改良を始めたい
さて。
ルキアから、《魔境》の内部を探索するという提案をなされて、既に七日。
俺は俺で、相変わらず作業に勤しんでいた。
基本的に日常の大結界管理は、既に俺の手を離れた。現在は、ジュード先輩から教えを受けた部下の魔術師たちによって行われている。
そしてジュード先輩の教えが良かったのか、元々それなりに素質があったのか、ほとんどトラブルもなく管理できているそうだ。とはいえ、何か異常があれば報告するようにとは伝えているけれど、今のところ大きな問題は起こっていない。
一応、信頼していないわけではないけれど、三日に一度は俺も大結界を全体的に確認するようにしているのだが、特に不備などはなかった。
で、暇を持て余した俺が何をしているのかというと。
小型結界の全体的な改良である。
「うーん……どうすりゃいいんだ、これ」
「……正直、原理を言われても全く分かんないっすね」
腕を組みながら、改めて唸る。そして、俺と共に小型結界を眺めているのは、こちらも最近仕事がなくなったカンナだ。
そんな俺たちの目の前にあるのは、まず俺の作った小型結界。
そしてもう一つ――ルキアから借り受けている、かつてフィサエルにあった大結界の欠片だ。
何度も何度も解析を行って、それぞれの魔術式を抽出し、再現することができたラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡであるけれど、未だに完璧な再現はできていない。
当時は、妖精鏡でなく玻璃を使用したというのも、理由の一つではあるのだが――。
「……単独起動で周囲全体を覆う方法が、分かんねぇ」
「やっぱ、エルフの技術って凄いんすねぇ……相変わらず、あたし見ても全然分かんないっすよ」
「でも、これが再現できれば……かなり使用量を抑えることができるんだけどな」
はぁ、と大きく嘆息する。
大結界の欠片によって生じる結界は、周囲全域を覆う半球状のものである。かつてルキアがこれを使用していた頃は、馬車に対してこの一つだけで防御を行っていた。
だが、俺の作った小型結界は、あくまで目の前に結界の板を出すことだけだ。
元々は、玻璃という素材のためだと考えていた。妖精鏡が使用できないため、どうしても素材として異なる玻璃を使用していたからこそ、再現することができないと考えていたのだ。
だが現在、錬金術師グラスの協力もあり、妖精鏡を使用している。
だというのに、結局できることは湾曲した壁を出すことだけだ。
古代遺物のようにドーム状に結界を出すことが、どうしても再現できない。
「うぅん……」
何度も何度も解析してきた、古代遺物に刻まれた魔術式。
細かい部分までほとんど覚えているくらいだが、だが全てを解読できているかというと難しい話だ。何せこれ、エルフの魔術式なんだから。
「というか、アンドレ君も一回これ見て、絶望してたっすよ。こんなの全然分かりません、って」
「まぁ……そうだよな。俺も未だに、分からない部分がある。多分、肝になるのはその部分なんだよな……」
「大体、多次元領域における魔術式の並行作動でしたっけ? そんなの、どう再現すりゃいいんすか」
「……大体の起動原理は分かってんだけどなぁ」
俺が、現在に至ってもエルフに追いつけていない部分――それが、多次元領域における魔術式の並行作動である。
魔術式の作動というのは、基本的に物質に刻まれた魔術式に魔力を通すことで、その効果を発揮するものだ。
魔術式を二つ並列起動しようと考える場合、この二つを互いに干渉しないように隣り合わせに刻む。そして別の魔術式によってこの二つを刻み、順番を指定する。こちらがON状態であればこちらがOFF状態になる、こちらが起動したらすぐにこちらも作動する――そんな条件を指定するのである。
その結果、並列起動することはできるのだ。現在の人間の技術でも、不可能ではないのだ。
ただし、これには難点がある。
物質に対して刻む魔術式が、おそろしく繊細なものになるのだ。
二つの魔術式を刻むということは、それぞれの魔術式が干渉しないように小さく刻まなければならない。つまり、虫眼鏡が必要になるくらい小さくしなければならないのだ。
それは当然、魔術式が増えれば増えるほど小さくなる。幾つもの効果を出そうと考えると、それだけ小さな式をひたすら積み重ねていかねばならない。
ぶっちゃけ、ちょっと老眼が始まってきた俺には辛い作業だ。
「魔術式の並行起動で、まず虚数領域を展開する。その虚数領域が発現することで、魔術式が並列に起動して虚数が実数になり、そこから広域に展開する。だから物質そのものに刻む魔術式は、あくまで虚数領域の展開のみ……でも問題は、虚数領域にどう魔術式を刻むかなんだよなぁ」
「聞いてもわけわかんねぇっす」
「少しは分かろうとする努力をしろ」
ちゃんと身振りも含めて説明しているのに、完全に理解を放棄したカンナを、ジト目で睨む。
しかしカンナは唇を尖らせて、後ろに控えているダリアへと目を向けた。
「ねぇ、ダリアさんも分かんないっすよね?」
「えっ?」
「あたしが馬鹿なんじゃないっす。先輩の説明が高度すぎるだけなんす」
「ダリアさんまで巻き込むな」
そもそも、ダリアは結界の専門家とかじゃないし。
むしろ俺の説明で、ダリアが全部理解できたらマジで何者だと思ってしまう。
「は、はぁ……私は、あまり理解できない部分ではあるのですが」
「いやいや、ダリアさん。当然ですから……」
「ただ、なんだか……お洗濯物みたいだな、とは思いました」
「へ?」
洗濯物?
ダリアのあまりに分からない言葉に、俺は眉を寄せる。
「あ……いえ。話を聞いていて、思っただけなのですが」
「……どういうことですか?」
「いえ。お洗濯が終わったら、干すんですけども……物干し竿はいつも下ろしていて、お洗濯物を干すときだけ立てるんです。ですから……えっと、何と言えばいいのでしょうか」
ダリアが、そうたどたどしく説明してくるのを。
俺は、目を見開いて聞いていた。
「何もない場所に、物干し竿を立てて、そこにお洗濯物を掛けるみたいな……えっと、そんな印象を受けたといいますか」
「……」
「いえ……お気になさらないでください。余計なことを……」
そこまで聞いて、俺は思った。
天才の発想か、と。




