第三十一話 誰かからの指示
それから一週間ほど、基晴はアトモスフィアで暮らしていた。
だいぶ馴染んできて、東宮以外の人々とも会話を交わし、簡単な掃除など入居者としての務めも出来るようになっていた。
しかし、ある日の放課後。
「きみの親御さんが来ているので、校長室まで来てください」
担任に言われたとき、基晴はそこまで驚きはしなかった。母に家出を叱られる覚悟は出来ていたから。だけど連絡もせず学校に乗り込んでくるなんて、母もよほど混乱しているのだろう。
緊張しながら職員室に入った基晴の眼に、穏やかな校長先生の姿が移った。
「はい、天城くん。きみの親御さんは部屋に居ますが。私も一緒に話していいですか?」
最初になんと言われるのか怯えていると分かってくれたのか。ほっとした基晴の心は、以前に校長先生と仲良く接していた美濃島と重なった。
校長先生が奥の扉を開けると、椅子から女性が立ち上がったが。その容姿に基晴は緊張感が抜けた。
自分の母ではなく、見ず知らずの女性だったから。
そしてひとりの男性も立ち上がった。
「……父さん?」
予想とは全く違った展開に、疑問を交えて基晴は呼ぶが。父が答える前に、謎の女性が基晴の傍へやって来ると。
「初めまして。稲地晴義さんの秘書を務めております」
タブレットから名刺を渡された。そこには須藤、文香と書いてある。だがその名前も、見たことも聞いたこともない。
「はい、えっと……はじめまして」
秘書と言われても、どうして一緒に来てるんだ? それよりも何故、父が基晴の学校にやって来たんだ? 基晴の心には沸々と疑問が湧いて来た。
呆然とする基晴の前で、須藤、という女性が目配せをすると。
「おまえはしばらく、自分の家で暮らせ」
基晴の顔を見た父がきっぱりと命じた。
「信晴の居所を調べていたら、母親も息子を探していると分かった。家に基晴をひとり置き去りにして」
居所を調べる? このひとにぶつけた言葉通り、本当に兄さんは家を出たのか? 基晴がなにも言えずにいると、父は険しい表情で続ける。
「とんでもない話だ、基晴はまだ高校生なのに、知人の家に泊まっているんだって? 今夜から自宅に来い。でなければ、ずっと赤の他人にも迷惑を掛ける」
自分が居るのは困っている未成年を助けるシェアハウス、そう言おうかとも考えたが、どう主張しても同じだろう。
「そしたら俺は、自宅に戻る……母さんは居なくとも暮らせます。場所も物もあります」
いきなり訪れて自分自身の意思をぶつけるひとに、基晴は父に対する口調ではなく、自然と敬語になっていく。
「ひとりにさせるのが心配だ。おまえは兄に憧れているからな……あいつの行動に惹かれて、おまえまで同じ場所に行ったらと思うと……」
「兄さんはどこに居るんですか?」
困惑していた基晴も、その言葉には反応した。だが父は黙り込み。するとまた、ふたりの間に須藤が割って入ってきた。
「お父さんが息子さんを想う気持ちは当然です。あまり反抗せず、素直にお父さんを頼るべきでしょう」
駄目な子供ね、のような表情をして言うが、なんで秘書の女性がそれを言うんだ。
それに血の繋がった兄弟でも、もう信晴と基晴は別々の家庭の人間、それは幼い頃から分かっていた。それなのにどうして、基晴の母が信晴を探して追って、信晴の父が基晴にあれこれ指示しているんだ。両方とも自分の息子は放って置いて。
心の中は疑問で膨れ上がっていたが、それを口に出すことは出来ずにいると。
「天城くんも座りなさい。きみが来る前に、稲地さんとは私も少し話したので」
校長先生の言葉にびくりとして、椅子を出して座ると。
「稲地さん、確かに彼はまだ子どもですが、保護したいのは我々も一緒」
基晴でなく父に語り掛ける。このひとも自分に、子どもは父親を頼って一緒に暮らしなさい、なんて諭すのか?
「あなたが調べたら、彼の母親から金銭の振り込みはある。彼はひとりで生活出来るんです。そして彼自身が、ひとりでも暮らす、と主張している。それなのに、自分の家で暮らせ、なんて脅すあなたから保護します」
そんな言葉にはぎょっとした。優しく争いを嫌いそうなひとが、いきなり強気な姿勢に出たから。
父はいつものように、ふぅ、と苛立ちを押さえる溜息を吐いて。
「やはり校長といっても、小さな専門学校の人間だな……基晴までMeteorに加わったらどうするんですか」
メテオラ? それはなんだろう。
「そのときは私が話し合います。もうお帰り下さい」
堂々とした校長先生の態度に、父はぐっと反論の言葉を飲み込んで。そして基晴にはなにも言わずに去って行った。
「ありがとう、ございました……あとは、ごめんなさい」
去り際に父がわしづか学校や校長先生を侮辱する発言をした、それに恥ずかしくなり頭を下げると。
「きみが謝ることはない。稲地さんも息子を想う気持ちは本当だろうし、悪人ではありません。でも、その気持ちできみが苦労するなら、私は生徒の心を尊重し、困る生徒を助けます」
穏やかに諭す言葉に、そろそろと上目遣いで校長先生を見ると。その嘘偽りの無い表情にほっとした。
しかし迷惑を掛けたことは申し訳なく、メテオラ、とはなんですか、と尋ねることは出来なかった。
「話し合いは終わった? もし大丈夫なら、研究会の場所に来て下さい」
タブレットを開くと、高浦からのメッセージが入っていて。基晴は地下倉庫に向かうと、集まっていた皆に一連の流れを語った。
「流石は義秀さん。普段はのほほんとしてるのに、いざって時には強く頼れる、まさにヒーローだな」
目を輝かせる美濃島に、義秀さん? と皆が不思議そうな顔を見せると。
「わしづかの校長先生。それで、俺の恩人でもあるんだ」
美濃島の言葉に、それ以上は誰もなにも訊かなかった。折尾先生の元での説明から、複雑な経歴ということは知ったから。その場に居なかった矢郷や椛島も、きっと東宮から話を聞いたのだろう。
「秘書まで連れて来るなんて、変なひとだね」
東宮にきっぱりと言われて、気まずくなり俯くと。
「おい、東宮。親父が変だからこいつが困ったんだろ。親のことで子どもに嫌味言うなよ」
言い返したのは、意外にも椛島だった。他の皆にもそうだが、こいつからの優しい態度は初めてだ。
「親が変って言ったんじゃなくて、今日来たひとが変、って言ったんだけど」
「東宮くん、そのひとが天城くんの父親なんだから……両親の離婚後も、月に一度は会っていた、って言うし」
「……そうなんだ、ごめん」
高浦からの助言に少し考えて、東宮は真面目に謝る。こいつは、自分は血の繋がった親子関係がよく分からない、なんて言っていたもんな。
「いや、俺も変だなって思ったし……あのひとを父親とも思えない。兄さんはあのひとに育てられたけど、あのひとは俺を育ててはいなかった」
基晴は曖昧に想いを語る。いままで誰にも話してはいなかったが、ずっと溜め込んでいた本音だ。




