第四話 家族への接し方と感情
そして日曜日。予定通り基晴はひとりで父の家に向かった。土日祝日関係なく仕事で忙しい母には直に「いってきます」とは言わず、タブレットからメッセージの送信をすると、母からの返信も「気をつけて」だけの素っ気ないものだった。
最寄りの地下鉄の駅で降りると、駅前には信晴の姿があった。
「わざわざ迎えに来てくれたのか?」
「〇時〇分に駅に着く」とメッセージを送ったのは信晴にだが、迎えに来てくれとは頼んでいない。
「買い物に行ってたから、そのついでだよ」
驚いた基晴が尋ねると、信晴は手に持った大きな袋を上げて見せた。母よりも父よりも、基晴にいちばん気を配っているのは兄の信晴の気がする。
入学祝いの食事の席でまず告げたのは、
「わしづか宇宙開発専門学校は自分に合っている」
という言葉だった。実際はまだ分からないが、あれこれ訊かれる前に安心させたくて。
「友達は出来たのか?」
「まだクラスメイトと少し話しただけ。でも、宇宙船操縦士が夢だ、って言ってた奴も居たよ。だから創成学園にも憧れてて。きっとアニキの事も、創成学園の学生なんて凄いひとだ、って言うよ」
「それは嬉しいけど、ちょっと照れるな」
笑いを交わす兄弟と同じテーブルで、黙々と食事していた父が箸を置き姿勢を正した。
「基晴が学校に馴染んでいるのは嬉しいが……信晴、お前が創成学園の学生、というだけで尊敬されるのは正しいのか?」
父の堅苦しい口調に信晴の笑みが消える。
「確か創成学園に入学した際の稲地信晴の目標は、20歳までにプロの宇宙船操縦士になる、そうしっかりと約束したはずだが」
あーぁ、また始まったか……話題を変えることも出来ず、基晴も黙り込む。
「信晴、お前は今年でもう19歳だ。流石に今年受からなければ、実力派プロ操縦士からまた一歩遠ざかるぞ。17歳や18歳の操縦士実習生も続々と増えているのだし」
そんな低年齢の操縦士試験合格者なんて居る訳ないだろ、基晴はそんな愚痴を心の中で零す。
宇宙船操士免許取得試験は最難関の国家資格とされ1回で合格する人間は数少ない。16歳から受験資格が得られるが、取得するのはいくら優秀な人間でも20歳から、と言われている。
地球上で宇宙船操縦士試験に受かっても仮免許のようなもので、実際に宇宙に出て操縦出来るのは地球上で最低一年間の実習を積んでからだ。そして実習後の地球から宇宙での実地試験に合格しないと、プロ操縦士とは呼ばれない。
「はい、頑張って次の試験では合格を目指します。昨年末の学内での模擬試験でもあと一歩でしたから」
説教にもめげずに信晴は父に真っ直ぐ向き合うが、逆に父はまた表情を顰めた。
「その一歩を進めないから駄目なのだろう。余裕ぶっていたら結果は以前と同じになり、創成学園での優秀な生徒陣と馴染めなくなるぞ」
苦々しい表情で攻め立てる父に、信晴の表情は段々と強張っていくが。
「それは確かですね。自分はその言葉を励みに、これから一段と気を引き締めます」
はきはきと父の説教に同意する。それに満足したのか、父もやっと笑顔で頷いた。
「日本の宇宙開発は1950年代、ロケット開発の父である糸川英夫大先生が始め。小型ロケットから始まった研究が徐々に大型化し、人工衛星を打ち上げるレベルに到達した頃は国も宇宙開発専門の機関を設置した……」
父は酒に酔うと説教は止めるが、日本の宇宙開発について延々と語り始める。幾度も訊いた宇宙開発理論にはもう飽きた基晴は、
「この家はホームヘルパーは雇ってないのか?」
食器洗い機にお椀を入れていく信晴の背中に向かって問い掛ける。
「いいや、頼んでるよ。でも来てもらう時間帯は決めたくて。夕食の後片付けと朝食は自分でやってるんだ」
勉強だけでなく家事も真面目にこなしてるんだな。そして頑固親父とふたり暮らしが出来るとは、人間関係も真面目なしっかり者だ。
「俺は今夜泊めてもらえるんだよね?」
「あぁ、構わんよ」
基晴が尋ねると、父は眠そうな声で答え、
「布団の用意は客間にしてあるから、必要な物があったらなんでも言えよ」
信晴は優しく笑うので、基晴は向かい合って口を開いた。
「話したい事があるんだ。出来ればアニキの部屋で」
真剣な口調になにかを察したのか、信晴は無言で頷いた。
「食事の席で話しただろ、操縦士を目指してるクラスメイトが居る、って」
信晴の部屋に入ると基晴はすぐに切り出す。
「実はそいつに、俺の兄が創成学園に通っている、って勢いで話したんだ」
申し訳なさそうに話すが、信晴は黙って穏やかに聞く。
「そしたら、やたらと会いたがって……今度会わせる、なんて言っちゃってさ」
基晴が口先を濁らすと、信晴は笑った。
「モトの友達なら、自分も会ってみたいな。この家で勉強会にしようか」
伊庭とはまだ友達ではないが。会わせると言ってしまった以上、実際に会わせないとうるさく付きまとわれそうだ。
「アニキも忙しいだろうし……顔見せるだけでいいよ、勉強会なんて」
綺麗に片付いた信晴の部屋は趣味や娯楽のものは一切置いておらず、まるで学者の研究室のようだ。
棚にぎっしり並べられた宇宙船操縦士ファイルのディスク、壁一面を覆う巨大なモニター……これは自宅でも講義動画を視聴するよう父が購入したのだろう……これらを見ると、信晴がいかに試験に向けての努力を積んでいるかが分かる。
少し暗くなった基晴は言うが、
「モト、ありがとうな。さっき父さんが言った俺への教えを気にしてるんだろ」
信晴は笑顔のまま頭をクシャっと撫でた。教えなんかじゃなく、あれはねちねちした小言だろう。
信晴が17歳で一番最初に受けた操縦士試験が不合格だったときは、父もまだ優しい目で見ていたが。二度目に落ちた時には心底残念そうに溜息を吐いて、少しずれたか、なんて呟いており。その次の試験で18歳になった信晴は、
「今回は受験せずに、しっかりと一から学び直したい」
自分からきっぱりと操縦士試験を辞退した。そのときの父はさっきの夕食の席で浴びせたような説教を長々としていたっけ。
「構わないよ、自分もモトと一緒に宇宙関連を学べるのは嬉しい」
一緒に学ぶと言ったって、レベルの低い人間に教えると、レベルの高い自身のペースを崩すんじゃないか? 心配するが信晴は楽しそうに言葉を続ける。
「父さんには話さないのか? モトが勉強会を開きたがってる、って言えば、ホームヘルパーに食事頼んだり、基本のテキスト用意したり、色々と協力してくれるぞ」
「あのひとは俺の進路には興味ないから」
明るい問いを避ける様に基晴は答えた。さっきも入学祝いの食事会のはずが、父からの言葉は基晴への励ましや教えより信晴への説教のほうが長かった。期待出来る人間にしか口を出さないのだろう。
「それなら、父さんが留守の日に呼べばいいか」
何故そんな風に考える、なんて問い掛けはせず、信晴は優しく話を終わらせた。




