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彼の娘  作者: 大島 有
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19話 僕は一緒に行くことが出来ない

「おはよう。」

キッチンへ入っていくと、

珍しい。

もう、絵梨香は起きていて、長い黒髪を後ろでひとつに結び、これまた珍しくエプロンなんぞをし、スクランブルエッグを作っている最中だった。

「珍しい。」

手元を覗き込むようにして呟くと、

「あら、そうかしら。」

鼻歌なんぞを歌いながら上機嫌だ。

俺とふたりだとこんなふうじゃないのに。

普段は朝食を食べないと知っているので、彼女が朝食を俺のために作ることはまずない。

ということは・・・。

「お客さんがいると違うな。」

「パパもおこぼれに預かれていいじゃない。」

などと可愛くないことを抜かす。


つけ合せのプチトマトのへたを取ったり、グラスを取り出してみたり、キッチンをうろうろしていると、

「じゃまよ。パパ。ここはいいから隆博さんを起こしてきて。」

イラついたように絵梨香が言うので、キッチンを退散して彼を起こしに行く。

(珍しいな。いつも朝早いのに。)

俺たちより寝坊するなんてやつにしては珍しい、旅行でよっぽど疲れたかな、寝かしておいてやりたいけど、今日はあいつも仕事があるから帰らないといけないと言っていたからなあ。

などと思いながら、一番奥にある客間のドアをノックする。

返事がない。


「おい、開けるぞ。」

部屋に入るとベッドはもぬけの殻だった。

一瞬、背中に冷水を浴びせられたような気がした。

荷物もない。

いったい?

足早に部屋を出て、玄関へ向かう。

靴がない。

確認すると、また部屋へ戻る。

急ぎ足で家の中を移動している俺を見て、

「パパ、何してるの?家の中を走り回らないで。」

絵梨香が怒鳴った。

部屋へもう一度入ると、ベッドの上に白い封書が置いてあるのが、目に入った。

ひったくるようにして乱暴に封を切ると、見慣れたあいつの文字が目に飛び込んできた。

(ごめん。悟。僕は一緒に行く事が出来ない。)

最初の一行。

すべて察した。

まさか、出した結論がこれか。

昨日の夜中、俺の寝室へ来た彼。

そうか。だから。

急に怒りがわいてきた。

だからって、何で黙って・・。


「何でだ!」

俺の様子をいぶかしげに思って、部屋へ飛び込んできた絵梨香が、

「パパ。どうしたの。」

片づいた部屋。隆博が去った事を知った彼女が、

「パパ、どうして?何も言わずに・・。何で?」

絵梨香の言葉が涙声になるのを聞いて、何かが胸の中でぷちっと音を立てて切れた。

すがるようにして俺の腕を取った絵梨香の腕を解いた。乱暴に。

「あっちへ行っててくれ!」

絵梨香は声をあげて泣き出した。


(ごめん。悟。僕は一緒に行く事ができない。黙って帰ることを許してくれ。

本当は絵梨香ちゃんにも、滞在中のお礼をしたかったんだけど、朝起きて彼女の顔を見たら、ますます別れることが辛くなりそうだから。

何も言わずに帰ることを許して欲しいと伝えてくれ。


「東京へ出て来い」といわれた事に、短い時間だったけど真剣に考えた。

悟のことが好きだ。絵梨香ちゃんも可愛い。

思いもかけず再会できて、とても嬉しかった。

この17年間の間で、一度だけ偶然会えたことがあるね。

本当はずっと思っていた。忘れたことなんてなかったよ。

だけど、離れていた時間の方がどれだけ長かったか。

会うことにすごくためらいがあった。

それを絵梨香ちゃんが後押ししてくれて、そのことに対して非常に感謝している。

絵梨香ちゃんが僕たちの事を考えてくれて、一生懸命になってくれたこともすごく嬉しい。

だけど、自分の中でどうしても克服できていない事がある。

絵梨香ちゃんの顔を見れば見るほど、和可の事を思い出してしまう。

和可を置いて、自分だけ幸せになることをためらう。

今もあの子は10歳の姿のままで、僕の中に生き続けている。

どこかで、あの子の死に折り合いをつけるべきだということはよくわかっている。

悟に言われた事もほんとによくわかっているつもりだ。

だけど、自分の中でまだ答えが出ていない。


それと、もうひとつ。

今後、悟と一緒にいることが、絵梨香ちゃんにどういう影響を与えるのか、皆目わからないし、それによって彼女に迷惑をかけることだけは避けたい。

まだ、彼女はこれから人生が開けてくるのだし、その時に僕の事が彼女の足かせになったり、何かの不具合になってはいけないと思っている。

結局どういう形にしろ、彼女から母親を奪った一因は僕にもあると、その罪悪感もあって、絵梨香ちゃんの『パパになって欲しい。』僕を同じように家族として、自分の父親のパートナーとして、認めて迎え入れたいという彼女の優しさを素直に受け取る事が出来ない。

彼女の心の中にも、複雑な思いがあるに違いないし。

初めて会ったときに言われた言葉、

〝私たち家族がばらばらになっちゃったのは、隆博さんのせいなのよ。〟

僕はそれをまだ肝に銘じている。忘れたわけじゃない。そのとおりだから。


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