第十六話 勉強会からの疑問
自分自身も緊張しながら、基晴は「稲地」と看板のある部屋のチャイムを押した。
基晴はこの家の鍵は持っていない。父と兄の家ではあるが、自分の家ではない、そんな不思議な感覚があるからだ。
「やぁ、いらっしゃい」
明るく迎え入れた信晴が案内したのは、広く立派な和室で。基晴はちらりと中を見たことがある程度で、入ったことの無い部屋だった。
「父さんの部屋でいいのか? 兄貴の部屋じゃなくて?」
行くのは基晴も入れて七人、とは事前に伝えておいたし。自分の部屋だとぎゅうぎゅう詰めになるからこっちに場所を決めたのだろうか。
「父の部屋というか客間だよ。ここの部屋には父もよくお客さんを呼んで、これからの日本の宇宙開発についてを語り合ってるし。ほら、大きなスクリーンもある。だから俺の部屋よりも丁度良い」
遠慮がちに背中に問い掛けると、振り向いた信晴は穏やかに説明する。
「今日も父さんは遅くまで仕事だし。もし早くに帰ってきても、皆での勉強会なら責めはしないよ」
「でも大事な勉強の時間を削ったとか、それでアニキが怒られるんじゃないか?」
「自分の家なんだし、どこを使ったって構わないだろう」
心配する肩を優しく叩かれたら。
「私も初めて来たときは、お父さんには優しく迎えて貰ったんだよね」
そんな声に、信晴の身体に隠れた客間の奥を見ると、そこに座って居たのは初めて見た女性だった。
「初めまして、基晴くん。私、市村、っていいます」
名前を呼ばれて名乗られても、基晴には見知らぬひとで。細身で黒髪のロングヘア、派手ではないが、モデルのような雰囲気の美人だ。
「このひと、天城くんのお兄さんの彼女さん?」
矢郷からは軽い調子で訊かれたが、それを尋ねたいのは基晴も一緒だった。
「えっ……違うよ、高校の時のクラスメイトで仲良くなったんだ。それで市村さんは、宇宙医学を専門に学んでるから、今日来てもらったんだ。ほらっ、宇宙医師を目指してるひとも居る、ってモトが言ってたからさ」
慌てて説明したのは信晴で、そのぎくしゃくする姿に、市村、と名乗った女性も微笑む。
「そうなんです。宇宙医学について他の学校のひとと話し合えるなんて嬉しかったの。私と同じ専門なのは誰かな?」
市村が周りに問い掛ける視線をやる。やはりしっかりした口調に、大人の女性の表情で。
基晴が紹介しようと動くより先に、東宮が一歩前に踏み出した。
「初めまして。自分は東宮峻といいます。将来は宇宙医師を目指しわしづか専門学校に入学して、天城くんと同じサークルにも入会しました」
東宮は市村に向かって一礼すると、いつもの猫背から姿勢を正して。
「わしづかには宇宙医師を目標とする先輩は少なく、そして自分もまだ専門的に取り組んでいませんが。日本での宇宙学の名門校、創成学園では宇宙医学をどんな風に教えているのか、それを教えて貰えたら自分も嬉しいです。よろしくお願いします」
自身の現在の行動と将来の目標を一言一句をしっかり語る。
そんな東宮の姿に基晴はぎょっとした、というか、こいつがこんなに喋るのを初めて見た。
姿勢を伸ばしても160㎝に満たない小柄な容姿なのに、妙に凛々しく見える。
「はい……こちらこそ、よろしくお願いします」
市村もさっき見せた年下への態度を変えて、しっかりした子ね、という視線を向けた。
「いま飲み物を持ってくるから、モトと一緒にスクリーンで動画でも観てて。市村さんも少し待っててね」
信晴は玄関で固まっている他の仲間にも声を掛けた。
「国連宇宙空間平和利用委員会。ここは国際連合の委員会で。主な務めは宇宙への研究の援助、情報の交換、平和利用のための方法と法律の検討、これらの活動報告を国連総会に提出すること」
客間の巨大スクリーンに映し出された情報を信晴は語る。
「最初の国際宇宙法は、主に1959年、ここが監督している宇宙条約を基礎として作られた」
挨拶と自己紹介を終えて勉強会が始まり、積極的に信晴へと質問を投げているのは高浦だった。
「日本は海外から比べると遅れを取っている、と言われますが、それは何故ですか?」
彼女からの問い掛けに、兄貴は腕を組んで難しそうな表情を見せる。
「やはり、そこまで国家予算が無いからだろうな。宇宙軍がある国は、軍事費としても宇宙開発に予算を注ぎ込めるけど……憲法で戦争放棄を定めている日本だと、宇宙軍の計画は激しい反対運動が起こったし。これから宇宙での戦争が始まってもそれは同じだろう」
「宇宙での戦争? そんなのが起こるんですか?」
「もう起きないと信じたいけれど、過去には領有権での国家間の争いはあったし。宇宙での領有権問題……つまり宇宙空間をどう区切り、どの国家の領域とするか……それは地球上での領土を決めるより難しいから。また宇宙移民が増えれば、独立戦争を警戒する国も多い」
矢郷からの驚きの質問に、高浦も恐ろしそうに顔をしかめると。ふたりを落ち着かせるようにアニキはゆっくりと答える。
「高浦さんは海外の宇宙開発について詳しいんだね。留学してたの?」
「いいえ、知人に中国のプロ操縦士が居るので」
中国のプロ操縦士、とは母親の再婚相手の親類だろうか。信晴は知人については尋ねず、海外の宇宙開発、という資料データをモニターに映す。
「現在は中国とも宇宙関連での国交が盛んだもんね」
そして東宮は市村とふたり、宇宙医学についてを話し合っていた。専門用語が多く、基晴には理解出来ない。
「東宮くんは医学について詳しいのね……夜間とか、通信とか、他の学校にも通っているの?」
本心から誉める市村に、東宮は首を横に振る。
「いいえ。自分も高浦さんと似て、医学を教えてくれるひとが居るんです。昔から傍に居て、そのひとから習ったんです」
そういえば以前に、東宮は施設で暮らしている、とか聞いたっけ。だから色々としっかりしてるのか。
そして他のメンバーは、ほとんど話さない。自分からは口を開かず固まったままだ。
「伊庭はさ、アニキともっと喋れよ。会って話したがってたのはお前だろ?」
基晴が急かすように尋ねると、伊庭はあたふたと口を開く。
「だって……いきなりだし」
「でも、訊きたい事は色々あるんだろう? そんなに緊張しないで、サークル仲間の兄弟、って軽く思えば」
今度は信晴が誘うが、
「そんなの無理です。凄い操縦士なのに」
力強い説得に対して、伊庭の態度は弱々しくなっていく。
「でも、まだ俺はプロ操縦士ではないし……地球上での宇宙船操縦士試験にも受かってない」
そんな風に応える、信晴も弱気になったのか? だが、基晴の不安とは違う様子だ。
「他にも尊敬出来るひとは居るんじゃないか? きみの周囲にさ、操縦士としての能力のある、そんなひと……」
なんだか信晴は質問しているみたいだ。そして、その相手は伊庭だけではなく。基晴に対してでもない。




