デスマーチ終了
「やっと……終わった……!」
合計、五十個目の小型結界――その魔術式全てを刻み終えて、俺は大きく項垂れることしかできなかった。
部屋の中に、山のように積んでいる小型結界たち。その数は、合計で五十。いや、途中でルキアが「一つ持たせてもらってもいいかな?」と持って行ったから、四十九か。
内訳としては、旧型が四十、新型が十。
当然ながら新型とは、玻璃の代わりに妖精鏡を使っているものだ。百の妖精鏡に魔術式を刻むことができるのは俺だけだったから、これにひたすら睡眠時間を削られた。
そして残る四十の旧型は、大結界に使用した玻璃をそのまま使っている形だ。この玻璃は、以前と同じく屋敷の方で、アンドレ君主導で魔術師たちによって作ってもらったものである。
そのおかげで、いくらか作業時間は減ってくれたが――それでも、ギリギリだった。
「あぁぁ……ようやく、ようやく、終わってくれたっす……!」
「カンナ、お疲れさん。マジで……心から、お前がいなきゃ間に合わなかった。お前がいてくれて、本当に良かったよ」
「四十男のデレはきついっす」
「殴るぞ」
何言ってんだこいつは。
だが実際、カンナがいなければ間違いなく間に合っていなかっただろう。何せ今、魔鉄鋼に魔術式を刻めるのが俺とカンナだけなのだ。
他の魔術師たちも、教えたら出来るかもしれない。だが、その教える時間すら惜しいほど切羽詰まっていた。
結果的に、ある程度大結界の知識について下地のあるカンナに、出来上がった手本と同じものをひたすら作ってもらうことしかできなかった。
「お疲れ様です。カンナ様。ソル様」
「ふぁぁ……あぁ、ようやく寝ることができるっすよ……」
「どうも、ダリアさん……つかお前、割と寝てたじゃねぇか」
「三日で合計何時間寝かせてくれたと思ってんすか……トータル八時間すよ? しかも一時間ずつ小刻みで」
「俺は合計二時間だ」
「……」
三日で二時間。それがここ最近の、俺の睡眠時間である。
カンナに自分から言ったように、床で少し横になっただけだ。まるで体の中で正確に量っているかのように、きっちり一時間で体が痛くて目が覚めた。
それ以外は、ひたすら苦くて濃いコーヒーをがぶ飲みしながら作業を続けていた。常に眠気に襲われたとき、濃いコーヒーを用意してくれていたダリアも、ほとんど寝ていないのではなかろうか。
「まぁ、どうにか間に合って良かった。これで、ルキアさんも満足してくれるだろ」
「さすがに、今回は納期が厳しすぎっすよ……今後もこれが続くようなら、あたし本気で転職を検討するっす」
「……今回だけだろ。ルキアさんは……あの人は、まともな人だからな」
「だといいっすけどねぇ……でも、時間かかった理由、ほとんど先輩っすよ」
ぎろり、とカンナが睨んでくる。
なんとなく、ネコ科の小動物のような雰囲気だ。本気で睨んできているのだろうが、全く怖いとは思わない。
そんなカンナの言葉に、ダリアが眉を上げる。
「時間がかかった理由が、ソル様なのですか?」
「そうなんすよ、ダリアさん。そもそも先輩が、時間の掛かる方法ばっかりやってるんす」
「それは……」
「仕方ないだろ、カンナ」
「でも、多重認識プロテクトに加えてダミー回路も多過ぎっす! しかも核心部の解析に対して自壊システムが働く作用とか、あんなにもいるんすか!?」
「……?」
カンナのぼやきに対して、首を傾げるダリア。
ちゃんと、理由があっての仕様だけれど、カンナには不満であるようだ。だが、その不満を今まで言い出さなかったのは、そんな場合でないということを理解しているからだろう。
とりあえず一段落したから、こうして不満をぶつけられているわけだ。
「その……ソル様。どういうことなのでしょうか?」
「……まぁ、分かりやすく言うと、敵の鹵獲への対策をちょっと強めにやっているんです」
「鹵獲……ですか?」
「ええ。戦争で使うものですから」
鹵獲。
それは、戦争において敵の軍用品を奪い取ることだ。武器などの消耗品だったり、兵糧だったり様々ではあるが、どうしても戦争というのは奪い合いの側面も持つ。
仮に何らかの手段で、小型結界を照射している者を後方から襲うようなことができた場合、無傷の小型結界が敵に渡る可能性だってあるのだ。そして恐らく小型結界が敵に渡った場合、向こうはどのように起動しているのか解析を進めるだろう。
その解析が上手くいってしまえば、向こうでも小型結界が容易に作れるということにもなる。
俺が今回入念に手を入れたのは、そんな鹵獲、解析への対策だ。
「小型結界自体は多重認識プロテクトで使用者を限定して、使用者として登録された人物以外には起動できないように設定しています。戦場で奪われた直後に、そのまま敵が結界を使ってくるということはありません」
「は、はぁ……」
「さらに奪われた後の解析を妨害するために、本来必要のない魔術式を幾つか刻んでおいて、無駄に作用するようにしています。これがダミー回路ですね」
「そこまではいいんすよ……自壊システムが一番手間取るんすから……」
カンナがそうぼやいて、唇を尖らせる。
まぁ、うん。確かに俺も自分で作っていて、非常に面倒だった。カンナのその気持ちは痛いほど分かる。
「自壊システム……?」
「ええ。小型結界の根幹となる魔術式に対して、俺が設定した解析方法以外でアプローチを仕掛けた場合、自動的に全ての魔術式が破壊されます。その瞬間から小型結界は、ただの魔鉄鋼と玻璃の塊になりますね」
「……そこまで、入念にしているのですか」
ダリアが感心したように、俺を見てくる。
まぁ、ルキアからそこまでの指示は出ていないけれど、俺なりに考えてやった結果だ。どうしても戦争で使うものだから、奪われることを前提で作らなければならない。
だから細工として、『奪われても使えない』ことを加えたのだ。
「そうはいっても、やりすぎっすよ……はぁ。もう、あたし寝るっすよ」
「おう、お休み」
「先輩は寝ないんす?」
「あー……そうだな」
立ち上がるカンナが、そう尋ねてくる。
当然、俺も眠気はあるし、無理をしたせいで体がバキバキだ。ベッドに寝転がれば、秒で夢の世界に旅立つことだろう。
だが、同時に少し興奮状態でもあるのだ。三日もほとんど寝ずに作業を続け、ようやく終わった――それが、凄まじい達成感をもたらしてくれている。
「俺は……ちょっと酒でも飲もうかなと」
「あ、はい。ではソル様、お酒の方を用意いたしますね」
「ありゃ。先輩、今から飲むんすか?」
ああ。
そういえば、カンナと一緒に酒飲んだことってあんまりない気がする。
封印都市で作業をしていた頃には、よく俺が勝手に酒飲んで寝て、俺が起きたらカンナが寝て、って感じだったことはあるけど。
そういや、あのときもカンナに絡んだのだろうか。起きたら「酔っ払った先輩、鬱陶しいっす」と言われていた気がする。
「ああ。まぁ、ちょっとだけな。普段飲んでるくらいに」
「……もしかして先輩、毎日ダリアさんと一緒に飲んでるんすか?」
「いや……まぁ、ダリアさんが寝酒を用意してくれるからな」
なんとなく、ダリアの方を見る。
ダリアは特に動揺もなく、微笑みを浮かべていた。うん。別に俺、そんなに変なことは言ってないと思う。多分。
「へー」
そんなカンナは、にやにやと笑みを浮かべて。
「ダリアさん、大変すね」
「……いえ、そのようなことは」
「まぁ、大体先輩が何言ってるかは分かるっすよ」
何故かそう、カンナの言葉に頬を染めるダリア。
俺、酒飲んだら何言ってるんだろう。
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本日より新連載をはじめました。
『わたしの旦那様はミノタウロス』
本日からしばらく毎日更新していきますので、是非ご覧ください。
読み方は↓にある『作者マイページ』、もしくはぐぐーっと↑に上がってタイトルの横にある作者名『筧 千里』をクリックしてくださいませ。




