深窓の令嬢編 36
第二王子ナルニウスは、女神アルテナの神助を得た。
どこの誰とも分からない者のヨタ話ではない、王国でもっとも権威ある者たち……11家にも及ぶ領主貴族たちがそれを目撃し、追認を与えたことは大きかった。
呆然と浮かぶ塔を見上げていた領主たちであったが、思いもかけぬ『時流』を見出した幸運に気付いた者たちから白旗が掲げられていく。
始祖王がこの地に王国を開闢したのも神の祝福があったればこそ。
王権神授の否定すべからざる言い伝えのうえに成り立つ特権を享受する『貴族』たちにとって、神意は吉兆でありそれに沿うことは高貴なる義務でもあった。
連合軍をまとめていた第一王子派による『王命』はこのとき『偽命』となった。軍監であるパリニ男爵は、この懐に抱えていた『偽の勅許状』がおのれの命を奪いかねない事実に混乱した。
(田舎貴族どもの旗幟が鮮明になる前に脱出するか……それとも)
王の後継争いは虎の衣を借る宮廷貴族たちにとって栄達と没落が混交する時化の荒れ狂う海原のようなものである。
迫りくる波の高さを、潮目の変化を見誤ったが最後、三流貴族たちが吹き溜まる無位無官のよどみに押し流されてしまう。どんな些細な兆しも見逃さない細心さと、愚かしい情理に流されない『冴えた判断』が宮廷の魑魅魍魎たちの死命を決するだろう。
パリニ男爵家はその連なる門閥の思惑に沿い、第一王子派の一員として早くからその取りまきに加わっている。これまでに擦ってきたゴマの量を思えば、第二王子派の最新情報を抱えてご注進と行くべきところであったのだろうが、彼自身がその肉眼で『神助』を目の当たりにしてしまったのがいけなかった。
第二王子派の『勝ち目』を見出してしまったがために、迷いが生まれてしまったのだ。
(ここでいっそのこと鞍替えをするか。…いまならばナルニウス殿下にパリニ家を高く売りつけられよう)
同時におのれの頼る門閥の上位者たちに対して、派閥の鞍替えの『お引き』として反対勢力にポジションを築いておくことも重要だった。
いくばくかの逡巡の後。
パリニ男爵は空中の高楼にたたずむ『アルテナの娘』の目に沁みるほどに白い清楚可憐な立ち姿を食い入るように見上げて、声を上げた。
第二王子につなぎをつけることも重要ではあったが、『神助』の根源である『アルテナの娘』に一の忠誠をささげるものとして、ここにいる領主たちに先んじて少女に謁見しなくてはならない。
呼ばわったが、距離がありすぎるのかはたまた高楼を浮かせている摩訶不思議な奇跡が声を遮っているものか、なかなかこちらに注意を引くことができない。
パリニ男爵は辺りを見回してもっとも少女と距離を縮められる場所を探した。そして死戦で血にまみれた城壁の高みによじ登っていく。
「…娘よ!」
混乱する戦場で多少なりとも過ごしたことのある人間ならば、発声は腹の底から行わなければならないことを知っている。
「アルテナの娘よ!」
そうして叫び続けて、ようやく高楼の上から『アルテナの娘』の視線が落ちてきた。目が合った時に想像だにしない喜びが心の底からあふれ出してきて膝をついてしまいそうになるが、それをどうにかこらえながら居住まいを正した。
彼のたっぷりした絹を巻きつけたような装飾過多なトーガが、おのれの貴族としての価値を少女に伝えるだろうと両腕をささげ上げてアピールした。
そうして眼下の彼を驚いたように見つめていた少女は、少しだけ慌てたように奥に引っ込んだ後、先ほどまではなかった弓を携えて再び姿を現した。
はて、とわずかな疑問を頭に浮かべたパリニ男爵であったが、少女の弓矢があきらかに彼のほうに向けられていると判ずると、取り乱して子供のように両手を振り回し、反抗する意思がない証明として結局礼拝のように膝をついて見せるしかなかった。
そこで見せた『アルテナの娘』の、きょとんと首をかしげるあどけなさを見て、彼女が無垢なる存在なのだと脈絡もなく確信する。もやもやとしながらも内奥から熱を帯びた思慕がわき上がってきて、あの少女は是が非でも守り通してやらねばならないという庇護欲が抑えきれなくなる。
「執政議員、男爵メフメト・フュール・パリニは、アルテナの巫女たる貴女の示された大いなる奇跡に心打たれましてございます! この身すべてを捧げ帰依し奉ります! 知らぬとはいえ巫女様に弓引いた無礼、とうてい許されざる大罪を犯したことはわきまえてはおりまするが、無知者の愚かゆえの過ちであったと寛大なお許しを賜りますれば、このメフメト・フュール・パリニ、その御心に沿うべく、たったいまより第二王子ナルニウス殿下に全身全霊を持って与力する所存にございます!」
100メル上空にまで届かせようという大音声である。
当然のことながら周囲にいた兵士はもとより混乱する領主貴族たちの耳にも届いていた。
機を見るに敏な中央貴族が、国王の後継レースの大本命と言われている第一王子を見限って鞍替えするという。同じく『アルテナの娘』の神助を実見している彼らにもその動きは瞬く間に伝染した。
いまだ戦闘中の……ややもすれば略奪中であるかもしれない……家臣たちにおのれの姿を示すために、かれらもまた男爵に倣い城壁の上に肩を並べ、頭上の少女にこうべを垂れた。
次々に『アルテナの娘』への帰依が宣誓され、同時にその奇跡とともにある第二王子の派閥への合流が宣言される。何事かと集まってきた領主軍の兵士たちが、城壁上の主人の命で隊列を整え、手にした武具を投げ出して拝跪した。
戦場での、投降の習いであった。
『アルテナの娘』は、しばらくその様子を静かに見下ろしていたが、おのれの返事が待たれていることに気付いてあたふたとした後、言葉の代わりに構えた矢を力を込めて空へと放った。
ぎゅぃぃぃぃんと恐るべき速さで大気を貫いたその矢は、そのあまりの擦過熱で天に向かう流れ星のように炎の尾を引いて燃え尽きた。
のちに『血盟の火矢』として語られていくこととなる矢であった。
***
(どうしてこうなった…)
元ブサメンの転生者は、一向に開けてこないおのれの人生にため息をつかざるを得ない。
村の危機的状況をきっかけとしてとうとう手にした『転生チート』……それをもってして将来のきゃっきゃうふふでお気楽な異世界人生が開幕すべきところであったというのに、なぜか軟禁されています。
降伏して友軍となった領主貴族たちからもれなく求婚され、なかでも法的な所有権を振りかざして強引に迫ってきたアマル伯爵にはストーカーまがいのことまでされて、切実な身の危険にさらされたエディエルは、『男であることがばれたらまずい』との理由で外部者との接触を制限する……まさしく軟禁と呼ぶべき生活を強制されることとなった。
「聖女さま、あーんして」
「………」
彼の警護には、村の女たちが当たることになった。
レドンネ村の男たちが第二王子の約束した報酬を当て込んで王都奪還の戦列に加わることになり、そもそも生活基盤が失われている村に女子供が残るのも危険だということで、足腰の弱い老人や小さな子供が近隣の村に預けられた以外は、『聖女』の世話係として、あるいは第二王子の『妾妃』となったレネ嬢の側仕えとして従軍することとなったのだ。
アマル伯爵家から寄贈という名の徴用でゲスト用だという馬車が『聖女専用車』とされ、彼は行軍中その中に押し込められることとなった。
彼の性別を知る村の少女たちにその馬車の中で囲まれることとなったのだけれども。ハーレムっぽいようでいてそうでないこの誤解でもなんでもない息苦しさをどう説明したらよいのやら。
彼の馬車に同乗できれば長い行軍を歩く必要がないというメリットもあるのだと聞く。それならそれで気楽に座っていてくれればよいのだけれども。
こうなんとも必要以上に距離を詰めてきて、四六時中ボディタッチにさらされている彼に気持ちが休まる時はなかった。彼女たちはさりげない風を本人レベルで確信しているらしいのだけれども、仲間内でやり得競争をしてる時点でばれないはずもない。
「あーんして」
ぐいぐいと口に押し付けてくるものだからしかたなくオートミールらしきものを口に含む。そうして引き出した使用済みのスプーンを、そこの子、隠れてprprしない!
彼女たちがかわいくないわけではない。同じような年ごろの、村長から見て割に見栄えの良いと判断された子たちが選抜されたそうだから、並み以上には愛らしい少女たちであるのは間違いない。
むしろその十人並な愛らしさが逆にリアルではあるのだけれども、挨拶など衆人の前に出るときに胃もたれしそうなほど『聖女』の美少女礼賛が繰り返され、かつその取り巻きである側仕えの少女たちの『普通』さが揶揄され続けるうちに、どうも少女たちの意識の中に美醜の越えられない壁が築かれてしまったようで、外では取り繕ってくれるものの馬車の中にとかこもったが最後、彼相手にはまったく取り繕ってくれなくなってしまったのである。
『聖女』とか言われもてはやされてはいても、彼女たちは村で育ってきたエディエル・ウィンチという村人の子供を知ってしまっている。どうしても彼の社会的ステータスに敬意を払う感じにはなれないようで。
「あっ、ずるーい!」
「ね、エディくん、こっちもあーんしてみて」
「………」
ちょ、いまこそっと耳たぶぺろってした子!
太ももに置いた手を滑らしてるそこのえっちー子!
同乗する5人の少女がそろって体を寄せてきたときに、たまたま馬車が轍の石でも踏んだのかぐらっと大きく揺れた。
「きゃーっ」
「やだもー!」
なぜか全員彼の身体にダイブしてきたし。
女性は集団になると恐ろしい。
ド田舎のレドンネ村から王都までは500メルド。最短でも馬車で半月はかかるという長旅を思うだけで、眩暈のしてくるエディエルであった。
深窓の令嬢編はこれで終了です。
一度陶都に戻ろうかと思いますので、続きはしばらく後になると思います。




