第二十五話 お茶会との説明会
ハーブの香りが漂う庭を進みながら、基晴たちに美濃島はニコニコと笑い掛ける。
「佑依さん、ってのは、さっき話してたお医者さん、折尾太一先生の奥さんね。薬剤師やってるひとなんだ。楽しみにしてて、佑依さんの紅茶は美味しいから」
そういや美濃島って、いつも紅茶や緑茶を飲んでるよな。
爽やかで健やかな香りに包まれて落ち着いてきた基晴は、そんな事をぼんやりと考えながら、病院から少し離れた建物に向かった。
「佑依さーん、こんばんわっと」
「こんばんは、克洋くん。久しぶりだね」
美濃島と挨拶を交わした女性は、小柄で丸顔で、どこか幼い雰囲気だった。
「太一さんからは、『克洋くんから相談があって、友達も一緒に来る』とだけ聞いていたけど……学校の友達、って女の子も居るんだ」
「あつ、はい。初めまして、高浦汀といいます」
少し驚いた様子の女性に、高浦は慌てて礼儀正しく挨拶するが。
「高浦さんも俺の親しいクラスメイトでサークル仲間。もしかして佑依さん、俺と彼女の間に愛の結晶が授かった……って相談かと思った?」
「克洋さん! またそんな嘘吐いて!! 驚かさないで下さい……高浦さん、さっきの、嘘だよね?」
「うん、もちろん……えっ? 美濃島くん?」
普段あまり言わない下ネタ交じりの冗談に、伊庭は怒鳴ったあと不安気に問い、高浦も驚いて頷くが。そんなふたりにゲラゲラと美濃島が笑うと。
「こらっ! 克洋くん、そんなこと言わないの。たとえ親しい女友達でも、このひとに失礼でしょう」
「そりゃそうか。ごめんなさい、高浦さん。伊庭もごめんな、またもやびっくりさせて」
厳しく叱られた美濃島は真面目に謝る。なんだろう、やっぱり家族みたいなノリだな。
基晴たちはダイニングルームへと案内された。
暖かな紅茶の香りが漂い、壁には額に入ったハーブの押し花がたくさん飾ってある。綺麗に片付いているが緊張はせず、初めて来たのに落ち着く場所だ。
「適当に座っていてね」
佑依さん、と呼ばれた女性の声に、椅子に自然と腰掛けた美濃島を囲んで皆も座った。
ここで美濃島は自身のなにを説明するのだろう? 心配で堪らない伊庭に「自分は病気ではなく健康な身体」それを大人の言葉でちゃんと語って欲しいなら、基晴ならば自宅に連れて行き親からの説明を頼む。それか自分と親しい校長先生に説明を頼もうと、わしづか専門学校の校長室へ向かう。
「じゃあ、どうぞ。初めてのお客さんだから、ハーブティーじゃなくセイロンティーです」
「それは嬉しい。ハーブティーって、飲みにくい薬みたいなのもあるもんな」
「ありがとうございます……いただきます」
美濃島と楽しそうに会話を交わす女性に、基晴は頭を悩ませたままティーカップを手に取り口にした。すると、ほっとする暖かい風味で脳みそが少し落ち着いた。他の皆も同じらしく、礼を言ったあとは無言で紅茶を啜っている。
「あとは、これも」
小さな身体の女性から、大きい身体の伊庭にすっとハンカチが差し出された。
「さっきからあなた、ずっと瞳を拭っているから……よければ使って。目元が真っ赤で痛そう」
「あでぃがどう、ございばず」
「よかったら洗面所で顔を洗ってね。そのときは克洋くん、あなたが案内してあげて。石鹸、タオル、化粧水……なんでも適当に使って良いから」
鼻詰まりの声でハンカチを受け取った伊庭に、優しい口調で色々と諭すこの女性……佑依さんは、確か薬剤師って言ってたっけ。佑依さんの手作りらしきマフィンをかじりながら、美濃島も微笑んで頷く。
「そいつはさ、克洋さんは難病で若くして死ぬから創成学園を辞めた、なんて勘違いして泣いてるんだ。だから今日はさ、俺が創成学園を辞めた経緯、それを説明してもらいに来たんだ」
ごしごしと顔を擦る伊庭を指差して、美濃島が軽い口調で説明すると。
「そんなこと……でも、だから静枝さんは来なかったのね」
美濃島の口から「死ぬ」との言葉が出たとき佑依さんは驚いたが、語り終えると納得した様子だった。
「静枝さん、ってお母さん?」
「うん。俺の母親、美濃島静枝、っていうんだ」
コトン、とティーカップを置いた東宮の問いに、美濃島が答えると。
「じゃっ、じゃあ! 長く生きられないのは克洋さんのお母さんで、それで克洋さんは、残りの時間を一緒に過ごす為に、勉強を辞めたんでしょ!? それでさっきのお医者さんは、お母さんを診てるひとなんだ!」
思い切り椅子から立ち上がり、大声で騒ぐ伊庭に、美濃島は腕を組んで首を傾げる。
「うーん。ちょっと惜しいがやっぱり違うな。俺の母さんは元気だよ、ねぇ、佑依さん?」
「そうね、静江さんは元気な女性よ」
あっさりした美濃島に佑依さんも応えるが、伊庭の態度に少し困惑している様子だ。
「じゃっ、じゃあ、どうして……」
「伊庭くん、決め付けて騒ぐのは止めよう。美濃島くんは、これからお医者さんにきちんと説明して貰う、って言ってくれてるんだから」
「……うん、分かった」
伊庭は混乱して詰め寄るが、高浦のしっかりした言葉に、魂が抜けた様にどっさりと椅子に座る。
「良い友達ね、克洋くんのために集まったり、克洋くんを想って泣いてくれてるなんて」
空になった伊庭のティーカップを手に取り、からかう様子もなく真面目に言う佑依さんに。
「そうそう、本当に良いひと達でしょ! わしづか宇宙開発専門学校、あそこに入って俺、本当に良かったよ。佑依さん、俺も紅茶のおかわり飲みたいし、運ぶの手伝わせて」
明るく椅子から立ち上がる美濃島は、本当にここで自身のなにを説明するのだろう?
そして時計が七時を示す少し前に、折尾先生、と呼ばれた医師がやって来た。
「さて、と……どこから説明したらいいかな?」
折尾から問われた美濃島は、タブレットを取り出すと机の上に置き。
「まず最初に、この写真を見てみて」
基晴が身を乗り出すと、タブレットには美濃島と、そしてひとりの女性が写っていた。
美濃島の雰囲気は現在よりいくつか年下で。一緒に居る女性は六十代後半位だろうか、栗色に染められたセミロングの髪に、目元の皺が優しい笑顔に目立った。
「このひとが静枝さん?」
しばらく皆はじっと写真を見ていたが、沈黙を破って東宮が問うと。
「うん、俺の母親。昔から仲の良い親子」
同じく軽い調子での美濃島の答えに基晴は驚いた。母親にしては随分と年を取って見えたからだ。
「本当の、血の繋がった母親だよ。年齢に驚いたんだろ?」
「あぁ……ごめん」
基晴の反応に気付いたのか、美濃島の問いに謝ると。
「いいよいいよ。実際、母さんは今年で七十三歳になる。五十五歳のときに俺を産んだから」
「えっ! 本当に?」
次に驚いたのは高浦だった。
「すいません……でも中学のときの保健指導では、女性の排卵は五十歳前後で終了する、って教わっていたので」
戸惑いながら話す高浦に、美濃島は微笑みかける。
「それが普通みたいだけど、俺の母親はかなりの高齢出産だったんだよね?」
美濃島に問われた折尾先生はゆっくりと頷くと。
「女性の身体は、四十代後半になると卵子や子宮の能力の低下から、妊娠して出産するのは難しくなるけれど。五十歳以上の出産も少数で存在する」
医師というより教師のように、基晴たちに丁寧な説明を始めた。
「克洋くんの母親である静枝さんは、三十代後半から不妊治療を始めて。しばらく人工受精を繰り返してね。そして克洋くんが産まれたんだ」
そんな医師の姿に、美濃島はほっとしたような、満足そうな表情を見せる。




