第二十四話 学校から病院の先生へ
病院に行って診察結果でも見せるのかな。
「……俺も行くのかよ」
「来てもいいけど、来なくてもいいよ」
殴られた頬を擦る椛島に、美濃島はあっさりと応えると。
「でも来るんだったら、もう稲地さんのこと基晴にネチネチ訊くな。椛島もさ、何があったか知らないけど、操縦士って名前を気にし過ぎだよ。整備士と比べられるから? 一番比べて見下して、喜んでるのはおまえだろ。操縦士を下に見たって、整備士が偉くはならないのに」
まるで教師のように言葉を続ける美濃島に、椛島は怒りを表情に出して。
「見下してなんかねーよ! 難しい資格なんだろ? こいつのアニキが諦めたんだしな。俺はそういう、目標を諦めた奴なら見下すけどよ」
椛島から投げられた言葉に、基晴は固く拳を握り締めて一歩踏み出したが。
「天城くーん、もうそいつのことぶん殴らないでよ」
おっとりした矢郷の声に動きを止めた。
「椛島にはさっき伊庭の鉄拳が当たって、かなり痺れてるでしょ。そう見えない?」
「腫れてるし、痛覚は麻痺してる」
矢郷に問われた東宮も、椛島の顔をしげしげと眺めながら答えると。
「じゃあ天城くんがぶん殴ってもさ、椛島のほっぺは痛くないけど、天城くんの拳が痛くなるだけ。そんなの誰も面白くないでしょ」
呆れた口調で矢郷は続けると。
「あと、美濃島が身体を説明する場所にはさ、椛島は行かない方が良いよ」
きっぱりと言い切った。
「またさっきみたく悪口言ったら、話がややこしくなる。それに、顔を真っ赤に腫らしたまま知らない場所に行くのも恥ずかしいでしょ」
ずけずけと話し続ける矢郷を椛島は睨み付けるが。
「私も一緒に椛島ん家まで行って、適当にほっぺたの治療して、晩ご飯も作るよ。ほら、途中で湿布でも買おう」
母親のような言葉には、むすっとしたまま荷物を片付け始めた。
「東宮はどうする?」
矢郷から問われた東宮は、美濃島の顔を見て。
「行ってもいいの?」
「来なくてもいいし、来てもいいよ」
東宮からの問いに、美濃島がさっきと同じ答えを返すと。
「自分は一緒に聞きたい。色々と気になるし。それに……」
椛島をちらり、と見ると。
「……説明役になれたらいいけど」
美濃島の身体がどうなっているか、何故創成学園を辞めたのか、それを椛島も気にしているのか。だけど事情を聞くことが出来ないなら、東宮が代わりに聞いて後で説明する、って言っているのか。
「それは嬉しいな」
美濃島もふたりの心理は分かっているのか、東宮に礼を言うと。
「じゃあ、俺が行きたい場所はここからバスで15分位だから。約束した時間よりは早く着くけど、向こうで待たせて貰おう」
そんな美濃島の後に基晴たちは付いて行く。校門から出ると、矢郷は手を振って。
「ばいばい、また話ゆっくり聞かせてね」
なんて笑ったが。椛島は何も言わずにずっとこちらを見なかった。
バスの中では誰も何も話さずに。学校からの15分は長いような短いような時間だった。
「バス停からはすぐだから」
そう言って進む美濃島の背中を見ながら歩くと、童話に出て来るような木製の建物と、それを囲む広々とした庭が見えてきた。
初夏の夕日に染まった庭には、緑の葉がびっしりと並んで。色とりどりの小さい花々が点々と咲いている。
「凄いな、これって全部ハーブだよね……美濃島くん、もしかしてここってハーブ園なの?」
「そうでもあるけど、法律的には個人の庭かな」
しげしげと庭を眺める高浦に、また謎めいた答えを美濃島は返した。
「おぅい、克洋くん」
呼ぶ声の方向を見ると、そこで手を振るのはひとりの男性で。
「あれ、折尾先生。わざわざ迎えに来てくれたんですか」
美濃島は嬉しそうに応える。折尾先生、ってことは……このひとがさっきの電話の相手か。
「うん、今日は患者数も少なかったし。また戻ったらカルテの整理をしたいけど」
「佑依さんも居るんでしょう?」
「家の方で紅茶の準備をしてるよ」
美濃島の質問に明るく頷く、この折尾先生、ってひとはやはり医師なんだ。
「わーい、ありがとうございます! でも残念ながら、今日は母さんの作った菓子は持ってきてない」
「そうだね、静枝さんお手製のお菓子は美味しいのに」
美濃島は楽しそうにはしゃぐ。もしかして、この医師は親類か? でもわしづか専門学校の校長と話していたときも、美濃島はこんな風に子どもっぽく親し気に喋っていたっけ。だけど「校長先生と親戚ではない」とも言っていた。
「でも、新しい克洋くんの友達と会えるのも嬉しいな。たくさん連れて来てくれたんだね」
優しい視線を向けられて、基晴たちは軽く頭を下げるが。状況は呑み込めないまま、明るく会話を続けながら進む美濃島と医師の後ろを付いて行った。
木製の建物の前まで来るとそこには、折尾クリニック、と看板がある。
「さて、克洋くん。彼等には、何をどうやって話せばいいのかい?」
基晴たちを示すと医師は尋ねる。
「俺が不死の病、って勘違いしてるひとが居るので。それをお医者さんに訂正して貰いたく」
微笑みながら美濃島が答えると。
「まっ、待って……克洋さん! だってここ、病院でしょう?」
涙声で問い掛けたのは伊庭だった。
「そりゃそうだけど」
困惑する美濃島の肩を掴むと、涙を流しながら身体を前後に揺らす。
「なんで、なんで医者に協力させてまで、俺たちに嘘吐くんですか!?」
「だからっ、嘘じゃないって。それを証明、したいから、先生に、協力して、貰おうと……」
泣きながら訴える伊庭に大きく揺さぶられて、美濃島は言葉を詰まらせるが。
「このひとは美濃島の担当医じゃない。だってこの折尾クリニックって看板には、婦人科、としか書いてない」
いつもはツッコミ役の基晴も、そして伊庭を制止する役割の高浦も、なにも言えずに突っ立ったままでいたが。淡々と告げたのは東宮だった。
「美濃島が不治の病で、ここが美濃島を治療する病院だったら、婦人科はおかしい」
そう言われてみればそうか。難病の治療のための大型病院、って雰囲気ではないもんな。
「流石は東宮、未来の宇宙医師だなぁ」
納得した基晴と同じく、美濃島も驚いて褒めるが。
「じゃっ、じゃあ、産まれた頃の担当医だったんじゃ……」
伊庭はまだ涙声で強引に問う。
「克洋くんは、幼い頃から健康な子供だよ」
折尾先生、と呼ばれる男性医師は落ち着いて語る。
「そうして現在も健康な青年だよ。彼がここに通い慣れているのは、静江さん……彼のお母さんが、自分の妻と友人だから」
「じゃあ……なんでわざわざここに来たんだ?」
基晴が頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出すと。
「それは俺の身体について、というか……俺の母親の身体についてを、医師の口から上手く説明して欲しくて」
折尾先生、と呼ばれる医師はしばらく深刻な視線で、美濃島の瞳をじっと見つめていたが。
「うん、分かった。それじゃあカルテの整理が終わるまで、自宅で待っていてよ。友達も一緒に、佑依の淹れた紅茶を飲みながら」
ふと優しい微笑みに変わって。その言葉を貰った美濃島も、満面の笑みを見せた。




