残された時間
「……」
カンナの提案に、俺は口を噤む。
いつぞや、ルキアが調査してくれた二人――ガルフ爺さんと、ミナ姉さん。俺が封印都市フィサエルで仕事をしていた頃の同僚であり、先輩だった二人だ。
誰よりも大結界のことを知り尽くし、どのような損傷であったとしても瞬時に修正していたガルフ爺さん。そんなガルフ爺さんの腕を見て覚え、昇華させ、次ぐ実力を持っていたミナ姉さん。あの二人の腕に、俺は未だに追いつけた気がしない――それくらい、間違いなく実力者である二人だ。
確かに二人がいてくれたら、今後の大結界も――。
「あたしは、もう我慢する覚悟が決まったっす。正直、雲魔竜が二体現れるなんて予想もしてなかったことが起こった以上、このままじゃどうしようもないっす。せめてガルフ爺さんとミナ姉さんの二人がいてくれたら、先輩の負担が一気に減るっすよ」
「……」
「どうすか、先輩」
カンナの言葉に、答えることができない。
だが実際、途轍もなく魅力的な提案ではあるのだ。人員が増えてくれるという、その内容だけ見れば。
特にガルフ爺さんは、大結界の維持管理を務めて五十年以上にもなる大ベテランであり、その修正速度は俺など及ばない。もう現役を去って長いけれど、長くやってきた腕は錆びていないだろう。
ガルフ爺さんとミナ姉さん――せめてどちらかでもいれば。
「……それしか、手がなさそうだ」
「ふむ……どうやら、わたしの調査結果が無駄にならずに済むようだ。ソル君、ではわたしの方から、二人に使いの者を送って良いかな?」
「お願いします……俺も、覚悟を決めました」
「承った。では、早速使いを送る」
「ただ……」
こほん、と咳払い。
ひとまず現状で必要なのは、この場所で大結界を修繕し続ける腕を持つ者だ。俺が今後、マークⅢの開発に尽力しなければならない以上、この場に張り付いているわけにいかない。
だからこそ――。
「彼らに、言い含めてもらいたいことがあります」
「何をかな」
「必ず……俺の指示に従うことを。ルキアさんから、直接ガルフ爺さんとミナ姉さんの二人に、命令してください」
「……余程、厄介な人物のようだな。分かった。わたしの方から、きみの命令に絶対服従することを命じておく」
「ありがとうございます」
ふぅ、と嘆息。
こんなことになるなら、ルキアから二人の調査結果を聞いた時点で、誘ってもらうよう言っておくべきだった。ちゃんと俺の指示に従うよう命じて。
……まぁ、それでも彼らがちゃんと、俺の指示に従ってくれるかは分からないけど。
「よし……決まった以上、さっさと大結界を補強するぞ、カンナ」
「うす。とりま、何すりゃいいすか?」
「大結界の損耗が激しいところを、小型結界で裏打ちする。そのための調整だ」
「うす」
そうと決まれば。
俺のやるべきことは、シンプルだ。シンプルだからこそ、仕事に集中することができる。複数のことを同時にやるような器用さは持っていないのだから、集中力を一つに注ぎ込むことが大切なのだ。
「もってくれよ……マークⅡ」
大結界の向こうを、悠々と泳ぐ二匹の雲の暴虐。
その姿を見ながら、俺は小さく呟いた。
マークⅡの改良を行ってから、二週間。
幸いにして今まで雲魔竜が波状攻撃を仕掛けてくることはなく、《白光》は一日に一度程度の頻度で放たれていた。それでも以前に比べれば、《白光》そのものがやってくる回数は倍に上がっている。
だが、どうにか今のところは《白光》から《白光》のタイミングで修繕を行い、最も損耗率が高い部分でも六割弱といったところだ。修繕を間に合わせ、再び《白光》を受け、また修繕する――そんな繰り返しを行っている。
魔物同士に連携する知恵がなければ――そう願っていたが、俺の願いはどうやら届いてくれたようだ。
だが――。
「ソルさん、こちらが資料です」
「ああ」
アンドレ君が俺にそう示してきたのは、直近のデータだ。
この二週間ほど――雲魔竜が《白光》を放ってきたタイミングについて、一覧に纏めているものである。
暫定的に雲魔竜の個体をA、Bの二体として呼称し、その《白光》が放たれた時間を書いているものだが――。
「……」
A 12:50
B 13:25
A 12:45
B 14:02
A 12:53
B 14:38
A 12:49
B 15:12
A 12:47
B 15:35
A 12:55
B 16:02
A 12:53
B 16:34
「……」
Aが《白光》を放ってくるのは、大抵13時前――12時50分くらいだ。ここ二週間のデータを見ても、五分とずれていない。
だがBは、放ってくる時間が次第にずれてきている。おおよそ30分ずつといったところだが、じわじわと時間が遅くなっているのだ。
「……恐らくAが、今までずっといた雲魔竜だろうな。大抵、昼過ぎに撃ってきたのを覚えてる」
「ですね。封印都市では、大体12時過ぎから《白光》が見えるって話を聞いたことがあります」
「だがBは……だんだん夕方になってきているな」
「ええ」
はぁ、と嘆息。
これは間違いなく、時間がないことを示す指標なのだから。
「恐らくだが……Aの個体は48時間で《白光》を放つ。それに対してBの個体は、48時間30分で《白光》を放つ」
「そう思います。そうじゃないと、このデータの説明がつきません」
「現在のデータを考えると、13時にAが放ってきて、16時半にBが放ってくるわけだから……順調に進めば、半年後か」
30分ずつずれ込んで、じわじわとAとBの放ってくるタイミングが近付いている。
このままいけば、単純計算で180日後には同じタイミングで放ってくるということだ。それまでの時間を長いととるか、短いととるかは人それぞれだと思うが、俺にとっては後者だ。
それに、180日後に重なるとはいえ、その前の時点でもBが放ってくる《白光》から、Aの放ってくる《白光》までの時間が短くなる。極めて僅かな時間で、どうにか修復をする必要性があるということだ。
さぁ、絶望しかない――。
「先輩!」
「ん……」
そんな風に、アンドレ君と話をしていた大結界の遠隔管理装置室。
まぁ俺の屋敷の一室であるわけだが、そこに突然息を荒げたカンナが駆け込んできた。
「どうした、カンナ」
「来たっす!」
何が、と問わず。
その後ろにいた影に、俺は思わず身の竦む思いがした。
「……ガルフ、爺さん」
厳つい顔立ちの、俺より背の高い筋骨隆々の老人。
かつて封印都市フィサエルの維持管理部において、部長を務めていた人物。
ガルフ・グラフォード――ガルフ爺さんが、そこにいた。




