第三十五話 残るか、戻るか
仲尾からのメテオラの説明への訂正を終えたからか、野宮と秦の口論があったからか、神岡は疲れた様子でこちらへやって来ると、信晴の目線にすっとタブレットを提示した。
「では稲地くん、今後もメテオラについて質問があれば、まずは自分達に訊いて下さい。そのために、自分とも個人で連絡先を交換して貰えれば助かります」
下から目線で丁寧に頼まれた信晴は、あたふたとタブレットを取り出した。他の二人とは交換せずとも良いのか? そんな疑問からちらりと見たが、野宮も秦もそんな様子は見せていない。
メテオラについての質問、か。
まず宇宙船操縦士から興味を失くした自分は何をすればいいのだろう?
だから新しい宇宙開発を考える気持ちなど無いし、過激団体に入りたかった訳でも無い。ただ遠くのスペースコロニーに逃げたかっただけだ。
このまま地球上で過ごしていたら、自分に将来を押し付ける父親を殺していたかもしれない、そんな不安に襲われたせいだ。
そして創成学園に休学届を出した際、何故か学園内に居た櫻川亜希を頼ったんだ。
タブレットで神岡と連絡先を交換しながら、信晴はぼんやりとそんな疑問を考えていた。
「おーい、説明会終わった?」
気配も無くいきなり響いた質問の声に驚くと、野宮がのんびりと答える。
「終わったよ~。よかったよかった、今日の彼はしっかりしてて。秦からの嫌味にも動じなかったし」
流石に秦が野宮を睨み付けたが、問い掛けた人物は嬉しそうに微笑む。そして鞄から何本かのペットボトルを取り出し机に置いた。
「それはよかった。じゃあみんなでこれ飲んでよ。安心して、アルコールじゃないからさ」
「ありがとう、ございます……櫻川さん」
礼を言った信晴はおずおずとペットボトルに手を伸ばす。
突然の参加者は櫻川亜希だった。彼はメテオラのリーダーなのだし、管理委員会の中に居てもおかしくないのだが。
「でもさ、嫌味、ってどんなの?」
「創成学園に戻るか、とかなんとか。でも彼がしつこく言われる前に、自分が秦を止めたから」
「それならよかった。いつもありがとう」
のほほんと野宮と会話を交わす櫻川の姿は、宇宙への目的から人々を集め活動団体を始めたり、そのために敷地となるスペースコロニーから設備を整えたり、そういう大それた事をする人物は良くも悪くも見えない。
「おい、亜希! 新入りはあいつに会わせるな、っていつも言ってるだろうが!」
すると野宮と櫻川の間に秦がぐいっと割り込んだ。あいつ、とはあのひとの事だろう。
「だって会いたがるから」
「そしたらしっかり断れ! 一応お前がリーダーだろうが!」
「でもいきなり『貴方の精神をしっかり伝えます』なんて、あいつから心を込めて言われると、つい頷くぞ?」
いままで溜め込んでいた怒りを一気に吐き出す秦に櫻川は困惑するが。
「でもなぁ、まずは俺達から説明させろよ。今回の奴はまだ聞き分け良くて助かったが。あいつから馬鹿な主張を聞かされた後だと、面倒臭くなる奴の方が多いんだからな」
秦は苛々と想いをぶつけるのを止めない。
「でもさ、お前もあのひとに何か言ったんだろ? それで嫌な気分にさせたなら、あいつと似たようなもんじゃん」
ふたりの口論に信晴の話題が持ち出されて少し引く。「嫌味なんかありませんでした」とでも言うべきか? そう戸惑っていると。
「すまないね、稲地くん」
「いえ、こちらこそ……あの、あいつ、って仲尾さんのことですか?」
小声で謝られた信晴も小声で尋ねると、神岡は笑って頷いた。
「最初に仲尾の主張を本気にした人が自分達の説明を聞いたら、あまりの思考の差にがっかりしたり、逆に安全な団体だと知って泣き出したりもあったからね。でもまず稲地くんは最初から、日本の宇宙開発が憎い! 独立戦争を起こしてやる! なんて思考に燃えてはなかっただろう?」
冗談交じりで親し気に問う神岡に、信晴もほっとして微笑んだ。
ここに集う人達は、どこか安心出来る。櫻川ともすぐに親しくなれたが、神岡も野宮も、そして櫻川を叱り付けた秦も。活動家団体の管理委員というか、サークル活動で集まる親しい人々みたいだ。
「そんな事よりも、まずは本題言わないと」
まだ怒りを見せている秦を振り切って、櫻川は信晴に向き合う。
「きみはここに居る? それとも地球に戻る?」
その質問には、さっき聞いた本当のメテオラの内容も信じて。
「自分はこの場所に居たいです。地球には戻りたくありません」
信晴はきっぱりと宣言した。
「それじゃあここのメンバーってことで」
あっさりと櫻川は認めてくれたが。思わず信晴は不安の声を荒げた。
「でも、自分は何にも出来ませんよ? それでも参加していいんですか?」
すると、櫻川はきょとん、と信晴の顔を見つめると。
「俺も何も出来ないよ、だからここに居る人達を誘ったんだ」
そう言いながら周囲に居る三人をざっと指差す。このひとは俺を慰めてくれているのか? そう思った信晴に声を掛けたのは野宮だった。
「亜希はプロ宇宙船操縦士の資格は持ってるけど、それで働いてた訳じゃあないし。それは私も同じです。地球での宇宙船操縦士、って仕事がやり難くなってここに居るの」
私も逃げて来た、なんて言っていたが、尊敬されている操縦士になっても逃げる心理が信晴には分からなかった。
仕事で失敗した、なんて話も聞かないし。むしろ櫻川については、超人的な噂しか聞いていない。
「そうそう、地球から逃げるため、バカ高いスペースコロニー買ったんだし」
だがそんな噂とは違う櫻川は、軽い調子で喋る。
「スペースコロニーや宇宙船買ってから、俺ひとりだと宇宙へは行けない、なんてのも気付いてさ。だから色んな人達を集めたんだ」
そしてまた櫻川は、信晴の眼を見つめると。
「だからきみもここで何か手伝ってよ。掃除、洗濯、料理……退屈ならスポーツやってる集団も居るし、勉強したくなったらしてもいいし」
そしてまた信晴の肩を、ぽん、と叩いて。ますますサークル活動の先輩後輩のような雰囲気になってきた。




