安定の社畜
「あの……ソル様。グリッドマン工房より追加が届きました……」
「……ええ、そこに置いてください」
別邸の、最も広い部屋。
かつて大結界の根幹となる、魔鉄鋼の枠へと魔術式を刻み続けていた場所に、おずおずと入ってきたダリアがそう言ってきた。
そんな俺の周りは、混沌としている状態だ。積み重ねられた玻璃、まとめて置かれている小型結界の枠、そして軽食の置かれていた皿――正直今、恐ろしいほど頭が働いていない。
たった三日しかない、小型結界の納期――それを守るために、誰もが必死にやってくれている状態だ。
グリッドマン工房のヨハン親方は、注文してすぐに三つ持ってきてくれた。ヨハン親方が必死になってやってくれているらしく、持ってきてくれたのは弟子と名乗る男性だったけれど。そこから俺が、枠へと魔術式を刻む作業へと専念することになった。
錬金術師グラス――リズの方は、今のところまだ音沙汰がない。頑張ってはくれているのだろうが、俺も俺でリズの方に顔を出す余裕もないのだ。とにかく、向こうから納品してくれることを待つばかりである。
そして俺たちは俺たちで、必死に作業している最中だ。
「……その、ソル様」
「どうかしましたか?」
「……あの。少し、休まれてはいかがでしょうか?」
「……」
ルキアから、小型結界を用意しろと命じられたのは昨日。
そして俺は昨日一日で、ヨハン親方とリズへの注文を済ませ、屋敷に魔術師たちを呼び寄せて玻璃への作業を任せ、アンドレ君にその監督を任せた。彼らも以前に一度やっている作業ということで、割とスムーズに運んでいるらしい――というのはアンドレ君の評だ。
しかし、この小型結界製作において、玻璃への作業はさほど重要ではない。むしろ魔鉄鋼の枠に魔術式を刻む作業と、リズから納品されてくるだろう妖精鏡への作業の方が比重を大きく占める。
問題は、そんな妖精鏡への魔術式の刻み方を知っているのが、俺だけだということだ。
「そっすよぉ、先輩……そろそろ、休みましょうよ……」
「カンナ、ぼやく暇があったら手を動かせ」
「ただでさえあたし、先輩より仕事遅いんすからぁ……」
魔鉄鋼への作業は、カンナでも出来る。というか、教えた。一応何度か試作していた段階で、魔術式をちゃんと残していたのが幸いだった。カンナにはその内容を簡単に教えて、そちらに専念させている状態だ。
とはいえ、大結界の巨大なそれに刻む作業とは、また異なることも多い。カンナも必死にやってくれているようだが、一晩でまだ七個程度しか完成していないようだ。
一晩。
そう、一晩である。
当然のように俺もカンナも、一睡もしていない。
「……仕方ないな。カンナ、じゃあ少し仮眠とってこい。一時間経ったら起こす」
「うはぁ……フィサエルを思い出すっす……」
「奇遇だな、俺もだ」
カンナの言葉に、思わず口元が引きつる。
俺が一人になる直前、解雇されたのがカンナだった。その前までは、こうして二人で作業していた日々があった。
二人だったから昼夜ぶっ通しで、休みもなく作業し続けていたこともある。そして作業量が多いときには、カンナには軽く仮眠をとらせて、俺だけで作業を行っていた。
「ソル様……」
「申し訳ないです、ダリアさん。ちょっと……コーヒーを用意してもらえますか?」
「……承知いたしました」
「一番苦いのを、とにかく濃く淹れてください」
心配そうなダリアに向けて、俺はそう笑みを浮かべる。
正直、心配してくれているのは嬉しいし、俺も多分当事者じゃなかったら心配するだろう。何せ、昨日の昼から今までぶっ通しで作業を続けているんだから。
もうそろそろ昼になるから、ほぼ丸一日だ。そして、それでも全く終わりそうな気がしない。
「ふかふかの、ベッドで、寝たいっすぅ……」
「床で寝ろ。一時間で、いい感じに体が痛くて目覚めるぞ」
「うぅぅ……」
んんっ、と軽く肩を回す。
フィサエルにいた頃は、徹夜なんて慣れたものだった。ぶっ通しの作業だって、何度やってきたか分からない。
だが、こうしてルキアに雇われる身になってから、ちょっと体が鈍ってしまったのかもしれない。あの頃は、三徹くらい余裕だったのになぁ。
「ふぅ……」
小さく息を吐いて、次の魔鉄鋼を手に取る。
ヨハン親方は非常に頑張ってくれているらしく、これで恐らく四十個目くらいだろう。カンナの作業している分も合わせれば、もう半分ほど終わったところか。
だが、カンナには酷なことを言うようだが、もう少し早く作業してもらいたい。何せリズから妖精鏡が届いたら、俺はそっちに専念しなければならなくなるからだ。
その場合、残る魔鉄鋼の作業については、全てカンナに任せなければならない。
「……コーヒーをお持ちしました、ソル様」
「ありがとうございます、ダリアさん」
「お食事の方は……」
「下手に食べると眠くなってしまうので……ひと段落ついてからでいいです。ダリアさんは、休んでいてください」
「……承知いたしました」
俺の側に、湯気の昇るカップが置かれる。
普段は紅茶を淹れてくれるダリアだが、ちょっと夜通しでの作業が多そうだという旨を伝えたところ、本邸からコーヒー豆を持ってきてくれたのだ。この豆も、きっといいものを使っているんだと思う。
もっとも、俺はコーヒーを眠気防止のためだけに飲んでいるようなものなので、味の善し悪しは分からない。
「それじゃ、寝るっす……」
「おう」
視界の端で寝転がるカンナ。
それを気にすることなく、俺は作業に集中する。少しでも集中を乱せば、魔術式が全てやり直しになってしまう。そうなれば、単純な時間のロスだ。
非常に繊細で、決して狂ってはならない寸法――それゆえに、カンナ以外に任せられる相手がいないという事実もある。
「……」
そこでふと、ヨハン親方の顔を思い出す。
彼はもう老年の職人だが、魔鉄鋼加工にかけては随一の腕前だ。だから俺も、かなり厳しい納期で仕事をお願いできている部分もある。
だが、彼は同時に若手に対して仕事を任せ、経験を積ませていることも多いらしい。だから魔鉄鋼の加工依頼に対しても、ヨハン親方がやれば一日もかからず出来るはずのものでさえ、七日ほどの納期で若手に任せているのだとか。勿論、その加工品については、彼がしっかり確認するという約束で。
ヨハン親方曰く、「若手に経験させとかねぇと、ワシが死んだとき困るだろう」とのことだ。
「……そろそろ、俺も考えるべきかな」
「えっ? どうしましたか、ソル様」
「ああ、いえ。何でもないです」
ふぅ、と小さく嘆息。
今回はかなり厳しいが、この作業が終わればひと段落つくだろう。
そのとき、ちょっと真剣に考えてみよう。
俺のこの技術を、受け継がせる相手を。




