帰路
「いや、楽しい食事だった。たまにはこういうのも悪くないね」
「……はい」
帰り道。
ダリアを御者にして、狭い馬車の中――俺はルキアと向き合っている状態で帰路についていた。
さすがにレストランで会話を継続させると、誰かに聞かれるかもしれない。給仕に聞かれたからといって何があるとは限らないが、一応ながら大結界関連の話だ。そのあたりの詳しいところは、屋敷に戻ってからだと中断されたのである。
俺としては、すぐにでも内容をしっかり聞いておきたいところだが――。
「どうした、ソル君。まるで玩具をねだる子供のような顔をしているじゃないか」
「……そんな顔をしていますか?」
「すぐにでも続きが聞きたい、という顔だよ。まぁ、それだけやる気に満ち溢れているきみを見ると、わたしとしても嬉しい」
「ええ……まぁ」
「だが、詳しい話は明日だ。今日はわたしも、少し酒が入っている」
「分かりました」
俺は酒を一滴も飲んでいないけれど、ルキアはそれなりに飲んでいた。
俺としては、すぐにでも取りかかりたい案件である。しかしもう夜も遅いし、ルキアも酒が入っている状態だ。
それに、明日の朝一にカンナ、アンドレ君、ジュード先輩にも少し話しておかないと。
「まぁ、とはいえわたしも鬼というわけじゃない。きみを一晩、ただ期待させて悶々とさせておく趣味もない」
「は、はぁ……」
「わたしは、きみの作った小型結界を見た瞬間、考えた。これがあれば、《魔境》の奥にも行けるのではないか、とね」
「……」
《魔境》の奥。
そこに向かった冒険者は、今まで何人もいる。封印都市に一泊して、近隣の漁村から船を購入し、海路で《魔境》へ向かう方法だ。
何せ《魔境》は千年もの間、人の立ち入っていない場所である。
当然、そこにはお宝が眠っている可能性もあるし、かつてエルフが残した古代遺物が存在するかもしれない。もしかすると、手つかずの金鉱があるかもしれない。そんな噂だけは、俺も聞いたことがある。
だが、それは不可能だ。
《魔境》の瘴気の中で、人間は生きていくことができない。少し吸っただけでも、体調不良を訴える者が多く現れたのだ。そんな瘴気が蔓延している場所に、人間が生身で向かった場合、どうなるかは自明の理である。
だが、俺の小型結界を用いれば。
完全に《魔境》の瘴気を遮断し、《魔境》の魔物からの攻撃の一切を防ぎ、歩むことができる環境を整えれば。
確かに、《魔境》の奥に行く――それも、不可能ではない。
「そもそも、大結界マークⅡは現在に至っても、問題なく稼働している。ならば、マークⅢを作ることも決して不可能ではない。そうだろう?」
「ええ。材料と時間さえあれば、作れます」
「ならば、簡単だ。マークⅡを展開している、少し向こうに対してマークⅢを展開させる。そして《魔境》を少しだけ後退させ、瘴気が霧散するのを待つ。その上で次に、マークⅢの向こうにマークⅡを再び展開し、《魔境》をさらに後退させる……その繰り返しを行っていけば、いつかは《魔境》の全土から瘴気は消えていくだろう」
「……」
少しずつ、大結界の境界を北上させる。
そうすれば確かに、いつかはかつての《魔境》――封印都市との境界まで到達してくれるだろう。
だが――それは、不可能だ。
「……残念ですが」
「ああ、分かっているとも。わたしも無知というわけではない。それが出来るのならば、最初からエルフがやっているはずだ」
「ええ……」
同じ意見は、かつて封印都市でも聞いたことがある。
大結界をもう一つ作って、大結界の向こうに展開させればいいじゃないか、と。
だが、そんな計画が頓挫したことには、当然理由がある。
「……大結界は、大結界の向こうに展開できません」
大結界とは、本体からの魔力による投射だ。
魔力による投射を行うということは、その間に投射を遮断する何かがあってはならない。そして魔力を伴った魔物の攻撃でさえ、一切を遮断する大結界は、そんな投射を絶対に通しはしない。
こちら側からは魔力が通り、向こう側からは魔力が通らない――そんな理想的な結界など、存在しないのだから。
「ああ。わたしもそれを理解していたから、今まで言っていなかったのだよ。だが、きみの小型結界を確認して、考えが変わった」
「それは……」
「海路から向かい、四方に小型結界を展開し、瘴気も魔物の攻撃も一切を通さない壁を持っている状態ならば……《魔境》の内部に入り込むことも可能ではないか、とね」
「……」
言うなれば、小型結界とは移動することができる壁だ。
その壁を四方に展開し、完全に封鎖した状態ならば、瘴気は入り込んでこない。そして、四方の壁はそれぞれ大結界に相当する強度だ。下手な魔物が攻撃してきても、少々傷つく程度で済むし、俺がいれば即座に修正することができる。
水と食糧さえ十分にあれば、空気は《浄化》によってどうにかすることができるだろう。俺は使えないから、これを使える誰かが随伴する必要があるけど。
「まぁ、わたしから言えることはこの程度だ。というか、わたしに出来ることは提案することだけで、全てきみに丸投げだよ。実に力のない上司だ」
「……いいえ、そんなことはありません」
「そのあたりの詳しい話は明日……そうだね、カンナ君とアンドレ君も一緒に来るといい。あとはジュード君といったところか。明日の昼から、時間を空けておく」
「ありがとうございます」
「ルキア様、到着いたしました」
馬の嘶きが一つ――そこで、馬車が停まる。
どうやら、ルキアの屋敷に到着したようだ。軽くスカートの埃を払って、ルキアが立ち上がった。
「では、明日に。待っているよ」
「はい。よろしくお願いします」
頭を下げて、馬車を出るルキアを見送る。
そして再び馬車が出発して、少し経ってから俺の家――別邸の前まで辿り着いた。
「ソル様、到着いたしました」
「ええ、ありがとうございます」
「私は、馬車の方を片付けてから戻ります。ソル様は、先にお部屋の方に戻っていてください」
「ええ……」
立ち上がって、馬車から降りる。
酒の一つも飲んでいないのに、どこか昂揚した気分だった。
これから始まるプロジェクトに、心が躍っている。
「ダリアさん」
「はい、ソル様」
「今日の寝酒は……特別、強いのを用意してください」
多分。
今日の俺は、酒でも飲まないと興奮で眠れない――そう考えて言った言葉に。
ダリアは、「承知いたしました」と笑顔で頷いた。




