第二十七話 将来の夢と悪夢
宇宙開発反対運動は世界中で起こり、日本にもそんな活動団体があるのは克洋も知っていた。創成学園で教えた講師は「未来を否定する愚かな人間の集まり」なんて言ってたっけ。
だけど、操縦士資格の廃止運動なんていうのは初めて聞いた。
女性の訴えは言葉だけではなかった。角は一旦立ち上がり、巨大なノートパソコンをどこかから持ってくると、克洋と母に画面を向ける。
「日本政府は宇宙開発の若者の育成を掲げていますが、現状の宇宙船操縦士試験でどれだけの能力が身に付くか? 国民達にそれをしっかりと説明しているのでしょうか」
ノートパソコンの画面からは、宇宙船事故、宇宙での健康被害、諸外国の宇宙戦争……様々な恐ろしい映像が移り変わり。
「未熟な有人宇宙機に未熟な人間を乗せること、それがどんなに危険か……まだ前途ある若者に、まだまだ危険性の高い業務を任せるという方針について、よく考えて欲しいのです」
角の熱心な口調はどんどん温度を増して。彼女に聞かされる言葉や見せられた資料から、逆に克洋は寒気がしてきた。
「私達は日本の若者に安全な将来を与えたい……宇宙船操縦士資格を日本から廃止させましょう!」
高らかに演説を終えた角に、克洋の心臓は高鳴る。
本当に、日本での操縦士資格はこれから廃止されるのか? そうなれば、創成学園で操縦士を目指して努力している人々はどうしたらいいのだろう。
そして、既に操縦士資格を取得した克洋も、いったいどうすればいいのだろう。
頭の中に疑問はどんどん出てきたが、何も訊けずにいると。
「幼い好奇心や向上心から地球を離れても、そこにあるのは危険な空間です。そこに貴方は行きたいのですか?」
いきなり角から問い掛けられた。しかし、幼い頃からの夢を突然否定されても。
「角さん、確かに宇宙船操縦士は危険な仕事でしたが……」
呆然とする克洋の隣で、母がゆっくりと口を開いた。
「それは過去の宇宙だからです。克洋がこれから学び、これから務める場所は、未来の宇宙なんです。日本の宇宙開発の将来は安全で明るい。それは克洋も、もちろん保護者である私達も信じています」
遠回しな断りでも、厳しい非難でも無く、しっかりと母が締め括ると。角はしばらく黙ったままでいたが。
「そういうお考えならば……仕方ありませんね。失礼致しました」
わりとあっさり引き下がった。母は玄関まで見送って角と少し会話を交わしていたが。扉が閉まる音がして、彼女が帰って行ったのが分かった。
克洋が帰って来るかなり前から居た様子だし、ようやく訴えが終わって母も疲れたみたいだ。その手を克洋はぎゅっと握って。
「ありがとう、母さん。俺の言いたいこと、さっきの怖いひとに言ってくれて」
にっこり笑うと母も笑ったが、それはどこか普段と違う笑顔だった。
それからしばらくして、克洋の母、美濃島静江は体調不良から仕事を辞めて、折尾クリニックに入院した。
今日は父と一緒に母の見舞いに行こうと、克洋は創成学園を早引けした。衣類や小物を用意するのもあり、自宅で待ち合わせてから病院に行く予定だ。
「父さん、居ないの? 母さんも待ってくれてるし、早く折尾先生の所に行こう」
帰宅の挨拶もせずに父を探す克洋の耳に、また客間から話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、父さん……」
今度は客間の襖を思い切り開けると、父の向かいに座るひとの姿に、克洋は唖然とした。
「おかえり、克洋」
「こんにちは。おじゃましています」
父に続いて克洋に挨拶をしたのは角だった。
「なんで、このひとが居るんだよ?」
「角さんは、母さんの体調を気に掛けてくれて……」
苛立つ克洋に父は戸惑うが。巨大なノートパソコンから、彼女が父にも以前の資料を見せていたのは一目瞭然だ。それで母の不安感を煽っておいて、なにが体調を気に掛けるだ。
「自分も、ここまで操縦士が危険な仕事だとは知らなかった。それを目指す克洋を気遣ってくれてるんだから……」
父は語尾を濁す。言い包められたのか?
「俺はっ……まだ宇宙船操縦士ではない、ただの学生だ! だからもういいだろ、あんたはもう帰れ!!」
角に向かって怒鳴り付けると、克洋はそのまま家から出て。ひとりで母の休む折尾クリニックへと向かった。
ただの強がりのガキだ。まだ宇宙船操縦士ではない、なんて本当は言いたくなかった。
さっきの発言は取り消して、これからも操縦士を目指すか? そのせいで母が心を病んでも?
病院に入るとすぐ、克洋は折尾先生に呼び止められた。
「もうあの、角さん、ってひとはきみの家には居ないよ。さっき芳文さんに電話して、被害が大きくなる前にしっかり注意しておいた」
芳文、とは父の名前だ。その言葉にはほっとしたが。
「でも……父さんは黙って聞いてた」
俯いたまま愚痴を零すと。
「芳文さんも他人に強くものを言える性格じゃないからね」
父の代わりに、きっぱりと注意できる折尾先生が角を家から追い出してくれたのか。しかし、さっきの言葉には気になる単語があった。
「被害、って……母さんの病気ですか?」
克洋が泣きそうな声で尋ねると、折尾先生は素直に頷いて。
「静枝さんが体調を崩したのは、心配やストレスからだろう」
嘘の無い答えに唇を噛み締めると、そっと肩に手を置かれた。
「だけど大丈夫。静枝さんは強い女性だから」
肩の力が抜けた克洋は、折尾先生に頭を下げると、母の居る病室に向かった。
トントン……とノックをして一息つくと、「どうぞ」という落ち着いた母の声に、また克洋はほっとして扉を開けた。
「母さんは、さっき折尾先生から聞いた? 廃止運動のひとがまた家に来た、って」
しばらく学校や家事などの軽い会話を交わすと、思い切って克洋は尋ねた。さらに病状が悪くなるだろうか、そうも思ったが、母が強い女性だというのは克洋も幼い頃から知っている。
「私は佑依さんから聞いたの」
安心させるように答えると、明るく微笑んで。
「現在の私が言える立場じゃないけれど……克洋も将来への心配が増したでしょう。でもそんなの気にしないで! あなたはやりたい道に進みなさい」
母からの言葉に不安は見えなかったが、克洋の心には不安が増していく。
やりたい事をやれ、そう言われても。
夢に向かえなくなっても、母の苦痛が無くなるなら。どちらが良いかは天秤に掛ければすぐ分かる。
そうして克洋は、宇宙船操縦士への道を閉ざして、創成学園も辞めた。
* * * * *
「母さんはすぐに退院して元気になった。だから俺も、わしづか専門学校で操縦士を目指してる」
美濃島は自身の過去の話を終わらせたが、基晴の心には疑問が残った。
だって、創成学園に通っていた方が良かったんじゃないか? 学べる内容も、卒業後の学歴も。それなのに、美濃島は操縦士への道を途中でつまづいた。




