朝食の席
頭が痛い。
それが、俺の寝起きで最初に感じたことだった。
まぁ、四十を超えてから、爽快な寝起きなんて滅多にないというのもあるけれど。大抵、体のどこかが痛む気がする。俺もおっさんになったんだなぁ、としみじみするのも毎朝のことだ。
だが、この頭の痛みの理由は分かっている。
昨日ルキアに勧められて飲んだ、ブランデー入りの紅茶。かなり濃く入れられていたからか、少し飲んだだけで酔っ払ってしまったのだと思う。
最近は、毎日のようにダリアが寝酒を持ってきてくれるから、少しは酒に強くなったかと思っていたんだけれど――。
「おはようございます、ソル様」
「ひあぁっ!? あ、お、おはようございます」
いつの間に入ってきたのか、ダリアのそんな声に思い切り驚く。
しかしダリアの方は不思議そうに、首を傾げるだけだった。
「ひとまず、お召し替えの方を」
「そ、そこに置いといてください……自分で、やりますんで」
「承知いたしました。朝食の方は出来上がっておりますが、こちらのお部屋にお持ちしましょうか? それとも、食堂の方まで来られますか?」
「え……え、ええ、そうですね。食堂に行きます」
「はい。ではお待ちしておりますね」
にこり、と微笑むダリア。
昨日の俺が酔っ払った原因は、ダリアの入れたブランデー入り紅茶だ。つまり、ダリアは恐らく俺がどんな言動をしていたのか、見ていたはずである。
さすがに直属の上司であるルキアと、面と向かって会話をしていたのだ。その内容を、忘れてしまったと報告するわけにはいくまい。
「あ、あの、ダリアさん!」
「はい?」
「俺……昨日、何か変なこと、言っていませんでしたか?」
「……」
ダリアは、そう質問した俺を見て。
少しだけ頬を染めてから、目を逸らした。
「……いえ、さほど、変なことは」
「あの……?」
「言って……ええ、いなかったと、思いますけれども……」
「どうして、目を……?」
俺と目を合わせることなく、言ってくるダリア。
これ、また俺何かやっちゃったのではあるまいか。というかそもそも、酔っ払った俺ってどうなるのか、まだいまいち分かっていない。大体、寝酒をくれるダリアの前でしか酔っ払わないし。
もしかしたら、ルキアの前で物凄く失礼なことを言ってしまったのでは――。
「あ、そうだ、お洗濯物がまだ……」
「えっ……」
「失礼いたします」
「……」
すっ、と俺に頭を下げて、足早にダリアが去ってゆく。
俺、完全に何かやってるよこれ。ダリアがちょっと言いにくいこと、完全にやっちゃってるよ。
このままじゃルキアの前に出たとき、「よく何の悪びれもなく、わたしの前に顔を出せたものだよ」とか言われそうな気がする。
「……」
うん。
まぁ、気にしていても仕方ない。
ほら俺、大結界作ったし。エルフの失われた技術を再現してみせたし。それで『白光』からノーマン領を救った実績があるし。俺がいなきゃ大結界できなかったはずだし。
どうにか、何か失言をしていた場合、このあたりの実績で帳消しにしてもらおう――そう理論武装を用意して、俺はひとまず着替えることにした。
「あ。おざっす、先輩」
「おう、カンナ」
食堂まで行くと、既にカンナがもしゃもしゃと朝食を頬張っていた。
屋敷の食堂は、それなりに広い。貴族家の別邸であるわけだし、俺がこうして住む前は隠居した先代とかが使っていたのだろう。調度品もかなり高級なものが揃っているし、家具もおしゃれなもので統一されている。
そんな食堂の長机――その端と端に置かれているのが、俺とカンナの朝食だ。
「あれ……なんでお前がいるんだ?」
「……その反応ひどくないすか?」
カンナが、軽く唇を尖らせる。
だが俺も昨日帰ってきたところだし、カンナは俺が大結界の確認をしている間、本体の方の確認を任せていたはずだ。距離的にはそれほど遠くないけれど、あそこまで向かったのはダリアの馬車だったはずだ。どうやって帰ってきたのだろう。
それに何より、カンナは現在、侯爵家の客間で暮らしている。そのため、何か作業をするときだけこの別邸に来ている形なのだが――。
「あたし、昨夜遅くに帰ってきたっす。わざわざ、ナタリーさんが迎えに来てくれたんすよ。でも、あたしが帰ったときには屋敷の玄関開いてなかったんで、こっちに泊めてもらったんす。先輩はもう寝てたみたいっすけど」
「ああ、そうだったのか。あっちの機器に不備は?」
「全くなかったっすよ。先輩の命令通り、三日間きっちり確認続けましたから。三日間の連続投影で、不備はなしっす」
「なら良かった」
カンナからの短い報告に、俺は胸を撫で下ろす。
ちゃんと起動しているように見えて、実は一部が無理をしている状態というのもありえるのだ。表面的には問題なく稼働していながら、実は一部の魔術式に負担が掛かっていたりとか。
そして、そういった部位の不備は、発動直後は気付きにくい。そのため、俺はカンナにも「三日間見続けてくれ」と言っておいたのだ。そうすれば、少なからず無理をしている部位に気づけるのではないかと。
だが、そういった不備も一切なかったということは、朗報だ。
今後は、月に一回程度本体を確認し、あとは遠隔管理装置で維持管理を続けるだけである。
「んで先輩」
「ん?」
「遠隔管理装置は、どのくらい出来てんすか?」
「あとは、最終調整を残すだけだ。調整が終わったら本体とリンクして、この屋敷の部屋の一つに設置しようと思ってる」
「それは通勤が楽でいいっすねぇ」
うへへ、と笑みを浮かべるカンナ。
まぁ実際、この屋敷って部屋が余っているから、一つくらい使っても問題はないだろう。
フィサエルに務めている頃は、わざわざ都市庁まで出勤して小部屋に籠もっていたのだ。俺一人しかいない事態になってからは、ほとんど家に帰ることもできなかったけれど。
今後は、職場が家になるわけだ。実に素晴らしい。
「あれ? でも、先輩はルキア様と結婚するんすよね?」
「え……あー……まぁ、そう、なってんのかな」
「結婚したら、多分向こうのお屋敷で暮らすんじゃないすか?」
「……どう、なんだろうな」
カンナの質問に、答えることができない。
何せまだ、俺とルキアが結婚するという話こそ聞いているけれど、その詳細は一切聞かされていないのだ。そもそも住む場所も分からない。
だけれど。
「まぁ……ここで暮らすんじゃないか? 多分だけど」
「そうなんすか?」
「ルキアさんが俺と結婚するのって……まぁ、あれだよ。体裁というか、表向きみたいな感じなんだよ。俺もよく分からんけど」
「先輩なんかと表向き結婚してどうするんすか」
「俺が聞きたいよ」
これは本音だ。本当に俺が聞きたい。
別に俺と結婚とかしなくても、そこそこのお給料で大結界の管理維持部門で雇ってもらえれば、それでいい。
「あ、そういえば」
ふと、パンを囓っていた口を止めて、カンナが俺を見る。
「ルキア様の侍女が朝早くに来て、朝食が終わったら屋敷に来るように言ってましたよ」
「お前そういう大事なこと先に言え!?」
朝食が終わったら屋敷に来い、という命令。
そして、俺が全く覚えていない昨日の記憶。
やばい。
物凄く、胃が痛くなってきた。




