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彼の娘  作者: 大島 有
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18話 もうひとりのパパ

「・・隆博。」

「ん?」

通り過ぎる人並みを楽しそうに眺めているやつの横顔に声をかける。

あいつは視線を動かそうとしない。

「一緒に暮らさないか。東京へ出てこないか。」

息が止まった。

いや、息を止めたのはあいつの方だった。

目の動きが止まった。ぜんまいじかけの人形のように、目の動きをぴたっと止めたかと思うと、前方の人並みに視線をじっと固定したまま、ほんとに小さく、かすかに息を吐いた。そして、ゆっくり横に座る俺に視線を動かした。

「・・・。」

一言も発しない。口を開くのを待った。その待っている間。息が止まりそうだ。

今まで見たこともない真剣な表情で、それでもどこか意識は違うところへ飛んでいるような何とも表現しがたい顔で、数秒俺の顔をじっと見た。そして、ゆっくり前方へ視線を戻して目を伏せた。

じっと考えるようにして、ゆっくりと言葉を選んで俺にこう言った。


「・・・昨日、絵梨香ちゃんに言われた。」

「昨日?」

「散歩に行っただろ。」

ああ、だいぶ帰りが遅かったので、いぶかしげに思っていた。

ふたりで何を話をしていたのか。

心臓が早鐘のようになっている。

落ちつこうと大きく深呼吸をしながら、

「何て?」

「私のもうひとりのパパになって。そう、彼女は。」

俺が聞くのが早いか、早口で隆博はそう答えた。

真向かいに顔を見合わせた。

泣きそうな顔をした。

どういう意味だ?

何故そんな顔をする?

「それって・・・。」

どういう意味なんだ?

聞こうとしたところへ、後方から絵梨香の声がした。

「パパ。」

聞くタイミングを失った。


後方を振り返ると、小さな包みを手にした絵梨香が、裕樹と一緒にこちらへ歩いてくるのが見えた。

「出来た?」

隆博が立ち上がって2人を迎える。

いつもの隆博だ。

その表情からは、先程まで深刻な話をしていたふうには見えない。

「これ見て。」

絵梨香は嬉しそうに包みを開けて体験で作り上げた和菓子を見せてくれた。

紅葉と、松の形をしたあんきりだ。

「上手に出来たね。」

隆博に褒められると、嬉しそうにまた笑顔を見せた。


それから、俺たちは裕樹と別れて夕方の新幹線に乗り、家路を辿る。

新幹線の中では、絵梨香が女王様だ。

さっさと駅弁をたいらげては、ワゴン車が通りかかると、アイスクリームやジュースをねだり、それに飽きると、俺たちを巻き込んで、トランプをしたり、ゲームに興じたり。

「もう俺はいやだよ。」

何回目かのポーカーゲームの後、トランプの札を放り投げようとすると、

「だめ、もう一回よ。」

無理やりまたゲームに参加させられる。

それを嫌そうな顔もせずに、根気よく彼女につき合っている隆博を見て、やつは本当に気が長いなあと、感心する。

結局、先程の話は中途で終わり。

絵梨香と一緒だと、あれ以上聞くことも出来ず、どうしようかと思うだけで、時間が過ぎていく。


夜中。

家へ辿り着いたのは12時を過ぎていた。

荷物の片づけは明日にしようと言い、それぞれ寝室で眠りに着く。

寝つかれなくて、何度か寝返りを打った。

枕元の目覚まし時計を何度か確認した。

時計の針が2時を回ったのを、薄暗いサイドランプの明かりで見る。

それからも、眠っているのか、起きているのかわからないような浅い眠りをむさぼるようにして、時を過ごす。

ふと、枕元に人の気配を感じた。


(誰?)

暗闇の中、ぼんやりとした視界の中に人が枕元に立っているのが見えた。

(夢かな)

夢か現実かよくわからない。

その人影は自分のすぐ側まで寄ってきて、枕元に顔を寄せる。

髪の毛が自分の額に触れるのを感じる。

その人物は俺の顔を息がかかるくらいの距離で、じっと見つめている。

それが気配でわかる。

かすかに呼吸の音がする。

息遣いがすぐ耳元で聞こえる。

目を開けてその人物を確かめようとするのだが、目が開かない。

もどかしい。夢を見ているのだろうか。

ひんやりとした冷たい手が首筋を触る。

その手を取ろうとするのだが、体が鉛のように重くいうことを聞かない。

声が聞こえる。ほんとかすかに。

その声を聞こうと耳に全神経を集中させる。

(悟・・)

耳元で、かすかに自分を呼ぶ声を聞き取った。

隆博の声だ。

彼は、自分の唇に触れる。

羽のように触れる。

そっと、柔らかい唇の感触がした。

(どうした?)

彼がセックスを求めているのかと思った。

手を取ろうとした。

その肩を引き寄せようとした。

が、自分の腕も手も宙をかくだけで、その実態に触れることが出来なかった。

何度も夢か現実かわからない空間の中で、同じことを繰り返した。

だけど、その実態は霧のように消えてしまった。

何度試しても、もう触れることは出来なかった。


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