第十話 宇宙医師からの治療
わしづか専門学校の校舎には体育館への渡り廊下の手前に、ぽつん、と小さな扉があり。そこが地下倉庫への階段の入り口だ。
「鍵はすぐに開けてくれるってさ。基晴くんも一緒だ、って伝えておいたから」
高浦に連絡してくれたのか、美濃島はポケットにタブレットをしまう。
「あぁ……ありがとう」
基晴が呟くとすぐに、ガチャリ、と鍵が開く音がして。
まだ研究会に緊張していた基晴の足が竦むと、隣から美濃島がすっと手を伸ばしてドアノブを掴んだ。
すると同時に向こう側から勢い良くドアが開き。
「わっ……っと!?」
「うわぁっ!!」
ドアに押された美濃島の背中が基晴の身体に思い切りぶつかって、ふたりはそのまま転げて尻もちをついた。
向かい壁に頭を打って混乱する基晴が、チッ、という舌打ちの音に首を上に向けると、作業服を着た巨体が霞んだ視界に映る。
「びっくりしたぁ……ドア開けたの椛島くんか」
基晴の脇で尻もちをついたまま笑い掛ける美濃島を、椛島はじろりと睨み付けると。無言で片腕を掴んで引っ張り、もう片方の手で背中を支えてバランスを取る。
「おっ、と……ありがとう」
手を借りて立ち上がった美濃島は礼を言うが、椛島はなにも応えない。それで謝ったつもりか? ドアに押されたのは偶然だとしても、「すまなかったな」とか「大丈夫か」位は言うべきだろ。
苛立った基晴は、こっちに手を差し出す前にひとりで立ち上がった。後頭部や足首が傷んだが何も言わず。そして椛島も何も言わないまま、背を向けて地下倉庫への階段を下りて行った。
「わざわざ階段上がって出迎えてくれたのか? それもありがとな」
美濃島が礼を言うと、一瞬の沈黙の後。
「俺もここで昼飯食ってるし、地下倉庫は飲食禁止じゃない。酒や煙草はもちろん駄目だけど、そういうの勝手にやって勝手に見つかったら『他の奴等は関係ありません』ってはっきり言え。周囲を巻き込んだら許さないからな」
背を向けたまま、ぶっきらぼうな口調で椛島は地下倉庫の決まりを説明する。
「分かった。じゃあ今度は椛島くんも一緒におやつ食おうぜ」
明るい誘いにも何も応えない。人付き合いが苦手なのかな。それならなんで研究会に入ったんだろう? 矢郷に誘われたから入ったのかな。伊庭が高浦と親しくなりたいように、椛島も矢郷に気があるのだろうか。
「有人宇宙機……研究会、だっけ。ここってどんな活動するサークルなんだ?」
入会の動機は訊けなかったが、サークルへの思いが気になり基晴は尋ねた。しかし椛島は黙ったままで。
「クラスの垣根を越えて仲良く接する、とかでいいんじゃないの」
さっき打った腰を擦りながら美濃島は答えるが。
「そんなのサークルじゃなくても出来るだろ」
「いや、部活動じゃないとなかなか難しいよ」
「宇宙船の業務について議論するのか?」
先日の、操縦士と整備士の重要さを競い合う、伊庭と椛島の口喧嘩をまたやるのかな。
「知らねーよ、他の奴に訊け」
ちらりとこちらを向いて言い捨てると、椛島は早足で地下への階段を進む。
「みんな、お待たせー」
明るい美濃島の挨拶に振り向いたのは、先日と全く同じメンバーのみで。やはり謎の会長は顔見せにも参加しないようだ。
「ふたりとも遅ーい。遅れて来るならこっちで飲み食いしていい、って椛島も言ってたよー。じゃあまずは改めての自己紹介から……」
矢郷が早口で話を進めるのを遮って、
「怪我してる」
ぼそっと呟いたのは東宮だった。
「あれ? 本当だ、どうしたの?」
確かに美濃島は額を手の平で押さえていて、よく見ると赤く腫れている。鉄製のドアにぶつかったのか。
そして基晴も、転んだ時に片腕を擦り剥いていた。
「さっきふたりでぶつかって転んだんだ」
詳しい原因を語らない美濃島はやはり大人だな。
「大丈夫? 結構痛そうだよ?」
「保健室行くのも面倒だしなー。帰るまでハンカチでも巻いておくよ」
心配そうに首を傾げる高浦に美濃島は笑うが。
「でも、念のため……救急箱は?」
「手洗い場に置いてあるから……俺も一緒に行くよ」
東宮が尋ねると、椛島は気まずそうに答えた。少しは申し訳なく思ってるのかな? そして椛島に案内されて、基晴、美濃島、東宮の三人は地下倉庫の奥へと進んで行った。
倉庫の奥の手洗い場で、まず傷付いた皮膚を水できれいに洗って。救急箱から取り出した消毒液、ガーゼ、絆創膏などで、ふたりの怪我はひとまずの治療を終えた。
てきぱきと治したのは東宮の小さい手で、雑でもないが細かく集中しても特に時間は掛からなかった。
驚いたのは美濃島も同じだった様子で、本心から「凄いね」とだけ褒めると。
「こいつの将来は宇宙医師だからな」
そう答えたのは椛島だった。
「だからこんなに手際がよかったのか」
その言葉に乗っかって美濃島がまた褒めると。
「それだけじゃないけど」
救急箱の中身を整理しながら淡々と応えると。
「終わったからあっちに戻ろう。ふたりとも、帰ったらまた家のひとに治してもらいなよ」
治療が上手い理由は深く語らず話を終わらせたので。基晴も美濃島も、東宮に礼を言うと、また四人は皆の集まる場所へと戻って行った。
再び、お待たせー、と美濃島が明るく笑うと。
「早かったね、やっぱり保健室に行くの?」
やはり高浦は不安気に訊いたが。
「大丈夫、大丈夫。しっかり東宮くんからの治療を受けたし」
「そっか、流石は宇宙医師だなー」
矢郷のからかい交じりの賛辞にも動じないので。
「将来が宇宙医師、って、それ本当か?」
「まだ決まってはいない。でも目標としてる」
真面目に尋ねると、東宮もしっかりと答えた。その態度に思わず基晴は目を逸らす。
「いや、宇宙医師も体力は必要だからさ……おまえ、背ぇ小っちゃいだろ」
将来の夢を諦めた基晴にとって、胸を張って目標を言える奴は羨ましく、近寄りがたい。
しかも宇宙医師資格は、宇宙船操縦士資格に次いで難関な試験とされている。
この、東宮、という奴の成績や能力は分からないが、適当に決めた夢じゃないことは分かる。
「体格だけで、こいつは宇宙医師にはなれない、なんて思ってたのか?」
椛島からきつい口調で問い質されて。
「こいつも目標は整備士かと思ってたんだよ……じゃないと、おまえが親しくしないだろ」
「何だそれ? 目標が違うから友達じゃない、なんて言わねーよ」
「この前は伊庭に、整備士が一番だ! とか怒鳴ってただろ」
「それはあいつが、操縦士が一番上だ! なんて自慢気に言ったからだろ」
椛島から指差され、いままで無言で座っていた伊庭が口を開こうとすると。
「整備士も操縦士もどっちも大切。比べるもんじゃない」
東宮がきっぱりと告げた。それに椛島は満足そうな表情を見せたが。
「でも、操縦士試験のほうが難しいのは本当だし。業務内容だって、宇宙船操作をAIに任せることになっても、操縦士の人間がぼーっとしてるだけじゃ駄目だろ」
続けての諭す言葉には、悔しそうな表情に変わった。
なんだろう、見た目は小柄で幼いが、東宮は落ち着いた大人の生徒だな。
自分自身の目標はしっかりと定めているし、他の色々な目標も他人の視点から説明できるんだし。
「じゃあ椛島くん、きみが宇宙船整備士にこだわる理由は?」
沈黙の気まずさを消すように、美濃島は軽い口調で問い掛ける。基晴への苛立ちから「答える義務はない」なんて椛島は言い捨てるかと思ったが。椛島は落ち着いた口調で語り始めた。
「俺は……曾祖父さんが整備士なんだよ。もう90代も半ばだけど、まだまだ現役でやってる」
現在の日本人の平均寿命は110~120歳だというが、流石に90歳になれば殆どが引退する。
特に宇宙船整備士なんて、体力業務、細かい手作業、最新宇宙船の知識、など高齢者には難しい業務だろう。
「俺と同じ年齢から始めたって言うから、80年は宇宙船の整備に励んでる。だからあのひとは、宇宙開発が活発になった時代から、ずっと宇宙船に関わって来たんだよ。整備士として。まだ技術が未熟だった時代には酷い怪我して、左手の半分は義手なんだけど、それでも辞めずに頑張ってて……」
椛島は淡々と語っているが。溢れる整備士への熱意や曾祖父への深い尊敬心はしっかり伝わってくる。
「だから俺も同じ位、いや、負けない位に努力積んで、あのひとが創った技術の後継者になりたいんだ」




