来る日が来るんだろうか。とりあえず、母親と和解してくれた事は、長年、胸につかえていたものが取れたようで、本当にほっとし、乃理子と絵梨香に感謝するばかりだった。


ゲートの奥の方へ消えていく娘の背中を見ながら、

〝今度はいつ会えるんだろう。〟

〝ちゃんと学校へ行けるだろうか。〟

寂しさと不安が入り混じった複雑な心境に鼻の奥が痛くなった。

その後、デッキで彼女たちが乗った飛行機をぼんやり目で追いながら、絵梨香が小学校に上がったばかりの時のことを思い出していた。


あれはどこだっただろう?

水族館だったか、どこかへ遊びに行った時に、いつもなら俺か乃理子のどちらかと手を繋いで歩いていた絵梨香が、ひとりで行くのだと、コンクリートの回廊が続く道をひとりでどんどん歩いていった。

人込みもあり、

「手を繋がないとダメ。」

という乃理子の声を無視して、初めていく場所にはしゃいだ彼女は小走りに先を歩いていった。

すると、どこかが水で濡れていたのだろう。確か近くに噴水があった。

彼女は思いっきり転び、ひざをいやというほどコンクリートの床に打ちつけた。

はっとし、急いで絵梨香を抱き起こそうと、側へ走り寄るより早く、彼女は立ち上がり、いつもだったら大泣きをするのをぐっとこらえ、涙を目に浮かべながら口を真一文字に結び、スカートについた埃を手で払った。

ほんとちょっと前だったら、大泣きし、

「パパ。」って助けを求めるのに。

ひとりで立ち上がり、泣くのをこらえて。

いつの間にお前はそんなふうに成長したのだろう。

それを思うと、絵梨香がけなげで可愛くて、愛しくてたまらなかった。

助けに行こうとする俺を乃理子が手で制した。ひとりで立ち上がろうとする娘をそっとふたりで見守った。

その時のことを思い出した。


手を出したい。けど、こらえて子供の成長を見守る。

どこかで寂しく、どこかで嬉しく、そしてせつない。

あの時転んでも泣きもせず立ち上がった幼い絵梨香の姿と、ゲートに消えていく絵梨香の姿が重なった。

その日は、なんだか絵梨香に置いていかれてしまったような心寂しい気持ちが消えずに1日が終わった。


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