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第1‐21話 鬼にとって人など朝飯前


 アルキュスの言葉で男の意識も自然とそちらに向いてしまう。拳を振りかぶった体勢のまま、レギアスの方を向いた彼は、レギアスと視線を交錯させると同時に彼のことを見定めようと意識を巡らせた。


 だが、すぐに彼のことを下だと視ると不遜な気配を漂わせる。それでもマリアたちを相手にするよりは面白いと判断したのか、レギアスのことを見下ろしながら近寄っていく。


「このクソアマの師匠だぁ? このヒヒイロカネ級のバルデスさまとやり合おうってか?」


 高い身長を活かしてレギアスのことを見下ろすバルデス。見下すような視線をレギアスはじっと静かに見返す。


「それこそテメエがどこの誰だろうか知らねえが、新入り程度が俺とやり合おうなんて虫がいいと思わねえのか。魔道具の一つも身につけられねえような貧乏人が。おとなしく新入りは他のザコ共と一緒にどぶさらいでもやってろや」


 顎を上げて、見下すバルデス。そんな彼の物言いに腹を立てた周りの冒険者たちだったが、ぐっとこらえて甘んじた。ここで怒りをぶつけて矛先がこちらに向いたら。もしそんなことになれば彼らでは何人束になっても適わないのだ。それを彼の顔に浮かんでいる勇者印が示していた。


 自分の誇りである勇者印を見せつけるようにして胸を張りながら周りの者たちを見下すような態度を見せるバルデス。そんな彼の気配に周りの誰も何の反論もできなかった。たった一人を除いて。


「……フッ」


 鼻を鳴らして小さく口角を上げ、彼のことをあざ笑うかのような笑みを見せたレギアス。当然バルデスにもそれは届く。


「あ? テメエなに笑ってんだ?」


 バカにされたことを理解した彼は脳内で浮かんだ言葉を具現化するように声を漏らす。


「いや何……。どんなに強く振舞ったところで、どんなに強い装備を身に着けたところで、強い存在にはなれないのになと思ってな」

 

 その瞬間、その言葉の意味を理解した人間たちの緊張感が跳ね上がった。


「あ? それどういう――」


 意味を理解できなかったバルデスが聞き返そうとしたその時、矢継ぎ早にレギアスが続けて言葉を発する。


「それともお前の強者の基準は下級冒険者だってことか? そんなんじゃテメエの強さも知れたもんだ。喧嘩の仕方も知らねえお坊ちゃまみたいだしな。せいぜいお山の大将やってふんぞり返って気持ちよくなってろ」


 彼を嘲笑うかのように首を傾け、ニヤついた笑みを添えながら言葉をかけたレギアス。ここまで言われればその言葉の意味を掴めるというもの。ナメられているのだと理解したバルデスの怒りは一瞬で沸点まで到達する。ビキリと額に青筋を立てると勢いよく拳を振りかぶった。 


 手加減など一切ない、本気の拳。当たればまず間違いなく骨が折れ、最悪身体の中がスクランブルエッグになる。もちろんバルデスはそのつもりで行動したし、拳に籠る殺意は紛れもなく本物だった。


 だが、彼が振りかぶった拳は放たれる間もないまま、一瞬のうちに弾かれてしまった。当然弾いたのはレギアス。彼は振りかぶった拳の打ち始め、それより先を抑えることで彼の攻撃を先んじて防いだのだ。


 何が起こったのか分からずに混乱した素振りを見せるバルデス。そんな彼にレギアスはさらに言葉をかけた。


「ああいい。皆まで言わんでも状況は大体予想がつく。子供に何かされたから弁償しろとかそんな類だろう。エセの金持ちや強者のよく言うことだ。だがどうせ子供には払えない額を吹っ掛けてるんだろ? だったら俺が代わりに払ってやる」


 そういうと彼は親指で自分の胸元を指した。


「ここに入ってる。とってみろ最上級冒険者さんよ」


 ナメられただけでなく、挑発までされた。ここまでされて黙っていられるほどバルデスの気は長くない。再び勢いよく振りかぶった彼は拳を顔面目掛けて振るった。


 しかし、彼の拳はレギアスにとってあまりに大振りで見切り易すぎた。あっけなく捌かれると膝関節に蹴りが入る。その衝撃で体勢を崩したバルデス。だったが、防具の効果で痛みからすぐに解放されると矢継ぎ早に今度は足を取ろうと襲い掛かる。


 だが、全体重を乗せたタックルはひらりとバルデスの身体を踏み台代わりにされて躱される。その直後、バルデスの尻が軽く蹴られ体勢を崩した彼はつんのめって倒れこむ。


「力任せの大振りに、遮二無二突っ込むだけのタックル。これならまだ牛でも相手にしてる方が暇つぶしになるってもんだな」


 背後から侮蔑の言葉をかけられ、その言葉に血管が切れそうなほど激高するバルデスは跳ねるように振り返りながら立ち上がると再びレギアスに向かっていった。


 またタックルかと、レギアスがバリエーションのない攻撃に呆れていると彼の眼前に小石が迫った。


 あまりの怒りで逆に冷静さを取り戻したバルデスはこっそり小石を拾うとタックルと同時に彼の顔に向かって投げつけていた。その小石は危なげなく躱されてしまうが、その時一瞬レギアスの動きが止まる。


 そこに合わせてタックルを仕掛け、レギアスのことを捕まえようとするバルデス。二人の間にはそれなりに体格差が捕まればまず抑え込まれてしまうだろう。そこからはバルデスの料理次第でレギアスの今後が決まる。


「もらったァッ!?」


 ついにバルデスの諸手にレギアスが胸倉が収まってしまう。あとはバルデスが締めるだけでレギアスは完全に彼の手の内になる。そこからは思うがままだとバルデスは思わず歓喜の声を上げた。


 次の瞬間、バルデスの顎が跳ね上がった。捕まっても慌てなかったレギアスのアッパーが正確に顎を打ち上げたのだ。続いて跳ね上がったバルデスの顔に右ストレートが突き刺さる。その衝撃はレギアスのことを掴んでいた両手をうっかり離させてしまうほどであった。


「どうした。胸倉を掴むだけだったらお前が馬鹿にしたそこらの冒険者でも出来るぞ?」


 コンビネーションで魔の手から抜けたレギアスは、鼻を抑えて後退っているバルデスに追い打ちとして再び煽りの言葉をかける。


「……殺す」


 それに対するバルデスの返答は純粋な殺意であった。背中に携えていた戦槌を手に取ると、それを持ってレギアスを睨みつけた。


 ここから本気の殺し合いが始まるのか。野次馬の誰もが予想し、避難しようと動き始めたその時。それを止める第三者の声が響き渡った。


「何をしているお前たち!? 町中で武器を持ち出すなんて言語道断だぞ!!!」


 人垣を掻き分けて姿を現したのはゾルダーグ。慌てた様子でやってきた彼は戦っている二人を非難する声を上げ、さらに武器を持っているバルデスを鋭く警告する。


「バルデス! 貴様はまた暴力沙汰を起こしおって! 今度問題を起こしたら冒険者の活動停止だと忠告したはずだぞ!」


「うるせえぞジジイ! 俺は今こいつを叩きのめしたくて仕方ねえんだぞ!」


「反省する気はないってことだな! なら活動停止で決定だ! もしその間に問題を起こしたら冒険者の資格はく奪。そうなれば王都の勇者印持ちに追い回されることになることを覚悟して置けよ!」


 ゾルダーグの言葉で多少冷静になったバルデスは、怒りを自分の中で燻らせながらも、戦槌を下ろした。怒りのぶつける先を見失ってしまった彼は、怒りのままに歯をギリギリと鳴らすとその場を立ち去ろうと踵を返した。


「テメエ、夜道には気を付けろよ……」


「それはやめた方がいいな。夜道は人が少ない。襲われても助けてもらえないかもしれないぞ」


 最後の最後までレギアスはバルデスのことを煽り散らかす。彼の発言に腹を立てながらもバルデスはその場を去っていくのだった。


 その背中を見送るレギアス。その最中、彼はふと口を開く。


「おい、そこのお前。名前は?」


 彼が声をかけたのは今まで空気と化していたバルデスのお供の女であった。突然声を掛けられた彼女は戸惑いながらも彼の問いに答える。


「えっ? わ、私ですか? ひ、ヒナです……」


「そうか。覚えておくぞ」


 レギアスがそれだけ伝えるとヒナはバルデスを追って小走りでその場を去っていった。



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